プロローグ

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プロローグ

◆ 「ただいまぁ」 小さく呟きながら玄関のドアを開けると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。 「ん?」 見ると靴棚の上に、かわいいピンクの花をたくさんつけ、リボンできれいにラッピングされた鉢植えが置いてある。 今朝はなかったそれを横目に見ながら、背負っていたリュックを肩から下ろした佐倉智樹は、スニーカーを脱ごうと足元に目線を移し、その先に見慣れない赤いパンプスが揃えられてあることに気が付いた。 この家の唯一の女性である母のものではないから、お客さんが来ているようだ。 ふと顔を上げると、リビングの扉の方から楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてきた。 (あ。紀子先生だ。……ちょっと、まずいかも) 智樹は置かれた鉢植えの意味を理解すると共に、その存在理由に巻き込まれないようにするため、極力静かにスニーカーを脱いだ。 紀子は母の幼なじみでよく家にも訪ねてくるのだが、彼女が何か持参する時は、得てして何かしらの頼み事がある時だ。別に、自分にできることなら普段なら全く構わないのだが、今はちょっとまずい気がする。 この時期に来たということはーーー。 そろりとスリッパに爪先を入れ、すり足気味にリビングの前を通り過ぎようとしたその時、カチャリと扉の開く音がした。 「あら智樹、帰ったの?」 「あーーーうん。ただいま」 「もう、帰ったんなら帰ったって言いなさいよね。紀子が音がしたって言ったけど、ちっとも来ないし、見に行きかけたじゃないの。ほら、入って」 努力も虚しくあっさり見つかった智樹は、諦めてリビングに足を向ける。 「智くん、おかえりなさい! お邪魔してるわよ」 扉から顔を出した智樹に、明るい茶系のスーツを身に着けたショートカットの女性が、にっこりと微笑んだ。 「こんにちは、紀子先生。いらっしゃい」 智樹が頭を下げると、紀子はコロコロと笑う。 「やあねぇ! おばさんでいいのよ? すっかり大人になっちゃって。ねっ、ちょっと、座って座って」 「あ、あの、僕これからやることが……」 手招きする紀子に、何とか早々に立ち去ろうと試みるも、母親にがっちりと肩を掴まれる。 「もう、いいからちょっとここに座りなさい。やることなんて、ないでしょう? 夏休み中の暇な大学生なんだから」 「あら、そんなことないわよねー、智くんだってデートとか、忙しいわよね」 仕方なく、紀子の向かいのソファーの端に腰を下ろすと、隣に母が座った。 「ないわよ、この子彼女いたことないのよ。ほんと圭志くんと大違いなんだから! 情けない」 「何言ってんのー、うちの圭志はだめよ、あれ。ぜんぜん長続きしないんだから。全く、誰に似たのかしらね……」 小さなため息と共にスッと細められた紀子の目が、つけっ放しになっていたテレビのモニター画面に向けられた。
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