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1.ご飯を食べてほしい
人に飯を提供することを仕事としている人間に、「うちにご飯食べにきてほしい」と言うのは、結構いい度胸をしているんじゃないか……? それともただの天然?
彼女の部屋で智大は思っていた。
アパートのキッチンで、慌ただしく料理をしている彼女の様子をちらりと見る。すると、目が合い瑞希がにっこり微笑んだ。
「もうちょっと待ってて」
慌てて目を逸らす。
智大が瑞希と付き合うようになって二ヶ月が経つが、相変わらずまだ慣れない。会う回数が少ないからかもしれない。
この部屋も訪れるのは2回目である。まだ所在なくて落ち着かないのだ。
1Kのリビングを見回して、女の子の部屋って感じだな、と思った。
本棚を見ると、『彼氏ご飯』というようなタイトルの料理本が3冊もあった。1冊引き出してパラパラめくる。主菜と副菜が一緒にのった、カフェでよく見かけるワンプレートランチのような写真が載っている。
こういうのが今日は登場するのか?
と智大は思ったが、キッチンからしてきた匂いは、写真の料理とは程遠かった。
「いただきます」
ローテーブルに並んだ料理は、白米のご飯に具沢山の味噌汁、筑前煮とほうれん草の白和えだった。
始めに味噌汁に口をつけたが、智大は少し驚いた。
……意外といい出汁だな。
一人暮らしの女子大生の作る味噌汁にしてはとても真っ当。見栄を張ったのだろうか。
「これ出汁なに使ってるの」
「親がいつも出汁パックを送ってくれるの」
「そうなんだ……」
それにしても結構いい物なんじゃないか?
そんなことを思いながら、智大は他の料理にも手をつける。いかにも家庭料理というような特殊なものを使っている料理ではないが、シンプルな味付けがバランスよく箸が進んだ。
智大が勤めているレストランはイタリアンなので、まかないも自然そういうものになる。職場のまかないで食生活が完結していて、最近は家で自炊をしたことがない。腹に染み渡るような素朴なものを食べたのはいつぶりだろうか。
料理をかき込んでいると、左横にいる瑞希がこちらをジッと見ているのに智大は気がついた。
「どう、かな」
少し眉を寄せ、きつく唇を結び、カールしたまつ毛に縁取られた大きな瞳が、上目がちに智大を捉えて不安そうにしていた。
「うまいよ」
箸を置いて瑞希に言うと、彼女の顔がぱあっと笑顔にほころんだ。
「良かった」
そう言ってやっと、瑞希は自分の料理に手をつけた。
お味噌汁は具が沢山入ってるのが私は好きなんだよね、とこちらに言っているのか独り言なのか、嬉しそうに言う瑞希を、智大は目を細めて眺めた。
「ん? 何?」
「いや……」
光を再び宿した瞳に見つめられると、言葉が出てこない。
「言って! 言って、っていつも言ってるでしょ?」
さっきまで満面の笑みだった顔が、今度は膨れっ面になった。
しばらく沈黙した後、智大は言った。
「可愛い、……な、って、思っ、て」
やっぱり言わなきゃよかった、と耳まで熱くなるのを感じながら智大が思った瞬間、「そ、そういうこと言わないでくれる?!」と瑞希が突き飛ばしてきた。
「いってーな」
首から上を真っ赤にして怒りながら瑞希は自分の分を食べ始めた。
言えって言ったの誰だよ。
でも、こんなに赤くなる彼女を見るのも面白い。
「もう食べちゃったの?!」
「職業病なんで」
空になった皿に驚き、あんなに時間かけたのに! と文句を言いながらまだ半分以上残っている料理をマイペースに食べる瑞希を見る。
伏し目がちな目はいかにも恥ずかしさを隠していて、箸を持つ手の指先と整えられた爪がきれいだ。
まだほんのり赤い肌と上下する喉元、小さく開く唇から目が離せない。
「……なんですか」
「言わない」
「食べづらいの!」
怒る瑞希を見ながら、
早く食べ終わってよ。
と智大は思った。
fin.
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