この、確かな声を(1)

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この、確かな声を(1)

 聖は、学校で配布されたプリントを机の上に広げ、唸っていた。  一人でいるには少し広い部屋でぽつんと座り、聖は書類と静かに睨み合っていた。昨日からこの薄っぺらい紙切れが、聖の頭を悩ませている。例のごとく、『進路志望調査票』だ。  嘉章は、土曜だというのに仕事だといって出て行ってしまい、辺りが暗くなった今も戻っていなかった。教師というのは年末は忙しいらしく、このところは平日も帰りが遅いし、帰宅した後も持ち帰りで何ごとか片付けている嘉章の姿をよく目にする。師走の師は僧侶のことだと言うけれど、どうも教師も走り回っているようだ。  おかげで、今回の調査票についてはまだ嘉章と話ができていない。  冬の訪れと共に、周りの友人達は徐々に志望校を決めつつあった。願書の受付は年が明けてからだからまだ猶予はあるが、それでも何かが迫ってくるような、あるいは追われているような緊張感は、聖の中で確実に膨らんできている。  クラスメイトのほとんどが、この村から通うことができる距離の地元の高校を選択しているらしかったが、中には大きな街の高校を目標に定める者もいた。その場合、求められる学力は、地元校よりも少し高い。  例えば誠太郎は、幼なじみでもあり恋人でもあるちぐさが通う県随一の進学校を目指している。彼は、ちぐさと同じ高校に通うことを二年生の頃から一途に目指し、結果的にこの一年で恐ろしいほど成績を伸ばした。このままいけば、春からは望み通りの道へと進むことだろう。  聖はといえば、転校前も後もペーパーテストだけは良く、三年生になってからは常に学年で五指に入る程度の成績を維持し続けていた――ただし、体育を除いてだけれど。  まあ、そんなわけで聖は担任教師にも、そして嘉章にも、ちぐさや誠太郎と同じ高校を勧められていた。  しかし、聖本人は未だ進路を決めかねていた。多分、成績は問題ない。どちらを選んだとしても、入試をクリアするのに必要な得点を取る自信はある。  ただ、街の高校に進むとなると。  ――澪さまと離れなきゃいけない。  どきん、と胸が大きく鳴った。それは、痛みを伴う音だった。  この二年ほどで、『聞き耳』の使い方は大分身に付けた。耳栓をしていれば大抵のことはやり過ごせる。  たちの悪いのに絡まれても、対処法は澪からみっちり仕込まれたから、立ち回り方は心得ているつもりだった。それに、万一あやかしたちにちょっかいを出されても、澪が助け船を出してくれる。  ただし、それはこの村にいたら、という話だ。  聖がここに引っ越してきたのは、あやかし達のせいというよりは、むしろ人間との関わりに倦んだせいだ。この村の人たちはみんな優しいし裏表がないから、いくら『耳』が何か余計なことを捕らえても、それほど堪えることはなかった。しかし、街にはこことは比べものにならないほど人が多い。都会へ戻ることはやはり怖かった。  同時に、自分の成長を試してみたい気持ちもないわけではなかった。引っ越してくる前に晒されたくらいの悪意になら、今ならば耐えられる自信がある。立ち止まって怯えてばかりだった自分が、人混みの中でも前に進むことができるのか、やってみたい。むしろ、いつかはそうしなければいけないとまで、聖には思えるようになっていた。  それにしたって、気になるのは澪のことだった。自分がここから去ったとき、彼女はどうなってしまうのだろう。あの祠に通う者がいなくなったら、出会った頃の彼女のように消えゆくのだろうか。  考えても、答えは出なかった。 「午後は、山に行こうかな」  聖はそう言って、窓の外を見た。部屋の裏手の木々は、うっすらと積もった雪で白く縁取られていた。
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