滅びとの婚姻

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滅びとの婚姻

 透き通る結晶の中。閉じ込められた男は、世界を滅ぼす魔王である。    :::  静寂が漂う夜の礼拝堂は、今にも消えそうな、短いろうそくが薄暗く室内を照らし、簡素な花で飾られている。それは婚礼の装飾なのだが、華やかさにはとんと欠けていた。  世界は、戦乱が長く続いていた。礼拝堂のあるこの村にも、本来、祝いごとをできるような物資は残っていない。  席には参列者の姿はない。さらに奇妙なことに、祭壇の前……新郎が立つ場所に、人間が一人ほどの大きさのが、布をかぶせられて置いてあるだけだ。  婚礼の儀は仮初めで、これから行われるのは葬式なのではあるまいか。  静寂を破ったのは、扉の開く音。  ぎいぎいと耳障りなそれと共に姿を現したのは、白の婚礼衣装を纏った花嫁が、ただ一人。長い髪を綺麗にまとめてはいるものの、小さな花一輪で飾っただけの装い。よく見れば衣装も、所々がすす汚れ、破れている。  立っているのは花嫁だけ。付き人の姿すら見えない。参列者はおろか、花婿の姿すらない婚礼など、婚礼と言えるのだろうか。  扉が閉まると、彼女はしずしずと祭壇に向かって歩き出した。  やがて祭壇の前に立った彼女は、彼女は布をかぶせられたものの前に向き合い、布を取り去った。  姿を現したのは、縦に長く、巨大な緑色の結晶。 「国よ、民よ。そして父よ、母よ、ご安心を。私が、魔王と添い遂げ、平穏を取り戻します」  花嫁が結晶を真剣に見やる。  視線の先にあるのは、の姿。  纏った衣装は漆黒で、金色の刺繍が施されている。風を受けたまま閉じ込められたのかと見まごう、たなびくマントと、すべてを受け入れたようにまぶたを閉じた姿は、青年とはいえ、魔王と呼ぶにふさわしい威厳があった。 「哀れな魔王の花嫁は、精霊姫であるこの私。生涯をかけて、貴方のおそばに居ます」  花嫁が、はらはらと涙をこぼすと、涙は魔王の体を包む結晶と同じ緑色の宝石になって、地に落ちる。  かろ、かろ、かろん、と鳴るその音は、凛とした表情を崩さない彼女の、泣き声のようでもあった。    花婿たる魔王は、人間の王子。  花嫁たる彼女は、鉱石の精霊姫。  この婚姻はすなわち、魔王の封印と破壊の儀式であった。 :::    古来、人間と、鉱石の力を司る精霊は、共に繁栄を約束した間柄だった。しかし時が経つにつれ、人間は鉱石の力を乱用し、精霊との不和に至り、戦乱の世に変わった。  現王家の王子である心優しい人間の青年は、度重なる戦と政治に翻弄された後、心を病んだ。そして、すべてを滅ぼすための禁呪を手にした後、魔王と名乗り世界を闇に染め上げた。  世界を焼き尽くし、すべてを奪った極悪非道の彼を決死の覚悟で封印したのが、彼の幼なじみだった精霊姫。  そう。  同じく禁呪の力で彼を結晶の中に閉じ込めたのは、彼女であった。    ::: 「貴方と生涯共に居ることを誓います」  厳かに告げた花嫁――精霊姫は、冷ややかな結晶に口づけする。呪詛の文様が結晶と、彼女の体に走る。  唇を離した後、しばらくの間、彼女は結晶の中の魔王を見つめていた。  鉱石でできた瞳は、一点の曇りもない。しかし、魔王を見つめるまなざしはもの悲しさが漂う。  まぶたを閉じるときに、かすかな明かりを反射して輝くのは、鉱石の精霊たる特徴だった。 「……貴方と共に逝く前に、少しだけ思い出話をしても?」  当然、結晶の中の魔王は答えない。それでも彼女は居住まいを正した。 「子どもの頃、貴方が大切に手入れしていたお庭で、ささやかながらお茶をするのが一番好きでした。先代から受け継いでいたお茶の木から葉っぱを丁寧に摘んで……本の見よう見まねで揉んだり、蒸したりしたわね……今思えば、味はお粗末なものだったけれど。それでも、自分たちで摘んだ葉で淹れたお茶を飲みながら、貴方お手製のお菓子を食べるのは、本当に、本当に幸せだったの」  魔王……王子は幼少より、自ら手をかけて食材を育て、食事を作るのが得意だった。王族なれど贅沢はできぬ。限られたものから嗜好品を作り出すのは、日々の中でのささやかな娯楽でもあった。こうした嗜好品を作るのは、自ずと彼の役目になっていた。 「庭の中でかくれんぼをするのも楽しかった。高いところや狭いところに隠れた私をオロオロしながら探す貴方を見るのが楽しかったし、足の速い私を一所懸命追いかけながら、涙目で『待って』という貴方は可愛らしかった。私が怪我をすれば、なにをしていてもすぐに飛んできて『すぐに手当てをしよう。痛いだろう、大丈夫だよ。すぐに治るよ』と必ず言ってくれた」  そこで姫は一旦言葉を切り、しばし沈黙する。 「……今だから言います、貴方に心配してもらいたくて、わざと怪我をしたこともあった。ごめんなさい。ガサツでお転婆な私だから、そうでもしないとかまってもらえないと思ったの。だけど、貴方があまりにも泣きそうな顔をするものだから、ほんの数回でやめました。本当です。私たちは鉱石の精霊。体にヒビが入れば、もろく崩れやすい。きっと貴方は、それを恐れていたのですね」  今はもう、立派な淑女になったのですよ。そう言って姫は、婚礼衣装の端をつまんで会釈をする。場違いなほどすました笑顔を浮かべて、結晶の中の魔王を見上げる。  しかしすぐに表情を曇らせ、無言で目元をぬぐった。小さな欠片がこぼれ落ち、かろん、と音を立てる。 「あの頃は、そう、戦争なんてみじんも気にしていなかった。子どもだったからというのもあったけれど、貴方はきっと……私に楽しいものをたくさん見せて、外の辛さを見えないようにしてくれていたのでしょうね」  精霊との不和が広がる中、温和で平和を愛する王子が率先して精霊の姫たる少女と親しくする……それは、国民の密かな平和への希望でもあったが、大半の、特に国の重鎮達は、いい顔をしなかった。  そして残酷なことに、情の厚さと、政の能力は比例しない。国に都合の良い帝王学を素直に信じた彼は策略の世界に投げ込まれ、傀儡(かいらい)として使い倒された。  姫とも疎遠にされたが、しかし国のためと彼は耐えた。いつか人間も精霊も共に歩める日が来ると信じて。  しかし、彼は気づいてしまった。自分自身が破壊に手を染め、国民を、精霊たちを苦しめていることに。  故に彼は自分自身すら信ずることをやめた。そして、すべてを無に返すために、禁呪へと手を出した。 「……だから、貴方が変わってしまったときに、なにもできなかったといったら、貴方はずるいと思うのでしょう」  気づけなくてごめんなさい、と姫の言葉が震えた。 「貴方とはもう、戦いの中でしか言葉をかわせなかった」  お転婆で活発な姫は戦姫になった。自ら戦場を駆け巡り、悪の権化たる魔王になりはてたという彼が現れるのを待った。 「再び貴方の顔を見たとき、駆けよって抱きしめたかった。でも、貴方の優しかった目が凍てつくように冷たく、貴方の白い手が血に塗れているのを見た瞬間、体が動かなかった。信じられなかった、あれが、私の大好きな貴方なのかと」  慕った師も、共に戦った同胞も、未来があった部下も。皆が傷つき崩れ、帰らぬ存在となった。それは精霊側だけでなく、人間の国も同じではあった。  好いた人が、自分の大切な存在を奪った……その事実は、姫の心を激しく揺さぶり、愛憎入り交じった感情は彼女を苦しめた。  その苦しさから解放されたくて、何度も刃を重ね、術をぶつけた。お互い狂った獣のように戦ったこともあった。己の体に亀裂が入ろうとかまわずに。目の前で殺戮と破壊を繰り返す男は、自分の好いた男ではないと言い聞かせて。  何度も人目を避けて泣く日々が続く。もう、ヒビを優しく手当してくれる優しい彼はいないのだと。  終わりのない戦いが続くのならば、いっそ。そう悟った姫は、魔王と同じ禁呪に手を出した。  すべてを壊し、燃やし尽くす呪いには、すべてを閉じ込め、粉々にする呪いを。  死闘の末、彼の虚を突き、結晶に魔王を閉じ込めた。  しかし、姫の命が尽き、封印が解かれることがあれば再び戦乱の世が訪れる。  故に彼女は、結晶となった彼と婚姻を結び、彼と共に滅びることを選んだ。  そうすれば、脅威は去り、戦いは沈静化するだろう。 「……これしか、方法がなかった」  姫は結晶に手を伸ばす。触れると、かちん、と音がした。人間と似た容姿だが、血肉のある人間とは違い、精霊の体は鉱石で構成されているので、硬い。  涙をこらえているのか、鼻を鳴らした。 「こんな形で、貴方と結ばれるなんて。無理やりにだなんて、ごめんなさい。でも、貴方に殺されるくらいなら、貴方がこの世界を破壊するくらいなら、いっそ、一緒にと。私も精霊の世界を背負う存在です。そして……貴方をだれにも渡したくない。私の、最期のわがままです」  そこで言葉を切ると、彼女は、髪に挿していた花を引き抜いた。長い髪が落ちる。と同時に、ふわりと髪がなびいた。  彼女の周りに、力が満ちる。 「愛しています、――」  姫は魔王の真名を、心の底から愛おしげに言う。頬に朱がさした。  結晶にぴったりと身を寄せる。すると、二人は淡い緑色の光に包まれた。  ぴし、ぴし、ぴしり。結晶に亀裂が入る。姫の体にもいくつもの線が走り、指先からほろほろと体が崩れ始めた。  空に朝日が昇り始め、礼拝堂にも光が射した。  やがて、すっかり日が昇った後。結晶と精霊姫の姿はなく、彼らが居た場所には、緑色と透明の破片が残っているだけだった。 ::: 「ごめんなんて、言わなくていいのに」  薄れゆく意識の中で、私は懐かしい声を聞いた。 「ありがとう。僕を、助けてくれて」  あの頃よりも低くなった声は、それでも相手を気遣う柔らかさと、じんわりと染みいるような温かさ。  戦場で聞いていた声と似ているけれど、違う。  ――なの、貴方なの。  すでに体なんて粉々になってしまった。ああ、私たちは、ひとつになれたのね。 「本当に、つらい思いをさせてしまった。どちらの国の民にも、君にも。僕が、弱いばかりに。愚かなために。こんな、こんなことに」  彼が、泣いている気がした。本当の彼だ。  愚かな傀儡。無能の王子。そして、世界を滅ぼした最悪の魔王。  わかっていても、それでも私は、こんな姿になったあなたが泣くのがうれしかった。  泣かないで、そばにいて。  そう伝えると、彼は戸惑うそぶりを見せた。 「だけど」  ……ねえ、見て。  世界はゆっくりと、息を吹き返しているの。  私たちが(ちり)になり「世界」を漂う存在になって、長い時間が過ぎているの、気づいていたかしら?  地上を見て、と念じた。緑が広がる大地と、懸命に生きる人と精霊の姿。長くつらい復興の中で、再び共に歩む歴史が始まった。  ねえ、聞いて。  私は、貴方と一緒に、この世界を見守りたい。ずっと私と共にいて。そして今度こそ、私と貴方の力で、この世界を優しく、強く、いとおしい場所にする手助けをするの。それが、貴方の罪滅ぼしになる。  私たちの、滅びという名の婚姻は、そのためにあるの。 「僕は、君の隣で、見守っていて良いのかい。この、世界を。君と、――と」  久方ぶりに呼ばれた、自分の名前。精霊姫ではなく、本当の名前を。  そうです。貴方と共に、この世界を。  優しく愚かな王子様、愛しています。 私は、貴方の永遠の花嫁です。  了 *** <原案となった140字ss> ペリドットのウィンドチャイムが式場に響く。耳に落ちてくるきらきらとした不安定な音色と共に、真夏の結婚式を行った。重ねた唇にはひんやりとした感触が。#ノベルちゃん三題 それも今は遠い昔。指輪をはめた指先から零れるのは緑の破片。宝石の精の婚姻は朽ちるときも一緒。それが煌姫たる私の運命 (2019年8月11日)
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