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「あの……その人形って」
「何よ」
車内に2人残され、どことなく気まずい雰囲気の中、智樹はおずおずと口を開く。
「いえあの、可愛いなって思って……それ、僕も好きなんで。ええっと、何て言いましたっけ、確か……」
「……マトリョーシカよ」
「そう、マトリョーシカ! 中にも同じの入ってるんですよね、開けても開けてもって……懐かしいなぁ」
「………」
智樹は小学校低学年の頃、教室にこれと同じものが置いてあったことを思い出した。
絵はこんなに凝ったものではなかったと思うが、胴の部分で上下に分かれ、中に入れ子の人形が複数体入っている。
担任の先生が持って来たそれは、教室の後ろにいつも置いてあった。
初めは興味を持っていたクラスメイトもすぐに飽きてしまい、圭志に至っては初めから触らなかったような気がする。
しかし何故か気に入った智樹は、休み時間などに1つずつ取り出して並べてはまた元に戻して遊んでいたのだった。
今思えば随分地味な遊びをする子供だった気がするが、当時の先生は咎めるどころか嬉しそうに笑って、進級してクラス担任が代わった時に、そのマトリョーシカをこっそり智樹にくれたのだった。
それは今でもランドセルと共に、智樹の部屋の押入れの奥に眠っている。
(先生、元気かなぁ)
懐かしく思いながら司の手元を見ていると、マトリョーシカにしては小さい、でもストラップにしては大きいその人形が、胴の真ん中でパカリと2つに割れた。
「っ、割れたっ!」
「割れるに決まってるでしょ、マトリョーシカなんだから」
呆れたように言った司が、中からひと回り小さな人形を取り出す。
「そう、ですけど、それストラップなんじゃ……」
「元々は違うわよ、普通のマトリョーシカ。普通って言っても、ロシアでも大きい方だっておじいちゃんが言ってたけど」
2つに分かれた人形を、司が手のひらで転がす。
「おじいちゃん?」
「ロシア人なの。私、クォーターだから」
「えっ、クォーター!?」
「何よ、見えない?」
「いえ、見えます……」
道理で、彫りが深くてきれいな顔立ちをしていると思った。兄の高山もそうだが、司の方がより顕著に出ている。
「おじいちゃんにもらったのよ、今となっては形見だけど。これはその中の、最後の3つだけストラップに加工したの。……私の宝物よ」
そう言って、手の中の最後の人形を開けかけて、躊躇うように手を止めた。
「ーーー昨夜は悪かったわね」
「え?」
「病院で……チビなんて言って」
司は手元に視線を落としたまま、小さな声でぼそりと言った。
ポニーテールでむき出しになっている耳が、ほんのりと赤い。
「あ……いえっ、ぜんぜん気にしてませんから、その……僕の方こそ、大変な時なのに余計なことを、その……」
まさか、謝られるとは思っていなかった智樹があたふたと言い募ると、司がゆっくりと視線を上げた。
琥珀色の瞳がこちらを捉え、その口端が少しいたずらっぽく引き上げられる。
「……まぁ、チビには違いないんだけど」
「っ、」
司は、表情がころころと変わる。喜怒哀楽が、自然体で伝わってくる。
ずっと圭志への感情を内に押し込めてきた智樹には、そんな司が眩しく見えた。
司が手の中の人形をそっと元に戻し、カチッと小さな音がすると同時に、運転手が車に戻って来た。
千春が窓から覗き込む。
「お待たせしました、ここから私は別行動です。次は3時に桃太郎で合流しますので、よろしくお願いします」
「りょうかーい」
司が軽く手を振って応える。
(え、桃太郎? モモタロウ……って、何?)
智樹が不思議に思っているうちに千春は行ってしまい、運転手がサイドブレーキを倒すと、車は緩やかに発進した。
「今日のところは私がモモやるから。あんたはただ、ついてくればいいからね」
スマートフォンをポケットにしまった司が、白手袋を着けてマイクを握る。
桃太郎なるものの謎は解けないまま、車は大通りに出ると、再びアナウンスが始まった。
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