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「どうかした?」 「ケンの笑った顔、すごくいいな」 「え、そうかな」 「ああ。好きだ」 そう言ったエヴァンの口角がゆっくり上がる。花が咲くような笑みと、彼の言葉に、謙吾は照れて一歩後ずさる。 「ありがとう……?」 「その頬を染めた顔もいいな。可愛い」 「か、可愛い? そんなこと初めて言われた」 自分の顔は整っているわけでも、中性的なわけでもない。だから彼の言葉は予想外すぎて、ますます照れてしまった。 「じゃあ、ケンの可愛さに気がついたのは俺が最初だな」 エヴァンが嬉しそうに微笑む。それは映画で観たどの表情とも違っていて、なぜだか顔がさらに熱くなった。 待ち合わせ場所は駅だったため、タクシー乗り場は近くにある。とりあえずそちらの方向へ二人は歩き出した。 謙吾は何気ない会話をしながら、隣を見上げる。緊張と嬉しさが胸に湧き上がる。 「エヴァンに会えて嬉しいよ。会えるのを楽しみにしてたんだ」 「俺も、こうしてケンに会えて感動している」 サングラスをかけ直したエヴァンは、謙吾の背中をぽんと軽く叩く。彼が動いて話すだけで、自分が映画の中にいるような気分になった。 そのまま話しながら歩く謙吾の後ろから、突然名前を呼ぶ声が届く。 「謙吾?」 振り向いた先に、大学の友人がいた。気が付かなかったがすれ違ったようで、彼は身体を謙吾とは反対方向に向けていた。 「何してんの?」 友人はわざわざ身体の向きを変えて、こっちに寄ってくる。 「友達と遊んでるんだ。そっちは? この駅で会うの珍しいね」 「俺はレポートのためにこれから美術館。同学部の奴らと現地集合なんだ」 そう言った友人は、エヴァンに目を向けた。 「すげえイケメンと友達なんだな。謙吾って英語喋れるんだっけ? ……あ、誰かに似てる気がする」 その言葉に胸を突かれて、謙吾は慌てた。何で「そっちは?」なんて訊いてしまったんだろう、と冷や汗をかく。 考え込む友人が気づく前に離れないと。 謙吾は咄嗟にエヴァンの手首を握った。 「ごめん、急いでるの忘れてた!」 そう言い残して、友人に背中を向けて走り出す。エヴァンの手を引いてタクシーの方に向かう。 前から若者の集団が歩いてくるのが目に入った。女性五、六人の中には知っている顔もある。さっき友人が言っていた、これから美術館に向かう集団だろう。 タクシーに乗るにはこのまますれ違わなくてはいけない。けれど、集団の中には以前、洋画の話をしたことのある子がいて、その子にはエヴァンだとバレる可能性が高かった。 その子と目が合った瞬間、謙吾は進行方向を左に変えた。 エヴァンの手を引いて走る。せっかくオフの日に自分と会ってくれているのに、わざわざ騒ぎを起こしたくなかった。 歩道に出て、横断歩道を渡る。正午の穏やかな陽気のなか、駅の隣にある公園に入った。 公園の周りは木で囲まれており、外から中が見えづらい。少し離れたところに遊んでいる子供がいるだけで、エヴァンに気がつくような人はいなかった。 安心した謙吾は、身体から力を抜く。 「いきなり走ってごめん。エヴァンに気がつきそうな子がいたから……」 振り返った先のエヴァンは、ある一点を見つめていた。呼吸が一切乱れていない。顔を向けているほうを見ると、エヴァンの手首を握ったままの自分の手に気がつき、慌てて離す。 「ご、ごめん」 「いや、こちらこそすまない。気を使わせてしまったな」 エヴァンはなんだか嬉しそうに自分の手首を触る。 「手を引いて走る役は何度もやったことがあるが、手を引かれたのは初めてだ」 爽やかな笑みをこぼして、謙吾が握っていた箇所を撫でた。
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