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缶を持ったままの彼の手が、するりと肩に回される。私はもう逃げないし、抵抗もしなかった。レモンスカッシュが零れてしまうから。
「俺にくれるって言った小包を取りに来たんだよ」
額に、レモンスカッシュで冷えた唇がぎゅっと押し付けられた。素直になりたい心が疼く。
「でも、置いてったくせに。荷物も私も」
だって、この一日とっぷり浸った悲しみの分の反撃をしたい。
「ごめん、さっきはびっくりしたの。こっちだって緊張してインターホン押してんのに、急にマグカップって言われても……頭の中真っ白だよ」
「ペアなんて気持ちが重かったよね」
「違う!いや、ごめん!ごめんってば!お揃いのマグカップほしかったんだ〜!お願い、下さい」
十川君は、片手を顔の前に立てて謝る。
「ステンレスのマグカップ、使う?」
切れ長の目尻に皺をふたつ刻んで、うんうんと頷く。
「もちろん!じゃあ最初の記念に、このレモンスカッシュを移して一緒に飲もうよ」
乾杯、というそぶりでつまんだレモンスカッシュを揺らした。骨張った指が長い。
「淹れたてのコーヒーとかだと思ってたのに」
わざと尖らせたはずの口の端から、笑みが溢れた。
「確かに、これ結構甘いよね。歯磨きしてね歯医者さん」
私は見上げて、彼は見下ろす。お互いの胸の奥に温かいものが流れる。確かめたかったものは、これだよね。
「そういえば、セミダブルベットだよね?買い換えた寝具の一式。どうして?」
十川君は、伝票なんかをちゃっかりチェックしていたようで、それが愛おしくて身をよじらせた。爽やかに見えて意外と細かく抜かりがない。
「そうだよ。広いベットで大の字で寝たいの。シングルベットじゃ幅が足りなくて」
「そこ、俺の寝るスペースにしていい?」
「私が大の字になって使うベットだってば」
十川君は笑いながら、レモンスカッシュで冷えた唇をまた、私の額にぎゅっと押し付けた。
「それにたしか、ホームベーカリーも届けたはずだよ?朝食までばっちりだ」
彼に会うためだけではなくて、彼が部屋に来る今日をどこかで夢見て、色々なものを注文していた。
「じゃあ来週の休みには、コーヒーメーカーを注文しようかな。マグカップのために」
十川君は小さく首を横に振る。
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