猜疑の心

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 僕、佐々木暁人という人間が人を正しく認識できるようになったのは、やはり小学生のころのあの出来事がきっかけなのだろう。  人が見かけによらないことを。  僕が認識している誰かは、僕が感じ取り、そして勝手に定義した人物像でしかなかったということを。  それは現在の僕の、誕生の物語といってもいいのかもしれない。  高校生という揺れ動く時期に、ふと心に再起するくらいには、僕はその出来事が、僕に対して大きく作用したことを認識している。  作用、と言ってしまうと少し受け身に聞こえがちかもしれないが、それは僕が選択し、僕自身の考えに基づいて取った行動の結果だ。  そして、僕と彼女の物語の始まりでもあるそれを、僕は今、こうして語る必要がある。  小学四年生の冬。  朝は寒く、教室に入った途端、僕の眼鏡は白く曇った。  ストーブの火にクラスメイトが群がるその光景は、冬の訪れから四か月もたったその日には、もはや見慣れたものだった。  だから、僕もさほどその光景に興味を示さず、寒さを寄り集まることでしのぐペンギンみたいだ、なんて思うこともなく、自分の席へと足を進める。  けれど、その歩みは、教室に入ったその三歩ほどのところで止められてしまう。止まってしまう。  僕の踏み出そうとする右足を床に張り付けたのは、静かにすすり泣く声と、その音源の周りを取り囲んでいる生徒の集まりだった。  ただ、それはあくまでも僕の足を止めた間接的な原因でしかない。  教室の窓側、左後ろから二番目のその席。  問題は、そこが誰の席であるか、ということ。  そしてそれが信じられない人物であったからこそ、教室に入ってくる冷たい風が体に吹き付けるその位置に、僕は立ち尽くしていたのだ。  信じられなかったし、嘘だとも思った。  ようやく動くことを思い出した僕の足は、その席の右斜め前に歩みを進める。そして、僕の予想が正しかったことを証明した。  果たして、静かな嗚咽を漏らしていたのは、宮内優香、元気溌剌、天真爛漫な明るい人物で、クラスの潤滑油的な存在だ。  いや、純粋で穢れを知らない小学生にクラスの潤滑剤、などという言葉はおかしい。  クラスの華といったところだろうか。  明るく、にぎやかで、それでいてどこか抜けている彼女は、クラスで人気投票でもすれば間違いなくダントツトップ、そのリーダーシップと学力で一目置かれる、すごい人物だった。  そうクラス全員が言ってしまうくらいに、彼女は僕たちの中ではずば抜けて目立っていたし、それに優秀だった。  彼女の笑顔はクラスに明るさを呼び、彼女の笑い声にクラスの湿った空気が一掃される。  そんな彼女だったからこそ、僕は理解できなかった。  白昼夢でも見ているのかと思った。  ただ、僕がいくら朝に弱い低血圧であっても、片道三十分もかかる通学路を歩き終えた時点で、頭は冴えわたっていた。  何より、見たことのない彼女の泣き顔が夢に出てくるはずがない。  目を真っ赤に泣きはらし、それをごしごしとぬぐうその姿を横目で覗いていると、心の中から罪悪感が沸き起こり、僕に目をそらさせる。 夢から覚めろと自らの頬をひっぱたきたくなる衝動をぐっとこらえて、僕は席に着き、そして耳を澄ます。  聞こえてくのは、相変わらずの静かな嗚咽と、その周囲の人物による慰めの言葉。  要領を得ない言葉の羅列に、ストーブの周りにたむろしているクラスメイト達の姿を眺めながら、つい貧乏ゆすりをしてしまう。  普段から母親に、落ち着きがないと叱られっぱなしなのに。  母親の怒声が聞こえた気がして、僕は握りこぶしを膝に押し当てて、足の動きを止める。 「大丈夫だよ。優香にそんなひどいことした奴なんか、私がすぐに見つけだしてとっちめてやるわ」  そんな僕のいら立ちを肌で感じたのか、はたまたただの偶然か、推理の余地がある言葉が発せられた。  なるほど。どうやら誰かが彼女にいたずらをしたらしい。それもかなりあくどい類の。  だがしかし、そこまでわかると必然、僕も誰がいたずらをしたのかが気になり始める。いや、それよりも何をされたかのほうがずっと気になってはいたけれど。
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