彼女の変化

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彼女の変化

 そしてそれから数時間後。  いつも通りの朝を迎え、何にも変わらない通学路を、俺は真帆と一緒に歩く。  毎日こいつと朝の時間だけは合わせて登校している為、なんてことはない日常が帰ってきた訳なのだが。 「あー、あのな? もうそのどんよりとした雰囲気を出すのはやめろ」 「分かる?」  空は晴れなのに、一人だけどんよりとした表情を浮かべている彼女にそう言うと、泣きそうな顔でこちらを見る。その目元にほんのうっすら隈がある事から、あれから一睡も出来ていないのだろう。 「あの後こってり絞られたんだな?」 「うん。お父さんとお母さんに、めちゃくちゃ怒られた」 「まぁ、当然といっちゃ当然だわな」  こいつの両親は、心の底からこいつを愛している。そんな愛娘がいきなり、何も言わずに深夜に外を歩き回っていたとあれば、心配もするし怒りもする。  この街はどちらかと言えば田舎だから、そこまで夜に営業している店があるわけでもなく、それでいて彼女は今まで夜中に出歩く事を一度もしてこなかった。  そんな中で突然部屋からいなくなっていた時の彼らの心の動揺は、想像に難くない。 「お陰で、史上最高レベルの寝不足だよ」  この間にも大きなあくびを多発している。どうやら本当に眠くて仕方がないようだ。 「なら、今日の部活は休むことだな。睡眠の取れてない体に負荷をかけるのは、要らぬ怪我の元になる」 「うん、そうする」  けど習慣でこの時間に登校しちゃうんだよねと、彼女は笑う。そんな相手に向かって、俺は真剣な口調を作って切り出した。 「なぁ、真帆」 「うん?」 「もしかして、何か怖い事でもあったのか?」  すると一瞬だけ彼女の体が強張って、そして取り繕うに止まりかけた足を動かす。顔には驚愕の表情がちらつき、それを覆うように口元にだけ笑みが張り付いている。 「やっぱり、分かる?」 「まぁ、俺だからっていうのもあるけどな」 「流石、天才。やっぱり、皆とは違うね」  掛け値なしの、素直な賞賛の言葉。けれどその言葉は、俺は正直好きじゃない。 「良くお前にはそう言われるけど、俺は別に天才なんかじゃない。それにこのくだらない能力のおかげで、俺は普通の生活を送るのにも支障が出る時がある。あんまり、良い物ではないよ」  俺には、他人の感情が大体分かる。  瞳の動き、体の強張り、動きのぎこちなさ、僅かに出る本当の表情。それらから、今相手が何を考えているのか推理出来る。 「それに、今回は使うまでもない。明らかに何かに怯えているのが、表に出てるからな」  俺の手を握ろうとして、けれどいつもしていないからどうすればいいのか分からなくなって、途中でやめる動作を何度も視界の端に捉えていれば、怖がっているのなんてすぐに分かる。  そう言って宙ぶらりんになっている彼女の手をこちらから握って、驚く。彼女の手が、あまりにも冷たいのだ。いつもだったら自分の方が体温は低いのに、その自分が驚くくらいに冷たく感じる。 「おい。なんでこんなに、体が冷たいんだ?」 「うーんと、なんでだろ?」 「昨日の深夜に、何かあったのか?」  視線が宙を泳いでいた為、すぐに嘘をついていると理解し、隣を歩く彼女を問い詰める。しかしいつもならばすぐに諦めて話し始めるこいつにしては珍しく、嘘を取り繕う抵抗を始めた。 「いや、違うよ? そんな事は全然」 「俺に嘘は通用しないって、流石に分からなくなった訳ではないだろ?」  こいつと、そして俺の両親。彼らにだけは、俺が持つ本当の能力を教えている。両親には長い間世話になるだろうし、こいつには両親の目の届かない所で世話になると分かっているから。  だから知っている以上、その気になってしまえば嘘など意味が無い事は分かっているはずだ。 「流石に、騙されてはくれない?」 「もっとどうでも良い話なら、いくらでも騙されてやる。けどこれは、軽く流していいもんじゃないだろ」 「そっか」  少しだけ嬉しそうな顔をして、彼女は顔に浮かべていた一切の表情を取り払う。すると偽りの表情の下から現れたのは、純粋なまでの怯えだった。 「なら今日一日、私にくれる?」  これから学校がある事を分かっていて、こういう言い回しをしたという事は。俺を連れて、どこかに行きたいのだろう。 「分かった。どうせ学校に行っても、先生に雷を落とされるだけだ。なら今日一日位、お前にやるよ」 「ありがとう」  すると握っていた手を握り返されて、力強く彼女は俺の体を引っ張る。運動部特有のパワーに引っ張られるように、俺は彼女の後を歩き始める。 「ちなみに聞きたいんだが、これからどこに向かうんだ?」  そう質問したが、前を歩く彼女は答えてはくれない。 「じゃあこれから行くそこは、お前が危険にさらされる場所じゃないよな?」 「それは、大丈夫」  仕方なくもう一つの質問をすると、振り向かずに彼女は答えてくれた。  安全は確保された、けれど口には出したくない場所、か。  彼女が俺を一体どこにつれて行こうとしているのか、さっぱり分からない。けれどこうして俺を引っ張っている手は、今も震えている。  仕方ないな、全く。 「大丈夫だ。昨日は怖い思いをした場所だが、今日は俺と一緒に昼間に向かう。怖い事なんて、何もない」 「うん」  ほんの少しだけ、彼女の体に走り続けていた震えが収まる。こんな言葉で恐怖が和らぐのなら、それこそいくらでも言ってやりたいが、こういった言葉の多用は効果が薄まっていく為、喉元に出かかった言葉の羅列をぐっと飲み込む。 「それにしても、まさか優等生なお前がサボりとは。珍しい事もあるもんだな」 「私は優等生でも何でもないよ。ただ運動が好きな、平凡な女子高校生なだけ」 「部活で取って、そのくせテストはいつも上位にいるお前がそれを言うと、ただの嫌味にしか聞こえないぞ。お前が今話している相手は、部活にも通わず勉強だって下の上くらいなんだから」 「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。それに学校のテストで成績が悪いのは、どうせ本気でやってないからでしょう?」  授業中に眠りまくって、先生からはいつも呼び出しを食らい、なおかつテストの順位も芳しくない人間がいるのなら、普通は馬鹿というレッテルを貼られていてもおかしくはない。    それなのに彼女は、随分と俺の事を高く評価してくれている。 「君の様な出来た人間からそんな高評価を頂けて、僕は幸せだよ」 「だから私は別に出来た人間じゃ。はぁ、もういいわ」  くだらない水掛け論を繰り返したせいか、もうずいぶんと彼女の体の強張りは和らいでいた。
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