02,廃屋敷の皿

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02,廃屋敷の皿

 冷たい夜が終わり、空が白む頃。  和風の邸宅と言われれば大方が想像しそうな立派なお屋敷の屋根の上に、その人は仁王立ちしていた。  白桜色と黒色で構成されたエプロンドレス――いわゆるメイド服に身を包み、ぴょろっと跳ねた一房のアホ毛が特徴的な、小さなお姉さん。  小さなメイドお姉さんは白い息をフッと吐くと、東の空に浮かぶ朝陽を見据えてニヒッと子供っぽく笑い、 「美桜慈(ちゅらおうじ)家の朝は早いなのでーすッ!」  まるで夜明けを喜ぶニワトリの咆哮(コケコッコー)が如く、叫んだ。  ……ご近所さんでは半ば朝の名物となっている光景である。  この小さなメイドお姉さんの正体は――退魔協会から退魔士の生活補助を目的として、この美桜慈邸に派遣された職員。名は辺山(へんざん)壬唯(ミイ)。愛称は「ミィさん」。  要するに、美桜慈家の使用人さんである。 「――よし! 朝の日課、完了なのです!」  とうッ! と元気に短く叫んで、ミィはぴょんっと跳んで屋根から庭へ。立派な庭石の上に降り立ち、その上でひらりくるりと横に二回転。更にもう一度ぴょんと跳んで、今度こそ庭の芝生へ着地。 「おはようございます。毎朝お元気ですね。ミィさん」 「むむッ!?」  着地したミィを出迎えた朝の挨拶。  ミィが過敏な猫のように反応して振り返ると―― 「チョリお嬢様!? 既にお目覚めだったなのですか!?」  軒先に立っていたのは、やたらに長いポニーテールと王子様フェイスが特徴的な、セーラー服&カーディガン姿の女子高生。  美桜慈家現代当主、即ちミィが使える令嬢様、美桜慈千夜鈴(チヨリ)だ。 「はい。もう七時前ですから。朝御飯の用意もできていますよ」 「ええ!? ミィの気分的にはまだ四時頃なのですが!? しかしながら言われてみれば太陽さんの位置で納得な気もするのです! 何と言う事なのです!? ミィはまたまたまたまたなのですか!?」 「ふふ。相変わらず、元気なお寝坊さんですね」  狂ったように長いポニーテールを揺らしながら、千夜鈴はお得意の微笑を浮かべた。  流石に雪は降らないだろうが充分以上に寒々しい、そんな時節においても温かく爽やかなその微笑みは、相手に負のニュアンスを決して与えない。  実際、今の千夜鈴の発言は、親しい者へ向けられる好意的なからかいのようなものだ。 「むぅ……不覚なのです……ぐぬぬ。この屋敷に来てから丸々っと一年ほどは経過しているはずなのですが、思い返すとミィには朝食を作った記憶がありません……! チョリ嬢、起きるの早過ぎなのですよ! メイドのお仕事ドロボーなのです! と言うか、朝食を作る前にミィを起こして欲しいなのです!」 「ごめんなさい。実は何度かそれも考えた事はあるんですけれど……ミィさんの愛らしい寝顔を見ていると、どうにも邪魔できなくて」 「にゅッ。メリットでしかないと思っていたミィの可愛さが、思わぬ所でデメリットに!?」 「そう言う事ですね。――とりあえず、そろそろ朝食にしませんか? 温かい内が、美味しいですよ」  本来なら腰を抜かすほど叱られても文句は言えない駄メイドのミィに対し、千夜鈴の物腰はどこまでも柔らかい。  正直、心中では「早く食器を片付けて登校しないと遅刻してしまうので急いでいただきたい」とか思っているのだが、それを口にしてしまうとミィに朝食を急かしてしまう事になる。一日の始まりである重要な食事を慌ただしく焦らせてしまうのは、しのびない。  と言う訳で、千夜鈴はあくまでも微笑のまま優しく、それでいて可能最大限速やかに、困ったメイドさんを朝食へと誘導する。 「そうなのです! 冬の朝は温かな食卓無くしては立ち行かないと聖書にも書かれているなのです!」 「……書かれていましたっけ……?」  聖教(せいきょう)系の女学院に通っている千夜鈴は、聖書の内容を全体的に触り程度には把握しているのだが……そんな記述に覚えが無い。  まぁ、「ミィさんはこの世のあらゆる物事に対して独自解釈と拡大解釈の合わせ技で独特な人生観を構築している非常にユニークな人」だと理解しているので、深くは突っ込まない事にする。 「とにかく、さぁ。眠気覚まし――が必要とは欠片も思えませんが、一応モーニング・ティーの準備も万端にしてありますので。ささ」 「お紅茶までも!? 毎朝変わらず至れり尽くせりなのです! これではどちらがメイドかパニック案件なのでは!? ミィのアイデンティティがクライシスなのでは!? どうなのです、その辺り!?」  千夜鈴は「今更なのでは?」とも思うが、それをそのまま言葉にするのは少々嫌味っぽいと判断。  しかし、質問を無視するのも嘘を吐くのも主義に反するので、 「ミィさんの(容姿は勿論ですが、メイドとしてのスキルに関しても)非常に可愛らしいので、僕も頑張ってしまうんですよ」  王子様が如き微笑(プリンス☆スマイル)で誤魔化しをきかせつつ、良い方向に誤解してもらえるよう、大幅に言葉を省いてみた。 「にゅッ、やはりミィの可愛さ権化的魅力はメリットの塊でもあったなのですね!」 「はいはい可愛い可愛いですね。では食卓へ。さぁさぁ」  そろそろ遅刻のデッドラインがチラチラ見え始めたので千夜鈴の対応がかなり急激に雑になったが、ミィはそれを遥かに上回る大雑把な感性で生きているので気付かれない。「やぁー、よくある事なのですが、正面からそうベッタベタに褒められちゃうと何度だって照れちゃうものなのですよー」などと元気に寝言を言いながらはしゃぐミィの背中を優しく押しつつ、千夜鈴は朝食を用意してある部屋への物理的誘導を開始。  まるで王子様みたいだと評され、「チヤリ」とも読める名前も相まって一部では「チャーリー王子」などとアダ名されるほどに物腰柔らかな女子高生にだって、限度はある。そしてこの駄メイドは、その限度を朝の挨拶感覚で越えていくのだ。  ――と、ここで唐突に、三線の音色が聞こえ始めた。  音の発生源は千夜鈴の胸ポケット。電話とメール以外の機能を削ぎ落とした非常にスマートな携帯電話に着信が入った報せだ。 「おや、チョリ嬢、お電話なのです?」 「いえ、メールの方ですね」  今、忙しいのに……とは思うが、愚痴は零さず、千夜鈴は携帯電話の画面を点灯させて内容を確認する。 「……!」  幼少から鍛え上げた眼筋による驚異的速読力を以てその長文メールの内容を秒で把握し、千夜鈴は表情を曇らせた。 「……お仕事、なのですか?」  千夜鈴の表情の変化から、ミィも察したらしい。  先ほどまでの駄メイド阿呆感はなりを潜め、その幼な顔には千夜鈴を案じる子犬のような表情が浮かぶ。 「ええ、はい。それも緊急のようです」 「緊急って……!」  今は、朝だ。  千夜鈴の仕事は基本的に夜である。退魔士が相手とする魔物が、夜にしか活動できないからだ。  陽のある内に活動できる魔物は、極一部の特殊なタイプか、常軌を逸した大物か。  どちらにしても、陽の下で活動する魔物は厄介者で間違い無い。  ――……退魔士の殉職率は、ほぼ一〇〇%だと言われている。  何故かと言えば単純明快。大抵の退魔士が、引退する前に魔物との戦闘で命を落とすから。  無事に引退できた退魔士なんて、現在存命中に限れば五指で数え切れる。歴史資料を漁っても、三桁はいかないだろう。  退魔士の名家として、幼少から狂気をも帯びた訓練を受ける美桜慈の退魔士ですら、例外ではない。  ……現にこうして、千夜鈴は独り。  退魔協会に気遣われ、日常生活の補助員(メイドさん)(補助された記憶はないが)を派遣されている状態だ。  どれだけの実力があったとしても、魔物との戦闘はいつだって不安しかない。厄介者が相手となれば、なおさら。 「……今日は、学校をお休みしなきゃですね」  その不安を捻じ伏せるように、千夜鈴は「今日は」の部分を強調した。  明日は、ちゃんと登校する。そんな決意を込めた。 「………………」  ミィは何かを言いた気。しかし、ギュッとエプロンドレスのスカートを握りしめて、堪えている様子。  ――退魔協会の職員には、「魔物のせいで家族を失い、協会に保護された孤児」と言う過去を持つ者が多い。魔物への恨み、はたまた、同じ不幸を増やしたくはないと言う願い。動機は様々だが、そう言った境遇の子供達が成長して、協会所属の退魔士か退魔士を補助する職に就くからだ。  ミィの過去について、千夜鈴は聞いていない。でもミィの態度を見ていればわかる。  ミィはいつも、千夜鈴が仕事に出向く時、親に置き去りにされた幼子のような顔をするのだ。「行かないで、いなくならないで」……そう懇願するような顔。  それが意味する所を察せないほど、千夜鈴は幼くない。  そして、その心境を理解できるだけの経験が、千夜鈴にもある。  だから千夜鈴は、ニッコリと笑った。 「ミィさん。昼食の用意、お願いしても良いですか?」  ――必ず帰ってきて、いただきますから。安心してください。  言外に、そう宣言する。 「……嫌なのです」  対してミィ。まさかの拒否。  潤んだ瞳を隠すように俯いてしまった小さなメイドさんは、小さな小さな声で続ける。 「ぶっちゃけるなのです。ミィは可愛いだけの無能なメイドなのです。だから昼食の用意なんていたしませんなのです。……でも、それだと、ミィもお腹が空いてしまうなのです。可愛いミィが可哀想な事になるなのです。そんな事態を看過するなんて、人として許されざる事なのですよ……?」 「……はは……それは、由々しき事態ですね」  ――本当、有り難いな。  自らが取り繕ったぎこちない微笑が、自然と込み上げてきた呆れ笑いに塗り潰されるのを実感して、千夜鈴は心底からそう思う。  ……この人が来てくれてから、ほんの少しだけれど、仕事前の緊張が和らぐようになった。  良い意味で、ポンコツなメイドさんだ。 「えぇ、はい。わかりました。必ず、そして早めに、帰りますね」
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