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放課後を告げるチャイムが鳴る。クラスの違う陽平が、部活に行く準備をしている光季の元にやってきた。
「よう、おつかれー光季」
「おつかれー。陽平も今からバスケ部だろ」
「おう。そうだぜ。久しぶりの部活、楽しみだぜ」
「おれは楽しみじゃないけどな」
「まあガンバレよ。ところでさ、今日帰り、一緒に帰るか?オレ、練習切り上げてオマエと帰ろっかと思ってんだけど」
「はあ、なんで?」
「いや、響さんがなんか不穏なこと言ってたじゃん。気になっちまってよ。オレら家けっこう近いし、送ってやろうかってハナシだよ」
「おれは女子か。送っていらねーよ。もしかして、妖怪の話でてから気にしてんのか?」
陽平の瞳が少し細くなる。どうやら図星の様だ。
「妖怪とか、ないない。いるわけないだろ」
「いや、でもオマエさ、昔から妙なことに巻き込まれることあったじゃん。今でも、そういうことあるんじゃねーのか?」
昔、光季は何度も妖怪らしきものに遭遇したことがある。
一度だけ、陽平を妖怪騒ぎに巻き込んだことがあった。
陽平は気にしてないと笑ってくれたが、光季にとっては話題にしたくない苦い過去だ。
六堂市では妙なことがよく起きるから、幼い頃は妖怪がいると信じていたけど、中学生になった今にして思えば、自分の妄想だった気もする。幽霊や妖怪なんて存在しない。たぶん。
「大丈夫だって言ってんだろ。ほら、部活遅れるぞ。さっさと行こうぜ」
陽平の言葉を遮って、光季は教室を飛び出した。陽平は何か言いたげな顔を潜めて「じゃあな」と笑顔で手を振った。
右手を軽く上げて返事をすると、光季は視聴覚室へ向かった。
映画部の部員は基本的にルーズな性格をしている。定刻の五分前だというのに、視聴覚室にはまだ誰もいなかった。
遮光カーテンが閉じられた部屋は真っ暗だ。廊下から差し込む少ない明りで机や椅子の位置は見えるが、不気味だ。
風もないのに部屋の一番奥のカーテンが揺れた気がして、思わず肩を竦ませる。
恐る恐る壁際を探ってスイッチを入れた。
蛍光灯に照らされた教室はいつもと変わりない。
ほっと息を吐いて、光季は真ん中の列の後ろ寄りの四人掛け席に座った。
頬杖をついてぼんやりしていると、ドアが開いた。
「水瀬先輩、早いですね。どうも」
無表情ながらも愛想よく手を挙げたのは、一年生の美作(みまさか)京弥(きょうや)だ。
京弥は光季の隣に座り、反対側の空席に白い大きな紙袋を置いた。
袋には包装紙でラッピングされた色とりどりの可愛らしい包みが沢山入っていた。
「よー、京弥。なんだよ、それ」
「これですか?隣のクラスの女子から、調理実習で作った菓子をもらったんです。いっぱいあるので、よかったらお一つどうぞ」
光季は自分より一回り大きな手から、黄色い包みを受け取った。揺らすとカサカサと音がした。音と軽さからして、中身はクッキーあたりだろう。
大きな紙袋が必要なほど女子から貢物をもらうとは、羨ましい奴だ。光季は目を細めて黒髪に蔦色の瞳の少年を見た。
くっきりした二重に涼しげな瞳、鼻筋が通っていて目をひく整った顔立ち。
年下のくせに自分より一センチ低いだけのすらりとした背と、少年独特の細さを感じさせないしっかりした体つき。
誰もが認めるイケメンな容姿のおかげで、癖毛の蓬髪さえあえて崩した無造作ヘアと女子に思われるお得な奴だ。
光季も鼻筋が通った小さい鼻、細い柳眉にくっきりした二重の猫目のすっきり整った顔がチャーミングでカッコイイと評されて女子にもてるが、京弥と比べたら足元にも及ばない。
悔しいが、京弥は本当に美形だと思う。
「モテモテで羨ましいかぎりだな」
嫌味を言いつつ、もらった包みを開ける。
予想通り中身はクッキーだった。
さっそく一つ口に放り込むと、生焼けで微妙な味だった。
前言撤回。羨ましいとばかりは言えないようだ。鞄からペットボトルのお茶を出してむりやり胃に流し込む。
「どうやら、はずれだったみたいですね。どうぞ」
京弥が差し出した飴玉を受け取り、光季は口直しに舐めた。
甘酸っぱい味が口の中に広がる。大好きな苺味だ。
不味いクッキーの味を完全に消すために飴の味に集中する。
京弥が無口な方なので、光季が黙ると会話が途絶えた。
「あー、水瀬センパイ、また京弥クンの横に座ってるぅ!アタシが座ろうと思ったのにぃ」
一年生の由香里が黄色い声を上げながら入ってくる。
いや、おれが隣に座ったんじゃなくて、京弥が勝手に隣に座って来ただけだから。
つっこみたいのは山々だったけど、何を言っても噛みつかれそうなので光季は「おつかれ」とあいさつだけを返した。
由香里は運動部にいそうな溌剌とした明るい女子だけど、何故だかさえない映画部にいる。
最初のうちはなんでこんな部にと不思議に思ったが、最近は京弥が原因だと確信している。
由香里は人目も憚らず京弥に猛アタックしているから、よほど鈍感でなければ誰でもそうだと気付くだろう。
熱烈なアピールにも関わらず、当の京弥はまったく興味なさげだ。
由香里は可愛いので、普通の男ならデレデレと鼻の下を伸ばすだろうに、さすがはイケメン。言い寄られるのに慣れているのだろう。
由香里は渋々と通路を挟んで京弥の隣に腰を降ろした。
京弥の横を陣取っているせいで、光季は由香里から羨望を存分に孕んだ目を向けられて、非常に居心地が悪かった。
今夜あたり、丑の刻参りでもされそうだ。
由香里に恨まれるのはごめんだが、正直、京弥とは部内で一番仲がいいので彼が隣に座ってくれるのが一番気楽で助かる。
同い年の二年生が一人いるのだが、映画オタクっぽい男で話があわない上に、何故か向こうに苦手意識を持たれているようで避けられていて、会話をしたことは殆どない。
四時半になってやっと七人全員が揃い、映画が上映された。
巨大な白いスクリーンに映し出されたのは一昔前に流行った邦画のホラーだった。
一枚の手紙をきっかけに呪いが感染し、登場人物が次々に死んでいく話だ。
どうしてよりによってこんな嫌な感じの映画をチョイスするのだろうか。
分厚い緞帳のようなカーテンを閉め、再び電気を消して真っ暗になった教室の中に、ホラー独特の不気味な音が響く。
じわじわと追い詰められていく少年少女。霊が現れそうで現れないかと思えば、いきなり現れたりする。
グロテスクさはないが、じわじわと忍び寄ってくる怖さがあり、心臓に悪い映画だった。
映画を見終わったのは六時半過ぎだ。
やっと解放されると思っていたが、映画好きの部員による談義が始まりようやく解放されたのは、下校時刻をとっくに過ぎた八時前だった。
熱心な運動部さえもう活動していない。まだ校舎に生徒が残っていることに気付いた生徒指導の先生が来なければ、彼らはもっと遅くまで喋り続けていただろう。
「おつかれさまでしたー」
視聴覚室から出たると、廊下の電気はすべて消えていて真っ暗だった。
薄闇のなか、非常口の緑の光と火災警報器の赤い光だけが、不気味にぼうっと浮かんでいる。
「光季」
また誰かが名前を呼ぶ。今朝聞いた、唸り声のように低い声だ。
「すっかり暗くなりましたね。廊下、不気味ですね。なんか出そうじゃないですか?」
いつもの抑揚の少ない声で京弥が言った。
「おれをビビらせようとしてんの?そうはいかないぜ、京弥」
「別にしてないですよ。ただ、あそこに―…」
何もない廊下の隅の影を京弥が指差す。騙そうとしてもそうは問屋が卸さない。そんな古典的な手に誰がひっかかるか。
遊ばれてたまるかと無視していたら、京弥が指差した場所からガタリと音が聞こえてきて、影がヌッと動いた。
「ぎゃぁっ!」
びっくりして思わず短く叫ぶと、唇を引き結んだままの京弥の目だけが少し笑った。
「水瀬先輩、ただのネコですよ。開けっぱなしの下足室から入ってきたんでしょう。化け物がでたとでも思いましたか?」
「お、思ってねぇよ。バカ」
「先輩、かわいいとこありますね。叫ぶところとか初めて見た気がします」
「うっせーな。ちょっと驚いただけだ!かわいい言うな、怒るぞ」
「はあ、すみません。つい、本音が。……冗談ですよ。先輩はちゃんとかっこいいですから、怒らないで下さい」
わざと怒った顔をしてみせても、悪びれずにさらりと涼しい顔をしている京弥に、光季はどっと疲れた。
そこにさらに煩わしい女が乱入してくる。
「ねーねー、アタシもまぜてよぉ。仲間外れはんたーい。京弥クン、いっしょに帰えろぉよ。アタシ、一人で帰るのこわーい」
「高山。オマエの家、俺の家と反対方向だろう。俺は遠回りして帰る気はないぞ」
甘えた声を上げながら腕を絡ませようとした由香里をさり気なく躱しつつ、京弥がつれない声で言った。
避けなければ確実に腕に胸が当たるラッキースケベだったのに、もったいないことをする。
おれなら絶対に避けない。と言いたいところだが、好きでもないホラー映画を長々と見た後で、姦しい由香里にまとわりつかれたのではたまったもんじゃない。
つき纏われる京弥に、光季は憐れみの眼差しを向けた。
女なんてよりどりみどりでストイックな色男の気持ちはわからないが、今の京弥の心境は少しわかる気がする。
どんなにかわいい女子でも、興味がない子がしつこく迫ってきたら鬱陶しくなる。
由香里は『押してもダメなら引いてみな』という言葉を覚えるべきだ。
しつこく由香里に食い下がられる京弥を見捨てて、光季は下駄箱に足を向けようとした。
「待ってください、水瀬先輩」
助けを求めても助けてやらないぞ。
少し意地悪なことを思いながら立ち止まって首だけ向けると、妙に真剣な顔をした京弥と目があった。
「なんだよ?」
「いえ、気を付けて帰って下さい。水瀬先輩」
「また俺を驚かせて遊ぶつもりか?騙されないぜ」
「そういうつもりはありません。真面目に心配しています」
鳶色の瞳に深刻そうな気配が潜んでいるので、光季は少し不安になった。
響といい、京弥といい、今日はよく忠告される日だ。もしかして襲われるフラグでも立っているのだろうか。
光季は胸裏を掠めた不吉な予感を慌てて振り払う。
「おまえこそ、暗いから気をつけて帰れよ。じゃあな、京弥」
いつもの余裕の笑みを浮かべて、光季は足早に学校から出た。
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