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1、ケースワーカーの暴力
二月、凍てつく冬の昼下がりだった。
北崎ゆかりは相談室近くの一階ロビー売店前で皐月と話すことになった。
二人の前を、おしゃれ外来患者が冬装備と青紫のヒールで通り過ぎる。
髪を結いあげ、雪の結晶を模した飾りをつけていた。
六階病棟に入院中の古藤皐月は、病衣に男物のフリース、レッグウォーマー、裸足に汚れたスリッパのいでたちだった。
「保護者から虐待を受けています」
ゆかりは皐月に答えた。
「状況証拠がそろってるのは知ってますよ」
「どうして助けてくれないのですか」
「お兄さんには何か理由があるはずなんです。まだ暴力と決まったわけじゃありません」
ゆかりは美奈川県成浜市有田区の精神科、有田の丘病院、相談室に勤務するケースワーカーだ。
患者の皐月からたびたび相談を受けている。もう何度目かわからない。
ゆかりは体調管理と見た目には気を付けているものの、四十代の年輩で、若い皐月の忍耐力のなさに手を焼いていた。
皐月は食い下がってきた。
「そんなこと言ってたら殺されてしまいます。どうして被害者を信じないのですか」
「統合失調患者の主張は被害妄想か本当かわからない。あなたが美しかったら信じてあげます」
「ケースワーカーには知識を提供する義務があります。私はあなたが本当に対処できないわけじゃないのを知っています。
私には暴力から助かる権利がある。知識をください」
その時、ゆかりは皐月に対して猛烈な憎悪を覚えた。
美しいからだ。美しく訴えろと言ったら美しく注文してきた。
ゆかりは自分の注文に忠実な皐月に、嗅覚以外のものですさまじい悪臭を感じた。
皐月は美しかったが、やっていることは無条件の救済の要求であり、結局はみっともなくゆかりにぶら下がっているのだ。
状況を静観したいゆかりの心を、どんな手を使っても動かそうとしている。
しかし、動くかどうか判断するのは、皐月ではなくケースワーカーのゆかりだ。
ゆかりは皐月から精神的な侵害、攻撃、支配を感じた。
ケースワーカはやるべきことをやっている人のためにしか働かない。
ゆかりは皐月なんか殺してやろうと思った。
しかしゆかりには知識がある。
刃物で刺さなくたって、もっと残酷な殺害の仕方を知っているのだ。
ゆかりは言った。
「患者さんの具合が悪くなったら誰か責任を取る人が必要なんです」
「質問に答えてください」
「暴力の証拠がなければ、患者が保護者から逃げる道はありません」
「人権侵害です」
「考えすぎじゃないかな。皐月さん、お薬はちゃんと飲んだかな?」
皐月はぐっと黙った。悔しそうだ。
ゆかりはやることの汚らしい皐月に向かって笑いかけた。
排泄した時のような爽快感があった。
患者だから仕方ないが、皐月の被害妄想は本当に困ったものだ。
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