第一話 怪異の箱

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第一話 怪異の箱

 神隠し再び、今度は女子高生。 センセーショナルな見出しにまたかとうんざりして、何気なく手にとった地元新聞を乱雑に折り畳み、水瀬光季(みなせこうき)は鞄をつかんだ。 「いってきまーす」  玄関のドアを閉める直前、写真立ての中で笑う姉の美咲と目があった。 一歩外に出た瞬間に茹だるような暑さに襲われる。 暑いだけでも鬱陶しいのに、古いスピーカーから大きな音が流れてきて、光季は小さく溜息を吐いた。 「こちらは、広報六堂です。昨日から、六堂高校一年生の早川綾子(はやかわあやこ)さんが行方不明となっています。見かけた方は警察か、市役所までご連絡お願い致します。くりかえします、昨日から六堂高校一年生の……」 音割れした声に思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られる。 告げられたのは、朝刊にも載っていた女子高生行方不明のニュースだ。富士山の麓にあるこの六堂市ではやたらと行方不明の事件が多い。  日本の一年間の行方不明者は約十万人といわれているらしい。これだけ聞くと意外と多いと驚くけれど、その内九十九パーセントは無事に見つかっている。実質、本当に行方が分からないのは千人くらいというわけだ。 それが多いのか少ないのかはわからないが、月に一人はいなくなり、尚且つそのまま見つからないというこの六堂(ろくどう)市では、全国に比べて行方不明者が明らかに多いということだけははっきりとわかる。 幼い頃から「神隠しに注意しろ」などと迷信じみたことを両親や教師に繰り返し言われたのは、あながち間違いではないようだ。 行方不明と聞いてもいちいち驚かなくなったくらいには、頻繁に事件が起きている。 行方不明事件だけではない。他にも説明しがたい事件が六堂市では時折起きているようだ。 この町はちょっと可笑しい気がする。 光季は立ち止まり、空を見上げる。真っ青な夏空。 爽やかな色に目を奪われる。 大きな病院、娯楽施設、飲食店。大都会とは言えないけどなんでも揃っている上に、自然も多く残っていて空気も美味しい。六堂市は住みやすいいい町だ。ただ、妙な事が度々起こることを除いての話だが。 ぼんやりしていると、白い肌を強い日差しが焼いた。朝だというのに三十度超えの猛暑だ。立ち止まっていたら黒焦げになりかねない。 止まっていた歩を進めると、湿った熱風が吹き付けた。柔らかな亜麻色の猫毛が風で揺れる。 ふわふわとした少し癖毛なショートヘアは熱気がこもって、湿度の多い日はたまらない。 額に薄っすらと掻いた汗で張り付いた前髪を指で払い、光季は中学校までの道をのろのろと歩いた。 ふと、冬に吹くような強い風が背後から吹き抜けた。七月とは思えないほどスゥッ冷たい風だった。 「光季」 誰かに呼ばれた気がして振り返る。 だが、誰もいない。 空耳にしてはいやにはっきり聞こえたが、暑さで耳が可笑しくなっているのだろうか。 地面の底から響いてくるような低い声だった。 俄かに背筋が冷たくなり、身震いする。寒くもないのに腕を擦り、光季は首を捻る。 何となく動けずに数分ほどその場に立ち尽くしていると、また名前を呼ばれた。 振り返ると、右側の前髪だけおろして、あとはざっくりと全体的に後ろに流した無造作ヘアの真っ黒なはね髪の制服姿の少年が手を振っていた。 「いよっ、光季!」  朝っぱらからハイテンションな声。幼なじみで同じ中学二年生の日向陽平(ひゅうがようへい)だ。 きりっとしたクの字の眉に、黒目がちな切れ長の瞳。鼻が高くて口が大きい男前を残念に崩して、へらりと笑いながら走り寄ってくる。 「はよーっす。なにぼんやりしてんだよ、光季」 陽平が、べったりと肩を組んでくる。 スキンシップ過剰気味なのは慣れているし、自分もどちらかといえばその部類だから気にならないが、夏真っ盛りだと暑苦しいことこの上ない。 「あちーんだよ、バカ。学校着いてからにしろよ、行き倒れるわ」 「光季は体力ねーもんな。行き倒れたら運んでやるよ」 「そんなこと言うと、今すぐおぶさるぞ」 「マジかよ。それは勘弁な」  ケラケラ笑いながら隣を歩く陽平をちらりと見遣る。 「なんだよ?」  敏い陽平は視線にすぐ気付き、怪訝な顔でこちらを振り返った。 「お前さ、ちょっと前にわざと低い声でおれのこと呼んだか?」 「いや、呼んでねーよ」 「そっか。やっぱ空耳だな。あー、あっつ。まじで死ぬ。さっさと学校行くか」 「おう」  大股で足が速い陽平にあわせて、光季も速足で歩いた。 ふだんはゆったり歩く陽平だけど、自分のさっさと学校に行こうという言葉にあわせて、急いでくれているようだ。 速足だと少し歩いただけですぐに汗が噴き出してきて、息が上がる。 隣を歩く陽平は汗を掻いているけど、少しも息を乱さずに歩いている。  体力馬鹿め。光季は密かに心の中で吐き捨てる。  自分と同じ百六十八センチの背丈の陽平だが、バスケ部に所属していて運動神経抜群な陽平は、細マッチョで男らしい体つきだ。 文系寄りである自分よりも随分と体力がある。 この灼熱地獄の中にあっても長い中学校までの通学路も余裕そうで、羨ましい限りだ。  光季は琥珀色の三白眼気味な猫目で、じとりと陽平を見た。 「やっぱ学校までおぶってもらおうかな」 「ん、ああ。いいぜ。オマエ、マジで体力ねーもんな」  冗談のつもりで言ったのに本気の顔で笑われて、光季は顔を顰めた。 「嘘に決まってんだろ。恥ずかしいだろ、おんぶされて登校とか」 「まーな。でも背に腹は代えられないって言うだろ。いいじゃん、恥ずかしくても」 「よくねーよ」 「そういうえばおんぶって言えばさ、昨日の『突撃おたくのペットたち』見たか?ハスキー犬の背中におぶさる猫っていうのやっててさ、超かわいかったぜ」 「見た見た。可愛いよなぁ、猫」  可愛い動物映像の話をしているうちにすっかり暑さを忘れてしまい、光季は軽快な足取りで通いなれた通学路を歩いた。 「光季、今日は部活か?」 「ああ、珍しくな」 「オマエ文系の部活だったよな。そこそこタッパあんのにか弱いもんな。何部だっけ?」 「か弱くねぇよ。映画部という名のほぼ帰宅部。もうすぐ三年が引退するから、久しぶりに強制参加なんだ。たりー」  六堂中学校では必ずどれか一つは部活に入らなくてはならない。 陽平に一緒にバスケ部に入るかと半分冗談で誘われたが、運動はあまり得意じゃないから、当然そっこう断った。 文学や音楽にも興味がない。部活を熱心にする気がなかったので、週一回の活動日以外は自由参加と活動が少なくてゆるい映画部を選んだのだ。 「映画部って映画見るだけか?」 「まあ、雑に言えばそうだな。映画見て作品について語りあうの」 「ふぅん。今日はなんの映画見るんだよ?」 「なんだっけなー。なんか夏にぴったりの映画らしいけど、選んだのは俺じゃなくて三年生だし、忘れた」  期末テストで部活が休みになる前に発表された映画のタイトルなんて、覚えているはずがない。 質問した陽平自身あまり興味がないらしく、ちゃんとした答えを返せなくても、ヘラヘラと笑っているだけだった。  陽平と話しながらダラダラ歩いていると、後ろからポンと肩を叩かれた。 「おはよう、光季」  愛想笑いの一つも浮かべずに仏頂面で声をかけてきたのは、近所に住む姉の同級生だった響辰之(ひびきたつゆき)だ。 上品なショートヘアに几帳面に右分けされた前髪が、理知的な雰囲気と近寄りがたさを醸し出している。天然茶髪で目は青色。ハーフっぽい色素だが、両親とも茶色の瞳の生粋の日本人だ。 両親が茶色い目でも、青い瞳の日本人が産まれてくることは稀にあるらしい。確立は六パーセント程だと聞いたことがある。 因みに茶色い髪は彼の美人な母親譲りだ。 「おはようございます、響さん。駅まで行く途中ですか?これから電車乗ったんじゃ、もう遅刻じゃんか」 「明け方まで起きていたからな。高校には一限目は遅れると連絡済みで了承も得ている」 「へえ、徹夜で勉強?進学校は大変ですね」 「そうでもない。それより、昨日も行方不明事件があったし、近頃妙なことも起きているから、気をつけろよ」  人に干渉したがらない響が朝っぱらからお節介めいたことを言うなんて意外だ。光季はキョトンとした顔を響に向けた。 「妙なことってなんですか?」 「妙なことは妙なことだ。変死体の発見、奇怪な負傷や病気とでも言っておこうか」 「なんですか、それ。ドラマみたい。昔もあったっけ?」 「ともかく、夜遅くまでフラフラしているなという意味だ。授業が終わったら、まっすぐ家に帰れ」 「響さん、それ小学生に言う台詞ですから。俺、いま中二ですよ。遊んで帰ったりするでしょ、ふつー。部活もあるし」 「部活か。何時までだ?帰りは一人か?」 「部員が七人しかいないんで帰りは一人ですよ。陽平はバスケ部だから帰宅時間かぶらないし。終わりは、今日はいつもより遅い六時半終わりだったかな?」 「六時半か。夏だからそれほど暗くはならないが。ちょうど高校から帰る時間だ。送ってやる」 「へ?いやいや、なんで?別に平気だし。おれ、男ですよ。誘拐犯とか変質者とか退治できますって。でも、心配してくれてどうも」  ヘラリと笑ってみせると、渋い顔をしていた響が小さく頷いた。 「困ったことがあったら、すぐに連絡をよこせ。帰り道はくれぐれも注意しろ。じゃあな」 「はーい。バイバイ、響さん」  スタスタと駅に向かって歩いていった大きな背中を、光季は手を振りながら見送った。 完全に響の姿が見えなくなると、陽平が感嘆を漏らした。 「光季スゲーな。あのヒトとまともに会話するとか、やるじゃん。いっしょの小学校だった時に何回か顔合わせてるけど、オレ、あのヒトと喋ったことねーかも」 「響さんって顔はこえーし、迫力あるけど、意外と優しいとこあるんだよな」 「そうかぁ?オレの方は見向きもしなかったじゃん。優しいのってオマエにだけじゃね?あのヒト冷血人間とか言われてたじゃん。オレ、あのヒトには話しかけられねーわ」  コミュニケーション能力が高く、同年代だけじゃなく年上とも後輩とも上手くやっていける陽平には珍しいことだ。 四つ年上で高校三年生の響は鋭く怜悧な顔の近寄りがたい美青年だが、陽平は見てくれや雰囲気で人を避けるようなヤワな精神じゃない。 どんなに怖そうでも美形でも、平気で話しかけられるタフな奴だ。 能天気に見えるが鋭い陽平の人を見る目は確かだ。その陽平が苦手がるくらいだから、響はよほど偏屈で気難しいのだろう。 「それにしても奇怪な事件ってなんだろな。陽平、心当たりある?」 「さあな。行方不明はたまにあるけどな」  二人してウンウンと唸っていると、タッタッタと軽い足音が背後から聞こえてきた。 「陽平、光季。おはようっ!」  明るい声と共に近付いてきたのは、銀髪のショートヘアに大きな氷色の瞳が愛らしい、同級生の白藤沙奈(しらふじさな)だ。 ドイツハーフの父とフランスハーフの母を持つ沙奈は、美少女なのに優しく天真爛漫な性格で学校のアイドルだ。 陽平と彼女の付き合いは小学校から知り合いの自分と陽平よりも古く、周囲の男子が羨む仲睦まじさだ。 「おう沙奈、はよーっす」 「おはよう、白藤」 「朝から二人して考えごと?珍しいね」 「単細胞みたいに言うなよな、沙奈。オレだってたまには考えごとぐれーするっつーの。沙奈は、この町で行方不明以外でなんか妙な事件が起きてるって知ってるか?」  陽平が尋ねると、沙奈は瞳を伏せた。 「わからない。でも怖いね。ずっと小さい頃、変なことがあったもん」 「なんだそりゃ」 「陽平ったら覚えてないの?十一年くらい前、六堂市で行方不明とか、死体が何体も見つかったりとか、変なことがいくつもあったでしょ。私何となく覚えてるの。パパとママが怖がってたから。ほら、この町には妖怪が出るなんてニュースが、流れたでしょ」  十一年前と言えば二〇三〇年だ。何人もの変死体が見つかった事件。そういえばあった気がする。 詳しいことは思い出せないが、光季は背筋が冷たくなるのを感じた。 「光季、顔蒼いけど大丈夫か?」 表情を曇らせたのに目敏く気付いた陽平が、気遣わしげな目を光季に向ける。黙っていると、沙奈が愛らしい大きな瞳で見つめてきた。 「光季も妖怪が怖いの?」  妖怪。その単語に、ドクンと心臓が不規則に揺れた。思わず光季は胸元を握り締める。 「妖怪が出るなんて、嘘だろ。怖がることねぇよ、白藤」  八重歯を見せて笑って見せると、何か言いたげな陽平の黒目がちな瞳がじっと見つめていたけど、光季は気付かないふりをした。
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