過去

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帰り道で、白髪のおばあさんに会った。 しわだらけの小さなおばあさんだったけど、仕草や身につけているものは上品で、きっと若い頃は綺麗な人だったんだろうなと思った。 知らない人かと思っていたら、なんとその人が大家さんだと言うので、驚いた。 「こんにちは。藤村さん。この子は私の姪なんです。可愛いでしょう。」 「あら、深月さんの姪御さんなの。お名前は?」 「ゆづき…、やまもとゆづき、です。」 「ゆずきちゃんか。良い名だね。大事にしなさい。」 大家さんからは、さらっと香水の香りがした。私はむせそうになるから香水の香りがあまり好きではないのに、なぜか、大家さんがつけている香水はむせそうにならなかった。 「ゆずちゃん、あの鍵のこと聞いてみたら?」 あ、そうだった! 「えっと、大家さんは、あのアパートの鍵が何からできてるのか知ってる、んですか。」 「鍵?あー、あの真珠の鍵ね。あれは、海の底で取れた、お鍋くらいの大っきな貝の中にあった真っ白な海の宝石で作ったの。」 「海の宝石⁈」 「そうよ。海が長い時間をかけて、守り、育てて作った海の宝石。それを真珠細工の職人さんに頼んであの鍵の形に掘り出してもらったのよ。」 そう言う大家さんは、笑っていたのになぜか、泣いているようにも見えた。 「でも、もう、あの鍵を作ってくれたあの人は、いないんだけれどね。」 夏の眩しい日差しの中で、大家さんの周りだけ季節が冬のまんま、止まってしまったような、そんな感じがした。 家に帰って、優衣さんの作ってくれた茄子とひき肉のパスタを食べている時に、ふと思い出して聞いてみた。 「ねえ、優衣さんは、友達って言ってたけど、乃ノ花ちゃんのお父さんとはいつ知り合ったの?」 「あー、康平は、私がゆずちゃんと同じ小学1年生のときからの幼馴染だよ。」 「そんなに昔から!」 「うん、そうだよー。昔っからの知り合いなの。」 優衣さんは嬉しそうに声を弾ませた。 「じゃあ、優衣さんは昔から乃ノ花ちゃんのお父さんのことが好きなんだね。」 「…それは、どうかな。」 と、優衣さんは視線を落とす。 「なんで?だって優衣さん、乃ノ花ちゃんのお父さんと一緒にいる時、とっても楽しそうだったもん。それに、乃ノ花ちゃんのお父さんも…。」 そこまで言ったっきり、言葉が出てこなくなった。え…。優衣さんは、少しでも動いたらこぼれ落ちそうなくらいに、目に涙をいっぱいに溜めていた。 瞬きをした拍子に大きな涙の粒が、優衣さんの頬を伝った。 「優衣…さん?」 「え…、私、泣いてる?あはは、何で泣いてるんだろ。ごめんね、ゆずちゃん。何でもないの…」 本当に何でもないの。何でもない、何でもないの、と、繰り返していたのにその間にも優衣さんの目からは涙が止めようもなく溢れ出てきていた。
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