せんせいと作ひんてん

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せんせいと作ひんてん

『作ひんてん』 きのしたるり きょうは、すみちゃんの絵をいっぱい見ました。 すみちゃんの絵はとてもきれいです。 海の絵や空の絵がありました。 どの絵も大すきです。 すみちゃんの友もだちもいっぱい来ていました。 みんながすみちゃんの絵をきれいだと言っていたので、わたしはうれしくなりました。 だけど、すみちゃんはあまりうれしそうではなかったので、どうしてなのか聞いてみました。 そうしたら 「一ばん来てほしい人が、まだ来ないからね」 と言いました。 ********* *********  夏休みも終盤に入っていた。  私は自宅から少しはなれた賑やかな街に来ている。  雨の日に脇山さんと偶然出会い、誕生日に脇山さんがきれいな女性や背の高い男性とイチャイチャしているのを目撃したあの街だ。  私は誕生日に買った赤いバッグの中から一枚のポストカードを取り出した。  汗を吸って少しヨレヨレになったポストカードは、プール当番のときに脇山さんから渡されたものだ。  誕生日にもらったものと同じ絵柄のポストカード。しかし完全に同じものというわけではなかった。  そのことに気付いたのは帰宅をしてからだ。違いは宛名面の方にあった。  宛名面には 脇山すみ枝作品展 『現実と幻想の間で』  という文字と、日程や会場が印刷されていたのだ。  誕生日に受け取ったポストカードをフォトフレームから出して宛名面を確かめてみたが、そちらは白紙だった。  脇山さんが誕生日に渡してくれたポストカードのことを忘れていたのではないかという疑念が少し薄れる。同時に、単に作品展の開催を宣伝したかっただけなのではないか、という疑惑が湧いてきた。  私はポストカードの日程を再度確認する。  今日が最終日だ。今日を逃せばもう作品展を訪れるチャンスはなくなる。  本当は初日にも会場となっている小さなギャラリーの前まで来た。  しかし中に入ることができず、近くの喫茶店で散々迷った挙句に帰ってしまったのだ。  遠くから覗いたギャラリーの中には脇山さんの姿を確認することができた。その横には、「キタロー」と呼ばれていた背の高い男性の姿もあった。  しばらく様子を見ていると、花を持った赤いメガネのきれいな女性が現れた。脇山さんはうれしそうに両手を広げてハグをしようとして拒否されていた。  メガネの女性と一緒に、豊満なバストをした女性も現れた。脇山さんはこちらの女性にも両手を広げてハグのポーズを取った。また拒否されるのかと思いきや、こちらはしっかりと脇山さんとハグをする。  メガネの女性は脇山さんのことをポカポカと叩いていた。  初日ということもあり、知り合いが多く来場したのだろう。入り口近くにいた脇山さんは終始笑顔で、ハグをしたりハイタッチをしたり、握手をしたりして出迎えていた。  もしも私があそこを訪れたらどうなるかと考えた。  両手を広げてハグをするだろうか。いや、しないだろう。されても困る。きっと丁寧にお辞儀をするのだ。  ようこそいらっしゃいましたとお客様をお迎えするように、丁寧にお辞儀をするはずだ。  私と脇山さんの関係は、姪の担任教師と、児童の叔母というだけなのだから。  そんなことを考えているうちに、結局会場に入ることができなくなってしまったのだ。  それからは仕事もあったため、ギャラリーを訪れることができなかった。  そんなに深く考える必要はない。私は自分に言い聞かせる。  脇山さんは多くの知り合いにあのポストカードを配っている。たまたま姪の担任教師にも渡す機会があっただけだ。だから私は気軽に見に行けばいい。  そう決心して足を踏み出そうとしたとき、脇山さんがメガネの女性に連れられてギャラリーを出て行った。  私はチャンスだと思った。  作品展を見に行くという義理を果たしながらも、脇山さんに会わなくて済む。  なぜ脇山さんに会いたくないのか。それは私が考えることを止めたからだ。考えるのを止めたのに、脇山さんに会うと、どうしても無駄なことを考えてしまう。  だったら顔を合わせないようにすればいい。  私はギャラリーのドアを開けて中に入った。  ギャラリーの中は、外から見た印象よりも広く感じる。  入り口脇には、「キタロー」と呼ばれていた男性が立っていて、丁寧に頭を下げながら「よろしければ、ご記入をお願いできますか?」と言った。見ると、芳名帳が置いてあり、いくつもの名前が並んでいる。  こうした作品展に来るのは初めてだったため、こういった作法は知らない。私は、前の人の署名に倣って自分の名前を記入した。 「もしかして、この間お会いした方ですよね?」  私が記入を終えるのを待って男性が静かに言った。 「確か、七夕の日でしたよね。あの時はご挨拶見できずにすみません。倉田喜太郎(くらたきたろう)と言います」  あの日の印象とは全く違う丁寧なあいさつに少し戸惑う。  すると倉田さんは私の気持ちを読み取ったのか、ウインクをして小さな声で「すみ枝と違ってTPOはわきまえている方なんです」と言った。  確かに脇山さんはどんな場所でもいつもと変わらないような気がする。  私がクスリと笑ったのを見て倉田さんは話を続けた。 「あの日、すみ枝がゲラを渡しちゃったのって、三鷹さんですよね?」 「ゲラ?」 「ポストカードの試し刷りです。あれで印刷屋と色調整の打ち合わせをする予定だったんですよ。そうしたら「あげちゃったからない」って言い出して参りましたよ」 「あ、え、すみません」  どうやらあのポストカードは渡してはいけないモノだったらしい。そんなことが少しだけうれしくなって、ついつい余計なことを聞いてしまう。 「脇山さんと、倉田さんは、その……お付き合いされているんですか?」  言い終わってすぐに後悔したが、口に出した言葉は戻らない。 「オレとすみ枝が? まさか。ただの仕事上のパートナーですよ。いいようにこき使われているだけです」  そして倉田は少し私ににじみよる。 「オレとしては、三鷹さんのことが気になるんですけど」  なんとなくまずい方向に話が進みそうだ。 「あ、それじゃあ、見せていただきますね」  私は笑顔で体を引くと、飾られている絵を見上げた。  最初に目に留まったのは、ポストカードにもなっている海の絵。想像していたよりも大きなものだった。  会場の半分程は、幻想的な海を描いたものだった。その他は、森や空が描かれている。それらのすべてに幼い人魚の姿があった。空や森の中でも、不思議と違和感がないことが不思議だった。 「本人はあんなにズボラなのに、絵は繊細でしょう? パソコンで描いた絵に、油彩を施しているんです」  いつの間にか隣に立っていた倉田さんが説明する。  確かに油彩部分が立体的な影を生み出し、イラストに深みが増しているように感じた。  何点かは売約済みの札が貼ってある。  そうして私は一枚の絵の前で立ち止まった。  四角い箱の中に今にも羽化せんとする繭があった。その周りには小さな光の粒がいくつもある。さらに箱を取り囲むような温かな光があった。赤系の色調で描かれたその絵は、他の絵とは趣が違っている。  他は、海や森といった自然の景色をベースにして幻想的に仕上げられているのに、この赤い絵だけは自然の風景ではなかった。さらにその絵には幼い人魚の姿もない。脇山さんはこの絵で何を表現したのだろう。 「この絵はちょっと分かんないですよね」  倉田が言う。 「でも温かみがあって、私は好きです」 「これは、一番最近書き上げた絵なんですよ。なんだかすみ枝もこの絵には思い入れがあるみたいです」  タイトルを見ると『未来』と書かれていた。そしてその横には売約済みの札が貼ってある。 「それじゃあ、私はそろそろ」  絵を見終えて私は出口に向かう。 「もうすぐすみ枝も戻ってくると思いますし、この後、お世話になった方たちを招いて簡単な打ち上げがあるんです。よかったら参加しませんか?」  倉田はそう言ったが、私は丁寧に断りを入れて帰宅した。  帰宅した私は何も手に付かず、ボーっとポストカードを眺めていた。  本当に美しい世界だった。脇山さんの目には、世界があんな風に見えているのだろうか。  そして脇山さんのことを本当に何も知らないのだと突き付けられたような気がした。ほとんど話したこともないのだから当然なのだけど、それが寂しいと感じていた。  ピンポーン  インターホンが鳴る。  私はのっそりと立ち上がってモニターを見た。 「うそ、なんで?」  そこにいたのは脇山さんだった。  家の場所は知らないはずだと思ったが、芳名帳を書いたことを思い出した。  なぜ突然うちを訪ねてきたのだろう。  居留守を使おうかとも思ったけれど明かりが煌々と付いている。それに先ほどからドタバタしている音も届いているだろう。  しかし化粧も落としているし、思いっきり部屋着だし、この状態で脇山さんと会うのはちょっと……かなり嫌だ。  そうして数秒か数十秒か悩んだけれど、私は観念して玄関を開けることにした。 「な、なんでしょうか?」  ドアを薄く開けて俯き加減で脇山さんに声を掛ける。態度が悪く見えるかもしれないけれど、これが今の精一杯だ。 「今日は、来ていただいてありがとうございました」  私の態度など気にしていないように脇山さんは明るく言った。 「いえ、あの、たまたま、時間もあったので」  そうじゃない。せめて絵の感想を伝えなければ。とても素敵だったと伝えなければ。そう思っているのに言葉が出てこない。 「それで、何かご用でしょうか」  やっと出た言葉は最悪のひと言だった。密かに落ち込むが脇山さんの声は明るいままだ。 「遅い時間にすみません。お礼を言いたかったのと、これを渡したくて」  そう言って脇山さんは茶色い箱をドアの隙間から差し出す。  薄くて四角い箱。おそらくこの中に絵が入っているのだろう。箱の大きさや形からそれくらいのことはすぐに推測できる。 「え、なんで?」 「邪魔かもしれないですけど、もらって頂けるとうれしいんですが」 「そうじゃなくて、頂く理由がありません」  私は絵の受け取りを固辞する。 「この間、お誕生日だったのに、ポストカードしかなかったですし」 「いえいえ、もう、あれで十分です」 「それに、コレ、先生のことを描いたんです。だから、他の人にはちょっとあげたくないんですよ」  その言葉を聞いて、箱を押し返そうとしていた私の力がスッと抜けた。  その隙に脇山さんは玄関の中に絵を押しこみ、「それじゃあ」と言って帰ってしまった。  受け取った箱を部屋の中に入れてベッドに立てかける。そしてこの絵をどうするべきだろうかと考えた。やはり返すべきだろう。  返すべきだと思うけれど、私を描いたという絵がどんなものかは気になる。  一度見せてもらうくらいは問題なさそうだと考えて、箱の中から絵を取り出した。  それは作品展で見た『未来』と名付けられた赤い色調の絵だった。 「これが私?」  私は首をひねる。  絵を壁に立てかけて、私はベッドに座ってその絵を眺めた。  離れて見てもその絵が私である理由がわからない。首を傾げたり角度を変えたりしてもやっぱりわからなかった。  そしてふと視線を移したとき、誕生日にもらったポストカードが視界に入る。そしてその横のコルクボードに貼られた花丸が書かれたコピー用紙も見えた。  そして私は気付いた。  絵の中の四角は教室なのだろう。光を放つ子どもたちと、それを温かく見守る保護者たち。  そして、繭を破ろうともがいているのが、私だ。  脇山さんには失敗ばかりだったあの授業が、こんな風に見えていたのか。  脇山さんにとって私は、まだ繭から出ることもできない子どもでしかないということなのだろう。  それでも涙が出るほどにうれしかった。
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