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お爺さんが亡くなって1週間が過ぎた。
無事葬儀を済ませてから、もうすぐ引き払う予定のアパートに、お爺さんの遺骨と共に帰った。
何かが抜け落ちてしまったように、しばらくは放心の日々を過ごした。
不意にお爺さんが亡くなる寸前に言った言葉を思い出した。
「帰らなくていいのか?」
それがお爺さんの、最後の言葉だった。
帰らなくていいのか?
何処に?
お爺さん。
やっぱり知ってたのね…。
でもね、私はお爺さんがこの世からいなくなる日までずっと一緒にいたかったのよ。
私の居場所は、お爺さんの隣だけ。
でも、そのお爺さんも、もうこの世にいない。
私の居場所も消えてしまったようなものだ。
帰らなくていいのか?
ううん。
もう私に、帰る場所なんて何処にもないのよ。
私は最初から、こういう運命だったのよ。
確かにあの超絶的に美しい女子は、幸せな帰還を果たしたわ。
でもそれも彼女の運命だったのよ。
"かぐや姫"と呼ばれ、光り輝くように華々しい日々を駆け抜けて、彼女は月に帰って行った。
同じ竹藪の中で、彼女と同じように竹の中から生まれた私だけど、私にはそんな運命は最初からなかった。
小さい頃から、不細工な見た目のことで、彼女とは正反対にいじめられ続けたし、その後も家の仕事、村の仕事を押し付けられては、それを懸命にやるしかなかったのよ。
下働きをしていた地主の家でも随分いじめられ、こき使われた。
そんな時、お爺さんと知り合い、夫婦になれたことは、人生最大の至福だった。
勿論、同じ頃、かぐや姫は村中の男から求婚され、ついには帝まで虜にしてしまう華やかな生活を送っていたけど、私にはそんなものは関係ない。
姑の義母さんは厳しかったけど、お爺さんと一緒にいられるだけで、他に何もなくても、それで幸せだったのよ。
月は私が産み落とされた時から、私を見捨てていた。
でも月に見放されようとも、私にはお爺さんがいた。
それで十分なのよ。
帰らなくていいのか?
それがお爺さんの、私が月からやって来たことを知っていて黙っていた、最後の遺言なのね。
いいのよ、もう。
月は私が生まれた時から、私を見捨てていたのだから。
気を遣わせてしまって、ごめんなさいね
お爺さん…
ただ、そのお爺さんは、もういない。
私の居場所も、もう何処にもない…
アパートの窓から見える高層ビル群の向こうに、何かが見えた。
暗黒の真夜中の夜空に、幽かに何かが飛んでいるのが見えた。
それは徐々にこちらに近づいてくるような気がした。
しかし、何が飛んでいようと、そんなものに興味はなかった。
もうすぐこのアパートも引き払う。
ここからいなくなるのだから。
だが、その飛翔体は、いよいよアパートの窓の間近まで近寄ってきた。
何だ?
何が迫ってくるの?
それは大量の傘の群れだった。
夥しい数の傘の群れが、何故か、いつの間にか窓を通過して部屋の中に入りこんできて、ついにはこちらを取り囲んだので驚いた。
それが、いよいよ接触してきたのだ。
いつのまにか傘の大群は、こちらの腕や足を捉えていた。
かなり激しく抵抗したが、全くビクともしなかった。
そして、身動き出来ない状態になるまでに強く拘束してきた。
一体、これは何?
何が起きているの?
だが怯えて戸惑う私を尻目に、傘の大群は、こちらを拘束したまま部屋から抜け出し、いきなり漆黒の夜空に飛翔し始めた。
いつの間にか私は、真夜中の夜空を飛んでいたのだ。
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