甘話 冷たいスープ。

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 (side理久)  火曜日は、私──忠谷池理久が咲を独り占めできる日だ。  私の部屋に咲を誘って、手料理のディナーを振る舞う。 「なにこれ、冷めたスープ?」  するとテーブルに並んだ冷製スープを一口食べて、咲は不思議そうに皿の中をスプーンでかき混ぜた。 「そら豆の冷製スープだよ。もともと冷たいものさ」 「ふぅん。アヤヒサっていっつも気取ったご飯作るよなぁ」 「そうかい? 口に合わなければ残してくれて構わないよ。温かいものがよければ作り直そう。あなたの仰せのままに」  そう言うと、咲は「うふ。そういう言い方も気取ってんだろ」と、私の質問には答えずに冷製スープを口にした。 「冷たいね」  冷製スープ。  思えば私のような料理だ。  見た目だけまともに整えて、期待たっぷりの舌で触れると冷ややかに突き放す。家庭を知らない私の料理は、気取っているのかもしれない。  そう思うと、一抹の不安があった。  咲と私は少し似ている。  野山とは違う意味で似ている。  私も咲もあの人の傀儡。  高級料理といわれるものばかり、あの人の秘書をしていた時は味わっていた。社長という椅子に座った今も、そういうものばかり食べている。  だから、異常な咲が求める料理が温かい平凡な家庭料理なら、同じく異常な私には、逆立ちしたって用意できないものだ。  生多や初瀬や音待のスープは、きっととても、温かいのだろう。 「……冷たいスープは、嫌いかな」  気がつけば、口を開いていた。  欲しい答えがあったわけじゃない。  嫌いだと言われたとしても、私は咲から離れない。咲も私を必要としてくれている。わかっている。  なら、なぜ尋ねたのだろう。  今しがたの質問をなかったことにしようと、口を開きかける。 「俺はアヤヒサが好きだよ」 「っ……」  けれど言葉にする前に、顔を上げた咲がうっそりと笑ってそう言った。 「私は、スープの話を」 「ん? んー、回りくどい。迷子の迷子の、アヤヒサちゃん」  ──ああ、ほら。  そうやってあなたは、私を簡単に見透かしてしまう。  咲と似ている私が、咲と違うところは……私のわからない私のことは、咲が教えてくれるということだ。  本人にそのつもりは無い。  だが私は救われる。だから、咲のそばに、永遠にいたい。 「咲。私はね、咲が手を引いてくれないと、たまにうまく、歩けなくなる」 「ふぅん? じゃ、あーん」  私が突然なにを言おうと、薄い笑みを浮かべたままの咲はスープをすくい、手を伸ばして私の唇にスプーンを押し込んだ。  抵抗せずに飲み込む。  冷たい液体が喉をすべり、そら豆の濃厚な香りとクリーミィな味わいが口の中に満ちた。 「美味しいでしょ」 「ああ」  味見した時と変わらないはずが、咲の手から食べるととろけるような甘さを感じる。  それに咲に「美味しいでしょ」と言われると、自然に頷けた。  咲はそういう、誘うような話し方をする。魔性の男がいるならば、咲と同じ姿をしているのだろう。 「ね、今度は俺に食べさせて」 「あぁ。仰せのままに」  スプーンを手に取り、白濁した緑の液体をすくう。  咲は私の手ずからスープを口にすると、喉を鳴らして満足げに笑い、色めかしい視線でからかうように私を見つめた。 「冷たいスープは、嫌い?」 「大好きだよ」 「俺も大好き」  ただ応えられるより、心に深く染み渡るやり方だ。  大人になると、素直に甘えることができなくなる。  だけどこればかりは、いつだって素直におねだりしなければ。 「咲」 「ん?」 「今夜、私と頭の弱いセックスをしよう」 「あはっ、いーよ」  言葉遊びで甘やかす年下の恋人に、冷たい私は、まんまと沸騰させられるのであった。  了
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