異変

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異変

 いつもとは違う朝。  どうでも良い結論の出ない話をしながら、普通だったら通らない道を通る。その非日常な空気が、雰囲気が、声には出さないが心地よかった。  もうそろそろ朝練のない奴らも、学校に向かい始めている頃だろう。皆が当たり前の日常をなぞっている間に、俺達は日常からはみ出た異物となって世界を歩く。  その何とも言えない背徳感と、そして天に広がるでたらめな程の青い、雲一つない空が、珍しく俺の心を高揚させているのだろうか?  それとも、これから起こるであろう何かに、俺はーー。 「着いた」  短い言葉が前から聞こえてきて、ふと我に返る。自分の頭の中に籠っていたせいか、いつの間にか辺りの風景もがらりと変わっていた。  そこは家が立ち並ぶ住宅街ではなく、森の入り口。住宅も中心部に比べてかなり減り、普通ならばこんな場所に好んで来る人間は多くはない。  そんな場所に立って、足を止めている彼女。その理由を聞こうとして、彼女の体に震えがまた戻っている事を握っている手から察する。 「ここからは俺が前に出る。案内してくれるか?」  まさかここが、辿り着きたかった場所じゃないだろうと笑えば、彼女は隣に立った自分を見て首を縦に振る。 「ありがとう」 「いいって事よ。っとその前に」  俺は鞄の中に忍ばせているスマホを取り出して、家に電話を入れる。 「ただ今留守にしております。電話の方はピーという音の後に・・・」  昼間は誰もいない為、当たり前の様に留守番設定になっている自宅の電話。その無機質な音声が淡々としゃべり切った後に、俺は一応両親に向けて連絡を入れておく。 「あー、親父か母さん? 今日の学校は休みました、真帆も一緒です。真帆は俺が個人的に連れ回しているだけなので、彼女の両親にも一言言っておいてくれると助かります。理由は帰ったら説明するので、心配しないでください。だから何も気にせず、いつも通りの生活を送っていてください」  それだけ言って、俺は通話を切る。母さんが聞けば、ああいつもの事だと納得してくれる様に、そして親父が聞けば、最後の言葉に隠された意図を見抜いてくれる様に。 「流石に親に言っておかないと、俺もお前も怒られるだろ?」  そうおどける様に笑って、そしてほんの少しだけ気を張り詰めて、俺達は森の中に入っていく。俺が彼女の前に立ち、数歩後ろを彼女が歩きながら指示を出す形で、舗装されていない歩きづらい道を歩いていく。  それにしても、どうしてこんな所にこいつはやって来たんだ?  鬱蒼と生い茂る木々の隙間から、僅かに差し込む太陽の光だけが明かりとなるこの森は、まだ太陽が昇っているのにも拘らず随分と暗い。  足元は様々な草が生い茂り、先に俺がしっかりと踏みしめておかないと、道なき道をスカート姿の彼女に歩かせることになる。そういった目的もあり、ズボンの制服を着ている俺が先に歩くのは当然の事だ。 「おい、大丈夫か?」  手はずっと繋いでいる為、後ろを彼女が歩いているのは見なくても分かる。 規則正しい足音が二つ森に鳴り響き、地面に落ちている小さな木の枝を踏みしめるパキパキといった雑音が、不定期に足元から鳴っている。  だからこそ、俺は尋ねた。  この森に入ってから俺は、前に広がる障害を取り除く為に一度も後ろを振り向いてはいない。けれど手を繋いでいたから、彼女が今どんな思いを感じているのかは分かっていた。  今の彼女は。というより、この森に入ってからの彼女は。  ここに来るまでの緊張や恐怖を、一切感じていないのだ。体も震えていないし、強張ってもいない。  よくよく聞けば、足音もあまりにも規則的だ。障害を取り除く事だけに集中していたから気が付かなかったが、普通の人間がこんな足場の悪い場所を歩くとなれば、確実にその規則性を失う。  俺も彼女も、こんな森に頻繁に入る事はない。そもそもここは来たってなにも無い、ただの森なのだ。入る理由も、やって来る理由すらない。 「なぁ、真帆」  俺は、今までずっと気が付かなかった一つの事柄に気が付く。 「お前は昨日、確かにこの道を歩いたんだよな?」  答えは、帰ってこない。  ただ後ろを歩く足音は、俺が進めばその分進み、俺が立ち止まれば途端に足を止める。まるで一定の距離を開ける事を最優先してるかのようなその歩き方からは、どうやっても人間の熱を感じる事は出来なかった。  いつもならばすぐに気が付くその異常性を、どうして俺は気が付かなかったんだ。  そんな後悔と共に、それでも聞かなくてはいけないと、強い脅迫じみた感情が心の中に湧き出てくる。  知りたい、この先を。そんな欲望も、僅かにあったのだろう。 「ならどうして、この道は今俺が歩くまで、人が通った形跡がないんだ?」  そして結局俺は、その矛盾を口に出してしまった。欲に負けて、知りたいと望んでしまった。 「ふ、ふふ」  その質問に、初めて後ろに立っている彼女が声を出す。しかしその声は、すでに彼女の声ではなかった。幼い少女の様な、それでいてしゃがれた老婆の様な、様々な年代の女性の声が、統率の取れていないまま嗤う。 「目的は、なんだ? 真帆を、どこにやった」  今までも冷たかった後ろに何者かの手が、次第に氷よりも冷たくなっていく。極寒の大地に右手だけ閉じ込められた様な、そんな感覚だ。 「あなたが、dsmom,r」  入った時よりもやけに暗い森の中で、彼女の言葉だけが反響する。そんな聞き取れない言葉、発音で何かを言った途端、俺の視界が一瞬黒で埋め尽くされた。 「!?」  目は空いているのに、何も見えない。太陽の光も、木々の形も、地面の茶色も、何もかも。ただ世界の全てが黒に塗りつぶされてーー。 「おい!」  すぐに色と明かりが戻ってきた瞬間、俺は後ろを振り返る。けれどもうそこには、彼女の姿はなかった。
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