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――ああ、そうかい。俺も、そうやって消えるのかい。
霞む視界の中で、ふたつの崩壊が見えた。
ひとつは、水晶の鱗に覆われた巨体。頭部を失い、絶命し、世界に拒絶されるように消えていく。
もうひとつは、足だ。爪先から徐々に、粒子以下の滓に分解されて消えていく足。
それが自分の足だと言う事くらい、脳まで焼けただれた男にだって理解できた。
魔物のように消えて、遺体の一片も残らない。
きっと、魂さえもこの世界から消し去られるのだろう。そんな感じがするのだ。
――人間をやめた奴には、相応の末路か。
覚悟はしていた。それでも、苦しいものだと思う。
――……人間らしく泣き叫ぶ機能が残されていたなら、きっと酷い醜態を晒していた事だろう。
ああ、辛い。
何が辛いって……もう戦えない事が、ただひたすらに辛い。
そう長く戦えない事はわかっていた。覚悟もしていた。でも、惜しい。
他に、もっと上手いやり方があったのではないだろうか。
もっと上手く、あの怪物の力を使う術があったのではないだろうか。
そうしていれば、あと一度か二度は多く戦えたのではないだろうか。
……そんな不毛な未練、途方もない悔しさを覚える。
人間とは、強欲な生き物だ。
死の際になっても、思い付くのは未練がましい事ばかり。
恥じる事もなく奇跡を望んでしまうのだ。
荒唐無稽でどこまでも自分勝手な願いを思い描きながら、願いよ叶えと強請ってしまう。
――もう、神様でも悪魔でも、何でも良い。誰か、俺の願いを聞いてくれ。どうか、俺の代わりに――
「おう? 珍しく【御同類】の気配を感じたから見に来てみたんだが……何だぁ? 混ざり者って所か、お前さん。珍妙な者だな」
――祈る男の前に唐突に現れたのは、神と呼ばれる事もある魔の類だった。
「クァパパパ。ああ、珍妙だが、嫌いじゃあない匂いがする。ふんふん。いいよ、言わんでもわかる。筋肉を見りゃあ、大体の事は読み取れるもんさ」
巨体を揺らしながらしゃがみ込んで、そいつは男を吟味するようにじろじろと観察。
「――ああ、いい、良い、好いよ、お前さん。睨んだ通り、オレの大好物。欲深な人間様だ。世の理に不満を持って、必死懸命に、死ぬ者狂いでまさしく死ぬまで足掻き続けたその末路にいる。身の程知らずに世界を引っ繰り返そうとした愚か者の成れの果て。最ッ高の見ものだぜ。クァパパパパパパパ!」
そいつは、黄色い嘴をぐしゃりと歪めて笑った。
嘲笑……ではない。
「今も昔もオレは! そんな愛らしい愚かな人間に! こう言って手を差し伸べると決めている!」
ぬぅっと男の眼前に差し出された、大きな手。
しっとり湿ったまるで翡翠の宝石のような皮膚に覆われたその手は、成人の頭を摘まんで潰せそうなほどに大きく、それ故に頼もしいものだった。
「お前さんの願い、このオレが叶えよう。……なぁ~に。御代はその辺の羽虫ですら持っているありふれた乱造品――お前さんの、命、魂さね。こりゃあ悪くない話だろう? その風前の灯火みたいにしょぼくれた生命に、破格の高値を付けてやろうってんだ」
――その存在は、命を対価として、力を貸してくれる事があると言う。
「さぁ願えよ、人間。この河童に、その身に余る大望を!」
これは、ある男の終焉。
そして、狂った世界への反逆、その始まりである。
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