理性と本能の轍

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6 「【じゃあ、次の曲はしっとり歌うよ!】」  『ルミルカ』の言葉に引き続き、曲がスローテンポのものに変わると、熱狂と興奮に包まれていた観客は一息をつく。  皆、一言一言聞き漏らさないように『ルミルカ』の歌を熱心に聞き入っていた。  そんな時、私は何気なく……本当に何気なく後ろを振り返った。全くの偶然で、そこに何の意図もなく無意識の行為だった。  男と目が合った。  会場の後ろの壁に背をつけて、その男はこちらを眺めていた。上から下まで黒系の服に統一されているので、暗い会場では目立たなかったが、私には何故だかはっきりと見えた。  年齢は30代前半ぐらいだろうか。元はイケメンなのだろうが、今は病的なほど痩せ細っているように感じる。 (あれ? 何か変だ……)  違和感を覚えた私はすぐにその理由に気づく。  彼はじっと観客だけを見ていたのだ。  誰もがステージの『ルミルカ』に注目しているのに、全く興味が無いように見えた。 (おかしな人……それに何だか、ちょっと怖い)  けれど、そう思ったのは、ほんの一瞬で私はすぐにステージに意識を奪われると、その不可思議な男のことなど頭から消え去っていた。  なので、別のライブで彼を再び発見した時、私は本当に驚いたものだった。 (この変な人、前にもいたよね。いったい何を見てるんだろ……)  それから、妙に彼のことを注目するようになり、直に彼がどのライブでそうしている事実に気付く。  もちろん、私が全てのライブに参加できる余裕などはなかったので、絶対とは言えないが、少なくとも私の参加したライブには必ず現れていたので、きっと他のライブも同様なのは間違いなかった。  もっとも、財力のあるコアな信者なら全参加もありえなくないが、どう見ても彼が『ルミルカ』の熱心な信者とは思えなかったのだ。  そして、ある日のライブ終わりに――たまたま陽菜が都合で参加できなかった日――私は思い切って、いつもの定位置に陣取っていた彼に話しかけた。 「少し良いですか?」  知らない女の子に声をかけられ、彼は驚いたように覗いていたスマホから顔を上げた。  待ち受けに戻した画面には見慣れた紋章が映っていないことで私は確信する。 「いつもライブで顔を合わせますけど、あなた『ルミルカ』信者じゃないですよね。何で参加してるんですか?」  自分が信じているものを彼が信じていないのが不満だったのか、言葉に非難の色が含まれていたのは否めない。  彼は苦笑いすると答えた。 「僕は確かに信者じゃない。けど、関係者なんだ」  そうか……ライブのスタッフさんか。  とんだ早とちりだった……ん、でも待てよ。他のスタッフさんはスタッフ用の名札やジャンパーを着ていたはずだ。  けど、そんな格好はしてない……やっぱり変だ。  私の疑いの目を見た彼は苦笑いし、辺りを気にしながら小さな声で自己紹介した。 「僕はね『三休法師』っていうんだ。知ってるよね?」
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