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俺らにとって最後の夏。何故か絶対に甲子園に行けるという自信があった。
結果はベスト4。
決勝に進むことすら出来なかった。
同じく甲子園に届かなかった同期たちは急に勉強をするようになった。
塾に行くようになった。
そして、俺がいつものようにふざけているとどんどん距離を置かれるようになった。
だから俺は何もしなかった。
だが、その何もしないということもまた、彼ら『受験生』からするととても異質なことのようだ。
何でそんなに頑張れるんだよ。
そんなくだらないことばっかり考えていたら夏はあっという間に過ぎていて、気づいたら11月になっていた。
<中間テスト 英語 補習>
神谷良夜
18時に3年A組に来なさい。
明月
夜の窓ガラスは俺の姿を鮮明に映しだす鏡になる。
ずっと小さい頃から変わることのなかった坊主頭は、いつしか短髪人気俳優の真似事なんてするようになっていた。
だっさいなあ。
あの俳優と同じ髪型なのに。
目の下のクマは深くなっていた。
俺は少し小さくなったかもしれない。
かつては家族をうろたえさせる程の食欲もあった。が、それを失った今の俺はかなり痩せていた。
「ここにおったんか神谷!」
「うわ、明月ぃ...」
「明月“先生”やろ。お前、赤点何回目やねん!」
明月が紺色のジャケットを脱ぐと無造作に縛った茶毛が大きく弧をえがいた。真っ白のシャツから出る首筋からはうっすらと汗が滲んでいる。ジャケットと同じ紺色のスキニーパンツは下半身のラインをぴっちりと強調していた。
年齢はおそらく20代くらいで4つ上の姉ちゃんと同じようなオレンジのメイクをしていた。
この人にとって定期テスト後に赤点の生徒を追いかけ回すのは恒例行事だ。
この人のテストは難しいし、赤点を取ると必ず補習をさせてくる。
だが、補習を受ける人数はテストの回数を重ねるごとに減っていくようになり、ついに俺一人になった。
「試合で負けたんまだ引きずってんの?」
「え?いや、別に。3ヶ月も前だし」
「そうかそうか」
明月は何故か納得したような顔をした。
「気持ちが受験生になれてへんねんな」
知ってる。
明月は窓を開けた。
昼間はよく晴れていて久しぶりに最高気温が20度を超えた。だが、こういう日に限って夜が寒かったりする。
俺は細くなった体を丸めてブレザーを羽織った。
校内を走り回ったあいつだけが暑い暑いと嘆く。(廊下は走るなって習わなかったのか?)
全開になった窓の向こう。
いつのまにか真っ黒になっていた空に、大量の光の粒がちりばめられていた。
校舎は山の上に建てられていて、周りは完全に木に囲まれている。人が生活している気配もない。
だから家では絶対に見えないような満天の星が見えることがある。
よく見ると少し青色だったり赤色だったり、ピカピカと点滅しているものもある。
もやもやと曖昧な雲の隙間からは月の光が飛び出していた。
「おいこら、どこ見てんねん。はよ終わらせな帰られへんで」
このまま帰れなくていい。
なんて言ってやりたかった。
でももしそれを言ったら…勘のいい明月だから。この気持ちに気づいてしまうかも知れない、と思ってやめてしまった。
「あ、明月好きな人いる?」
明月はなんと無視をした。
何度かしつこく聞いてやると、口をとがらせて駄々をこねる小学生みたいな変顔で俺を睨みつけた。そして「くだらないこと言ってないで早くプリント終わらせろ!」と目で返事をした。(たぶん)
プリントは結局終わらず最終下校のベルが鳴った。
「3回も赤点取りやがってぇ」
「やめろよ明月!」
セットしたばかりの短髪をぐしゃぐしゃと豪快に触るとゲラゲラ笑った。
「なんで勉強してこーへんねん」
一学期中間テスト、期末テスト、そして二学期中間テスト。
誰のせいで赤点になっていると思ってるんだ。
わざわざ俺が補習を受けるのは
「好きだからだよ」
「は?」
雲に隠れていた満月は姿を現し、真っ暗な部屋を照らした。
月光を浴びた俺はオオカミにでもなれるような気分だった。
抱きしめた明月は思っていたよりも華奢だった。
威圧感があるせいか黒板の前だと大きく見える体も、実際は俺の肩までしかなく、細かった。俺に抵抗する手は中学生みたいに小さかった。
「神谷...!」
明月の声が聞こえて正気に戻ると急に恐ろしい気分になった。
何してんだよ。
血の気が引いて足元がふわふわして、今にも倒れそうだった。
そしてそれを悟られないように俺は口を開いた。
「あ、明月、意外とちびじゃん」
「…ごめん」
「え…」
「ごめんな」
明月は俺の手を振り払って俯いた。
俺はいつもみたいに怒ってほしかった。
「ごめん」
「やめろよ」
明月はそれしか言わなくなった。
「あたしのせいやな」
余計に惨めになる。
「あたしのこと好きやからこれからも勉強せーへんの?」
「え?いや、冗談に決まってんじゃん。マジにならないでよ」
先生は何も答えなかった。
「あれ、もしかして怒ってんの?」
先生は真っ暗になった教室でずっと星空を見ていた。
月はどこかに隠れてしまって、もう見えない。
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