交番にて

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『だくだく法』とは、空気を読む事に重きを置いている日本人の為に制定された、新しい法律である。  内容を簡単に言えば、『正論や法律よりも、その場の空気を読むことを重視することを課す』と言うもので、だくだく法の『だくだく』は、落語の『だくだく』が由来になっている。 「お願いします!」  男は、私に深々と頭を下げてきた。  確かに、さっき聞いた境遇を考えれば、『死んだほうがマシですね』と、私も喉の寸前のところまで出かかった。もちろん、言えるはずがないが。 「あなた、お名前は?」 「深町です」 「深町さん。良いですか、アナタが死んだら悲しむ人が大勢いますよ」 「そんな人、いません」 「いいですか……世の中には生きたくても生きることが出来ない方がたくさん……」 「そんな人だって、私のような境遇になれば死にたくなるに決まっています!」  情に訴えても無理そうなので、私は正面突破を試みた。 「深町さん。死ぬのはよくありません。もし、生き続ければ、まだ何か良いことが起こるかもしれません……」  我ながら、言っていて虚しくなった。だが、目の前にいる男性に向かって「死んだほうがマシだよ」というデリカシーのない発言は、私にはできない。 「ですから、深町さん。死んだらいけません。強い意志を持って生きていれば、きっと借金も返して、また奥さんと……」 「部長」  と、私が熱弁していると、奥から部下がやってきた。 「お前、どうした?」  すると、部下は私の質問に返事もせず、私の両腕に突然、手錠をかけてきた。 「何をするんだ!」 「部長、だくだく法違反の現行犯で逮捕します」 「え?」 「空気読んでくださいよ。奥で聞いてましたけど、こんなもう人生詰んでいるような人に向かって「生きろ」って、死んだほうがマシに決まってるじゃないですか? 正論言う前に空気よんでもらえますか?」  部下は、深町さんを指差して言い切った。コイツ、よく正面からそんな事が言えるな。 「そのお巡りさんの言う通りです」  そんな無礼な事を、自分の子供くらいの男に言われても、深町さんは「お願いします」と、また頭を下げてきた。  そこまで死にたがっている人を、心無い正論で「生きろ」と宥めて、私が逮捕されていたら、それこそ馬鹿らしい話だが…… 「わかった。空気を読もう。深町さんを死んだ事にして手続きする」  法律がある以上、逮捕されるわけにはいかない。 「ありがとうございます」  感謝をしている深町さんの横で、私は納得はしていないが、空気を読んで「男性が一人、借金苦で自殺した」と言う報告を無線で入れた。
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