一次会

4/5
236人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
「喜多村さん……だよね? 昔席が隣だった」 「覚えてて……くれたんだ」 「当たり前だよ。ちょっと待ってて。今手、洗うから」  そう言って梅原君は、いそいそと手を洗い始めた。 (こんなところだけど、梅原君と話せちゃった。それに……私のこと覚えていてくれた……)  やっと同窓会に来た意義を見出せた気がした。 「悪いな、待たせて。名刺渡したくて」 「名刺? あ……じゃあ、私も」 「喜多村さんも名刺持ってるんだ? じゃあ、こんなところでなんだけど……」  私と梅原君は極めて社会人らしい名刺交換をした……居酒屋のトイレの洗面所で。そんな状況を客観的に想像して、お互いに笑い出す。 (あぁ、この笑顔だ……)  少し照れたように笑った梅原君の顔を見て、彼を好きだった頃が蘇る。私の心臓も、心なしか当時の速さでリズムを刻んでいるような気がした。  名刺には企業名と肩書が書いてあり、企業名にはIT関係っぽい横文字が並んでいる。横浜にある会社らしい。そして明日香が言っていた通り、『課長』という肩書は本当だった。 「喜多村さんて、ウェブデザインの会社に勤めてるんだ?」 「うん、そう」  数分程、私達は中学卒業後の進路と今の会社についての情報を交換した。 (ずっとこの時間が続けばいいのに……)  そう思うも、呆気なく二人きりの時間は終わりを告げる。 「そろそろ戻らないとな。二人でトイレから出たら、皆に怪しまれるかな?」  梅原君は再び、照れ笑いした。 (どうしよう…あの頃と同じ気持ちになっちゃう……)  思わず加速してしまいそうな気持を必死で抑えた。明日香からは梅原君がまだ独身だと聞いたけれど、あれから私にでさえそれなりに恋愛経験がある。梅原君だって今付き合っている人がいて、その人との結婚を考えているのかもしれない。それにこの歳ともなれば、あの頃のようにときめきだけを楽しめる恋愛をするわけにはいかないのだ。 「それじゃあ、時間差で……私から先に」  そう言ってドアノブを引こうとすると、梅原君の筋張った腕が後ろから伸びてきて、目の前でそれを阻んだ。 「言い忘れてたけど、その名刺……誰にも見せないでくれるかな?」 「え?」  驚いて振り向くと、扉を押さえる梅原君の顔が予想以上に接近していた。狭い空間に閉じ込められ、私の鼓動はこれでもかと速まる。 e7dcee2f-9872-4454-b046-6e6a66482964 「その名刺に書いてある携帯番号、他の人にあまり知られたくなくて。今日実は、名刺忘れたことにしてあるんだ」 (それってどういうこと? 私には教えてもいいの?)  口に出したかったけど、これ以上は無理ですと私の心臓が暴れていたので、 「う、うん……わかった」 とだけしか返せなかった。すると梅原君はゆっくり扉から手を離し、私達は同時に席へと戻って行った。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!