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教会内部、聖堂。真ん中に道を作る形で、横長の木椅子が両脇に一列ずつの二列、等間隔に並べられている様がまさしくと言った感じ。
真ん中の道を真っ直ぐに進めば、神父さんが説教をするための教壇がある。
教壇に立っていたのは、黒衣の男だった。
……だがしかし、ステンドグラスから僅かに差し込む僅かな月明かりしかない薄暗闇の中でも、「あれ」を聖職者と見間違える事はないだろう。
「ヴァファファファ……よく来たな。我輩に挑む愚か者よ」
奇妙な笑い声をあげ、教壇にてふんぞり返る黒衣の男。
血黒色の長い髪をオールバックヘアに整えており、一目で悪辣なニュアンスを感じ取れる笑みを浮かべている。
眼球は黒く、瞳は紅い。笑う口にずらりと並ぶのは狼のような鋭い牙。黒衣の正体は、マントだ。妙に襟が高く尖っていて、留め具部分には無駄に大きな琥珀色の宝石があしらわれた、妙に気取ったマント。
明らかに、人外。
その外観的特徴に合致する妖怪は知らない。正体はやはり不明か。
警戒の糸がほんの少しもたゆまないように気を付けながら、千夜鈴は静かに腰を落とした。
刀を水平に構えて、いつでも飛びかかれる体勢を作る。
正体不明の敵に対して、後手に回るメリットは少ない。
「ヴァファファファ。ふむ、悪くないのである。とんだ美丈夫かと思えば、女であったか。うむ。うむ。褒めてやるのだ。見目麗しい女は、我輩の好物なのである」
蛇のように先が割れた細い舌をチロチロさせながら不気味に笑う黒衣の男。
構わず、千夜鈴は床を蹴り砕いた! 刀を振りかぶりながら全速力で、突っ込む!
退魔士の心得――何かが起きる前に、殺せ!
韋駄天が如き健脚を以て、刹那の間に接触距離へ。
「シッッ!」
全力、横薙ぎの一閃。薄桜色の残像で弧月を描き、首落の刃は黒衣の男の首を完璧に捉えた!
「適度に華弱い所も、愛い」
「――なッ」
何と言う事か! 千夜鈴は黒衣の男の首に完璧な斬撃を入れた……だがしかし、黒衣の男は平然ッ! 薄桜の刃は首の薄皮一枚すら穿てていない!
千夜鈴の腕に、じんわりと不快な麻痺が広がる。鉄の棒で鋼鉄の壁を叩いたような、そんな反動。
……これは、この感触が物語るのは、異能による斬撃無効や強烈防御の類ではない……純粋に、この黒衣の男の肌が堅いと言う事実!
退魔士の腕筋によって振るわれた全力の一太刀が、何の種も仕掛けも無しに、一蹴されたのだ!
「ヴァファファファ! おいおい、驚き過ぎだろう? 可愛過ぎであるか、貴様」
明らかな嘲り。しかし、千夜鈴にはその嘲笑に対して不快感を覚える暇は無かった。
黒衣の男が、異様に伸びた爪の五指を大きく広げて、腕を伸ばしてきたのだ。
襟を掴まれる、と判断した千夜鈴は、急ぎ、バックステップで後退した。
「うむ、髪の質も良いのである。まるで聖水の流れに手を浸しているような触り心地なのだな」
声は、背後から、耳元に囁かれた。
視界の端に、馬の尾のような毛房を弄ぶ爪の長い指が見えた。
「ッの!」
背後を取ってくる魔物なんて、珍しくもない。
振り返り様、千夜鈴は全力で刀を振るって攻撃――だがしかし、またしても、黒衣の男の肌は穿てない。
ガギィンッ、と激しい音を鳴らして火花を散らし、千夜鈴の腕に痺れをもたらすだけ。
「おおっと。何と言う事か。貴様が急に動くものだから、見ろ。我輩の爪が貴様の髪をいくらか切ってしまったではないか」
首にあてがわれ、現在進行形でギャリギャリ火花を散らしながら切断を試みる刃になど気にも留めず、黒衣の男は掌に残った千夜鈴の髪の数本を残念そうに見下ろしている。
そして、何を思ったか――
「やれやれ、この逸品を放り捨ててしまうのはしのびない、のだなぁぁ……」
その細長く先割れした舌で、千夜鈴の髪の切れ端を、ねっとりとねぶり舐め回しながら、口の中へとしまいこんだ……!
「ひッ……!?」
これには千夜鈴、背筋を舐めずるような不快感を覚え、思わず高い声で短い悲鳴。まぁ、当然だ。今のは余りにもキモい。
青ざめる千夜鈴とは対照的に、黒衣の男はやや頬を紅潮させてうっとり気味だ。心底キモい。
「ヴァファァァ……味も、重畳ォ。反芻しておくか。ぅえぷ」
「うああああああ!? やめろ! 僕の髪を堪能するなぁぁぁ!」
悲鳴のように叫びながら千夜鈴は黒衣の男を何度も斬りつけるが、結果は変わらない。
どこを斬っても、千夜鈴の腕の方が痛むだけ。黒衣の男はうぷうぷ言いながら恍惚の表情。非常にキモい。
「ヴァファファ、そうか、髪を堪能されるのは嫌か。では……」
黒衣の男が腕を軽く振るった。ただその一動作だけで、千夜鈴の腕が止まる。
刃を、掴み止められた。それも、指二本で挟む形で、いとも容易く。
「……!?」
指二本に挟まれただけで、両腕の全力押し込みが完全に止められてしまっている。
プルプルと震えながら力を込める千夜鈴に構わず、涼しい顔で、黒衣の男は大口を開けた。
唾液が付着して、月明かりに煌めく無数の牙。それを剥いて――
「本命を、いただこうなのだ」
「ッ、ぁ……!?」
首が、焼けるように熱い。
深々と、牙を突き立てられたのだと、すぐにわかった。
熱の正体は、黒衣の男の唾液と吐息、そして千夜鈴自身の血の感触……!
じゅるッ、と言う嫌な音が鳴る。
――吸……!?
吸われている、血が。
牙が皮膚と肉を穿って噴出した血を、黒衣の男が啜り、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んでいる……!
どこまでもキモいッ!
「は、な……せ……!」
拒否する、と言う返答代わりか、じゅるるるるるるッと吸血音が激しくなった。
酷く激しく強烈にキモい……とか、言っている場合ではない。
「ぅ、あ、ぁ、ぁああぁぁぁ……!?」
まるで、搾り取られるようだ。血が、どんどん吸い取られていく。
やがて、千夜鈴は奇妙な感覚に襲われ始めた。
それは――快感だ。
何とも言えない快感。全身を優しく揉みほぐされているような、心地好い幸福感が、脳を痺れさせていく。
――絶対に、おか、しい……こん、にゃ、のぉ……!
「ぁ、ん、んん、はぁ、ぁぁ……!?」
放せ、離れろ。もうやめろ、やめてくれ、おかしくなる。
そう叫びたかったのに、千夜鈴の口からこぼれたのは、嬌声とも言えるような艶のある喘ぎだけだった。
なんとはしたない声だろう、淫猥にもほどがある……!
そんな声を自分が出してしまったと言う恥辱が背筋をゾクリと舐めずり、どう言う訳か快感を加速させていく。
口から零れる唾液を止められない。足腰がどうしようもなく震えてしまう。混乱する思考すらも、溶かされ、蕩かされていく。
「……ぁ、ぁぁ……」
遂には、喘ぐ事すらできなくなり――千夜鈴の意識は、暗転した。
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