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千波岬
今日は、優衣さんの家に泊まりに行く日。
優衣さんっていうのはお母さんのお姉さんのことで、私は夏休みの間、優衣さんの家に預けられることになった。
水筒とカメラとほんとはやりたくないけど夏休みの宿題をリュックにつめて、お母さんに見送られながら家を出た。
照りつける太陽は、1分たりとも容赦してはくれない。
麦わら帽子の影に隠れるようにして電停まで歩いた。
千波岬と表示されている夜空みたいな紺色の電車に乗る。
電車に揺られて眠たくなった頃、窓の外を見ると電車は海の上だった。
この電車は満潮の時の海面すれすれに敷かれた線路を走る。
だから、地元の人は『海の電車』、略して『海電(うみでん)』と呼ぶ。
終点の千波岬で降りると、優衣さんが待っていた。
血が繋がっているはずなのにお母さんと優衣さんは見た目も性格も全く似ていない。
お母さんは肩幅が広くてしっかりした身体つきにはっきりと物を言う、明るくて強気な性格なのに対し、優衣さんはなで肩で背が低くお母さんより静かで穏やかな性格をしている。
私が走って行くと大きく手を振って迎えてくれた。
「ゆずちゃん久しぶりー。元気してた?」
「うん。えっと、夏休みの間はお世話になります。」
とお辞儀をすると
「ゆずちゃんは律儀だね。お母さんの教育のおかげかな。」
と、笑われてしまった。
私は何かおかしなことをしただろうか。
私が、自分の行動を振り返っていると、笑われて機嫌を悪くしたと誤解した優衣さんは
「アイスでも食べよっか。」
と言って近くのお店にアイスを買いに行くことになった。
でも、この辺りにコンビニなんかは見当たらない。
どこに行くんだろうと思ってついて行くと、髭の濃いおじさんが経営している昔ながらの商店に入って行った。
おっきくて所々錆びれた白い冷凍庫の中にはガリガリ君やしろくまなんかが入っていた。
「どれが良い?」
と聞かれて、私はアイスじゃなくてお店の入り口を指差した。
指差した方向に置いてある桶の氷水の中から水色の透明な瓶が涼しい光を放っていた。
「ラムネか。いいね。おじさん、ラムネ2つください。」
優衣さんがお店の奥にいたおじさんに声をかけると、おじさんはくわえていた煙草を灰皿に捨てて、のっそりと立ち上がりサンダルをカパカパいわせて入り口まで来た。
そばで見ると結構でかい。
私は、優衣さんの後ろに隠れておじさんがラムネを取り出してタオルで水を拭き取るのを見ていた。
「はい、嬢ちゃん。」
下から見上げるおじさんは怖かったけど、笑うと向日葵みたいに優しそうな目をしていた。
ちょんこりと頭を下げてラムネを受け取った。
「嬢ちゃん、そのラムネはなぁ、わしが作ったんだが、ちょいと手が滑ってな、海を落っことしちまったんだ。」
「海を落としたの?これに?」
私は目を丸くしてラムネとおじさんの顔を交互に見た。
「そうだ。だからな、こうやって日の光に透かすと…」
おじさんは優衣さんの分のラムネを高く持ち上げた。
瓶の中に、沢山の魚が泳いでいるのが見えた。
でも、おじさんがラムネを影に入れるともうそこには炭酸の粒しか残っていなかった。
私はびっくりして言葉を失っていた。
「すごい!今のなあに?」
興奮して飛び跳ねながら聞いてみると
「今のは海の記憶じゃよ。海がおぼえている懐かしい思い出さ。」
私は、すっかり飲むのがもったいなくなってしまったけれどおじさんに急かされてお店の外のベンチに座ってラムネを飲んだ。
「ねえ、そういえば優衣さんはびっくりしなかったの?」
「うん。この街ではああいう不思議なことがよくあるんだ。素敵なとこでしょ。」
「じゃあ、なんでこんなに人が少ないの?」
「いい質問だね。あのね、ゆずちゃん、これは大切なことだからよーっくおぼえとくんだよ。」
そう前置きして優衣さんは大きく息を吸った。
「さっきゆずちゃんが見たものは、普通の大人には見えないんだ。」
「どうして?」
「信じる心を持っていないから。ほとんどの大人は大人になるために夢見ることをやめたの。諦めることも時には大切よ。だけど、最初から決めつけてなにもかも信じないのとはわけが違う。」
「そんなに難しいこと言われてもわかんないよ。」
優衣さんはふっと笑って
「いつか、ゆずちゃんが大きくなったらわかる日が来るよ。」
と言った。
そんなのずるい。と、思ったけど、おじさんが作ったラムネがシュワっとはじけて美味しかったから優衣さんの言ったことは気にしないことにした。
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