05,異界のブラッド・ファントム

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05,異界のブラッド・ファントム

 陽が茜色になり、東の空が藍色に染まり始めた頃。  今日も、当然のようにメールが着た。  少し悲し気な様子で、それでも不満のひとつも吐く事無く、千夜鈴は準備を始める。  その背中は、妙に小さく見える。  歳の平均で考えれば大きい部類であるはずの千夜鈴の背中が、本当に、小さく見える。  ――そんな背中になるくらいなら、サクッと辞めちまえば良いのにな。  千夜鈴から少し離れた壁に巨体を預けて、翠戦は呆れたように溜息。  ……いや、呆れたと言うよりは――飽きた。  翠戦はここ数日の鑑賞で、充分に察した。  美桜慈千夜鈴。この少女には――見所が無い。  むしろ、目を逸らしたくなるような、醜劣な箇所ばかりが目につく。  褒められそうな所は、万人が持ち合わせていそうな当然の部分ばかり。  ……だのに、だ。  翠戦が最も愛する「万人が持ち合わせている愚かな部分」だけが、決定的に欠落している!  ――やれやれ。今回はハズレを引いたか。  翠戦は人間の生をひとつの劇として見ている。  要するに、娯楽作品だ。だから、人間を近くで鑑賞するために、人間の願いを叶えてやる。  人間は役者。その生は演劇。願いを叶えてやるのは劇場へ入れてもらうための入場券(チケット)費用。  そうして劇を鑑賞し始めて、途中で察してしまう事もあるのだ。「ああ、これは駄作(ハズレ)だ」と。  翠戦が今回、期待した劇の筋書きは「篭の中の雛鳥が飛び立ち、外の世界を知り、変わっていく。そんな成長物語」。  だが、幕が上がってみればどうだ。目の前で淡々と繰り広げられているのは、「篭の戸が開けられても、外へ出る素振りは無い。篭の中ですべてを諦観し続け、翼を広げようともしない雛鳥の醜態」。  あんなものは、役者(人間)の振る舞いではない!  こんなものは、()ではないッ!  駄作云々以前の領域で、どうしようもなく出来が悪い!  ――さて、オレはどうすべきかな。  願いを叶える約束と言うチケットを破り捨てて、さっさと劇場から出ていくか。  それとも、野次を飛ばして役者のケツを叩き、劇を持ち直させるか。  果たして、後者の労力を払うだけの価値が、この役者に、この劇に存在するのか?  翠戦は、傑作が見たい訳ではない。愉快であればあるほど良いものではあるが、別に、人間風情にそこまで高望みはしていない。  凡作でも良いのだ。むしろ、凡作こそが人間らしい。凡作しか紡げないくせに、傑作を仕上げる事など不可能だとわかっているくせに、それでも歩み続ける姿をこそ見たい。  翠戦が許容できないのは、駄作だけ。  傑作になろうともしない、凡作にもなれない、見せ場などないどこまでも平坦な時間の浪費。許せる訳がない。  ――さて、どうしようか。  見切るにはまだ早いか、それとももう充分か。  翠戦が決めあぐねていると、 「……ちょっと、いいなのですか?」 「んお?」  不意に声をかけてきた、小さな――いや、翠戦からすれば大抵の人間は小さいのだが、それを踏まえても殊更小さな――メイドさん。  ぴょろんと跳ねたアホ毛が特徴的。美桜慈家のメイド、ミィだ。 「ほぉん。お前さんの方から話しかけてくるとは、珍しい」  ミィは、魔物を異様に毛嫌いしている。  ……まぁ、退魔協会の所属者なんて、九割九分九厘が魔物関係で酷い目に遭っているのだ。協会から派遣されてきたメイドさんが魔物を蛇か毒虫のように嫌悪していたとして、何の不思議も無い。  翠戦がこの屋敷にやってきた初日は、それはもうすごい大騒ぎをしてくれた。  二日目以降は後片付けをする千夜鈴に気を使ってか暴れなくなったが、それでも翠戦に対しては常にアホ毛を逆立てて「フーッ!」と唸り散らし、野良猫みたいな威嚇をしていた。  それがどう言う心境の変化か。こんなにもしおらしい様子で話しかけてくるとは。 「青虫オバケ。お前は、チョリ嬢を幸せにするために来たと言っていたなのですね」 「あー……ああ、まぁ、そのつもりで来たが?」  最初は、そのつもりだった。今は、どうしようか迷っているが。 「お前のおかげかは知らないなのですが、ここ数日のチョリ嬢は、仕事後に余裕があるように見えるなのです」 「ン。そいつは勘違いだ。退魔業に関しちゃあ、オレは何も手を貸してない。ここ数日は単に、運が良かっただけさ」  翠戦の言う通り。  ここ数日、千夜鈴は貧弱な魑魅霊(すだま)の類しか相手にしていない。余力が感じられるのはただそれだけの事。  別に、翠戦が補助をしている訳ではない。 「ぬに……そうだったなのですか? むぅ……」  見当ハズレだったとは……とミィは居心地が悪そうに口角をもにょもにょさせ始めた。  しばし、もにょった後、 「じゃあ、まぁ、それはそれで良いなのです。今後の事について、ひとつお願いがあるなのです」 「……お願い? オレの事をあんなに毛嫌いしてたお前さんがか?」 「……その事については、謝罪を要求すると言うのなら、謝ってやっても良いなのです。だから、お願いがあるなのです」  ――ほぉ、そいつはまた。  あれだけ魔物を嫌っていた女が、魔物に頭を下げてまで叶えたい願いがあると来た。  それだけ大きな欲望! そして、欲望のためならば何もかもを投げ捨てられる愚かしさ!  いい、良い、好い! 随分と面白そうな話じゃあないか!  そう言うの! そう言うのを待っていたのだ!  翠戦は黄色い嘴を歪めて笑いながら大きく身を捻り、食い入るようにミィの顔を覗き込む。 「言ってみろ。人間風情。場合によっちゃあ叶えてやるよ、その願い」  ――まぁ、対価もきっちり、いただくがな。 「チョリ嬢を、守って欲しいなのです」 「……あん?」 「何を言ったって、チョリ嬢はきっと戦いに行くのをやめてはくれないなのです。チョリ嬢は……言い方は悪いかもなのですが……『呪われている』なのです」 「どうしてそう思う?」 「……チョリ嬢、気を抜いている時、たまに一人称が『アタシ』になって、口調も、普通の女の子になるなのです」  翠戦の知る限りではそんな事はなかったが……翠戦よりもかなり長い付き合いのミィが言うのだ。そう言う事もあるのだろう。  ――つまり、今のあの振る舞いは、虚構(つくりもん)か。  誰かの真似事……まぁ、察せられる答えは多くない。  父親か、兄弟か、兄弟分か、恋人か、友人か。ともかく、「僕」が一人称で、優しい王子様みたいな喋り方をする誰か。その誰かの意志を継ぐと言う決意の現れなのだろう。 「……ああ、呪い、か。しっくり来る言い方だ。確かに、あのお嬢さんは呪われてるんだろうさ」  だから、つまらない。  呪い――誰かの意志に、動かされているだけ。  自意の欠落した棒演技しかできない無能の三文役者。  実に、駄作の主演らしい事だ。 「ミィは、チョリ嬢に生きていて欲しいなのです。でも……チョリ嬢から、退魔士業を取り上げる事はできないと思うなのです。だって、チョリ嬢は……最悪の形で、退魔士と言う職業に依存しているなのです。多分、退魔士を辞めたら、チョリ嬢はチョリ嬢ではいられなくなるなのです」  だから、守って欲しい……と。 「…………ん? 退魔士を辞めさせたら、お嬢さんはお嬢さんじゃあなくなる……?」  ミィの言葉に引っ掛かりを覚え、翠戦は顎に手をやった。  ――……ああ、成程。そうか。そう言う筋書きも、あるのか。  少し考えて……翠戦は気付いた。己の失敗に。  この役者が演じる劇の主旨を、オレは履き違えていたのか! と。  千夜鈴が演じるべき劇目は、「退魔士の宿命(カゴ)に囚われた少女がその宿命(カゴ)から逃げ出し、新たな世界を知って成長する物語」――などではなかった! 「そも、あのお嬢さんをカゴの外に出てもらうってのが、解釈違いだったって訳か。ああ、ああそうだ。言われてみりゃあ、あの男にも『あの子を救って、幸せにしてくれ』としか願われていない……!」  ――「あの子を退魔士ではない普通の少女にしてくれ」だなんて、願わてない! 「ククク……クァ、クァパパパパパパ!」  ――やはりオレにゃあ、人間の考える事はよくわからん……がッ! だからこそ奇天烈で面白い!  万事において世界を圧倒するはずの河童ですらも及ばない、人間の【強欲】ッ!  それはただ「欲が強い」と言うだけでなく、欲の造形も、そこまで器用に洗練するのかと! そんな欲の形があるのかと! そんな願望の到達点が存在したのかと!  欲の発想力に、下の嘴が地に落ちかねないほどに愕然とさせられる!  河童の身では想像もし得ない願いを、劇を、その超展開を! 人間は見せてくれる!  これが、限りある力で限りある命を燃やす、限界だらけの惨めな生き物の見地!  己の限界を越える願望を叶えるため、鍛え上げられた発想力!  息をするように世を思い通りにできる河童では到底、得難い能力! 故に思い付けない筋書き!  愚劣であるからこそ、人間に発現した性質!  万人が当然のように持ち合わせる、愚かな、どこまでも愚かな、そして愛おしい美点!  それが、【強欲】ッ!  それこそが、河童の愛する人間! 「ちょ、青虫オバケ? 何を豪快に笑っているなのです? と言うか、ミィのお願いについての返答は!?」 「クプ、クパパ、クプププ……あぁ、安心しろ。お前さんのその願いは、既に承知したものだ。対価もいただいてる。なら、叶えるに決まってるだろ。オレは河童だぜ?」 「へ……?」 「面白くなってきたじゃあないか……!」  さぁ、とびきりの野次を飛ばしてやろう!  そうして、ふざけた大根役者の目を覚まさせてやろうじゃあないか!
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