もう一人の王(後編)

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もう一人の王(後編)

「聖!」 「聖くん?」 「山が騒がしいですよ、澪さま。まだ回復が不十分なんでしょう? むやみに力を使わないでください」  広場に現れた聖は、不自然に硬い笑顔で澪と環を交互に見比べた。 「お主、聞いていたのか」 「途中から、ですが」  うなずきながら何気なく上着の物入れを探った聖を見て、澪は耳に戒めがないことに気付いた。滅多なことでは耳栓を取らない彼が、今日はすでに『聞き耳』の力を開放している。だが、いったい何のために? 「……環さん。澪さまに何をするつもりだったんですか」 「別に? ただ、あなたについて少し話していただけよ。……友好的にね」  彼の口元は左右に引かれており、笑みを浮かべたようには見える。しかし、澪はいつもの聖らしくない冷ややかな眼差しに違和感を覚えた。優しい聖が、いったいどうしたというのだろう。 「僕には、そうは見えなかったんですが。ことによっては容赦はしません」  聖は明らかにけんか腰で、詰め寄るように土を踏んで環に近寄る。環も聖の様子がおかしいことを認めたのか、気圧されるように一歩退くと「な、何? 朝とは別の人みたいじゃないのよ」と目を細めた。『浄天眼』を使う気だ――澪がそう思った刹那、聖は低い声で言い放った。 「環さんの心も、聞いてあげましょうか」 「何ですって」 「僕にだってあなたと同じことができる。……力を持つ人間なら、わかるだろ」  澪が耳慣れない口調に聖を見ると、目を閉じて神経を集中させているところだった。  環の何かが、聖の逆鱗に触れたのだ。悪い予感がする。静かな怒りは、暴発したときに怖い。聖が怒っているところなど澪はこれまで見たことがなかった。彼は穏やかで怒りとは無縁だと、勝手に漠然と思い込んでいたのかもしれない。負の感情を持たない人間なんて、いるわけがないのに。 「優れた力を分かろうともしないで怖がるなんて、みんななんてバカなのかしら。力を使って何が悪いの。私だって好きで見えてるわけじゃない! 人に嫌われる前に、自分が嫌ってしまえばいいんだわ」  環の『声』。聖が、環の心を聞き取って彼女に叩き付けていた。澪が聖を止める言葉を選んでいるうちに、彼はすでに走り出してしまっていた。 「それは、私の――」  『目』で聖の中ばかりを見ようとしていた環は、彼が語り出した内容に気付くのが遅れた。  少し間をおいて環の顔色は目に見えて白くなり、余裕さえあった表情が驚愕へと塗り替えられる。聖はその変化を感じているのかいないのか、なおも瞳を閉じたまま聞こえた声をそのまま音にしていく。 「力で手に入らないものがあるなんて認めたくない。本当に欲しいのは、胸の内を打ち明けられる友だちだけなのに。同じ力を持った聖くんと話がしたかっただけなのに」 「やめてよ!」  耳を両手で押さえ、頭を抱えるようにうずくまった環に向けて、聖は何かに取り憑かれたように言葉を浴びせていった。心を引きずり出された恰好の環。あれだけ高かった鼻は聖の反撃でへし折られて見る影もなく、地面に向けられた口からは悲鳴のような声が漏れる。いくら特別な力があったとしても彼女も人間なのだ、脆いものだと、澪は憐れみすら感じていた。  脆さは、聖も同様だった。彼にとってその耳は諸刃の剣になり得る。環は自分の中に信じる論理があり、それに納得した上で攻撃的に生きているが、聖は違う。人を傷つけた分、きっと後から自身に反動が返ってくるはずだ。 「苦労もしないで仲間を得た山神はずるい、許せない。……誰か、私のそばにも来て! どうしてみんな、私から離れていくの?」 「聖、やめよ!」 「……澪、さま」  澪の叱責で、聖はようやく我に返ったようだった。 「もう充分じゃろう。耳を塞げ」  聖はゆるゆると物入れに手を突っ込むと、いつもの耳栓を取り出して力を封じた。そして、そのまま立ちつくしている。  今度は環の方だ。しゃがみ込んで身動きすらしない環に、澪は手を貸す。澪の手を伝ってやっと立ち上がった環の上着の裾は、砂まみれになってしまっていた。埃を払ってやりながら「まったく。お主も、しっかりせぬか」と喝を入れると、環は呻いた。 「ただの坊やだと思って、油断した」 「力を持つ者のことは、お主がいちばん良く知っておろうに」 「ええ。……ええ、そうかもね」  すっかり勢いが削がれ、自嘲じみた弱々しい笑みで環は答える。気性の激しさは感じられず、他人を侮ったような様子も見えない。 「……この『目』で、私を変人扱いした奴らに仕返ししたわ、今みたいに。やり返しただけじゃない。どこが悪かったの?」  環は澪に寄りかかるのをやめて、真顔で聖に尋ねた。一方の聖は突っ立ったままで、無表情に切り出す。 「ますます、居場所がなくなってしまう。……仕返ししたって、僕らのような人間が住みよくなるわけじゃない。力を認めてもらえるのがいちばん嬉しいけど、今の僕は人に紛れて暮らすことができるだけでいい。きれいごとに聞こえるでしょうが、実際そうなんだ。一人、二人分かってくれる人がいれば――今はまだそれだけでいい」 「でも、私とあなたは違う。環境に恵まれてるから、そんなことが言えるんだわ」 「僕はただ待っているだけで居場所を手に入れてしまったから、その点では環さんにずるいといわれても仕方がないかもしれない。でも、同じですよ。僕も人の役に立ちたいとか理由をつけて、結局は他人の心を盗み聞きしてる。環さんと同じことをしてます。環さんと別れた後にそれに気付いて、どうしても話がしたいと思ってここに来たんです」  皆が聖に手を差し伸べるのは、彼の中に何かしら惹かれるものを見出すからで、聖はただ指をくわえて助けを待っていただけではないと、澪は内心思ったが黙っていた。話しているうちに言葉も徐々に穏やかさと優しさを増し、ようやく本来の聖らしさが戻ってきた。  それにしても、聞こえてしまうことを『盗み聞き』と表現するのは良くない傾向だった。こんなとき、聖は自分を必要以上に否定している。 「やりすぎてしまいましたね。本当にごめんなさい」  終わりに、聖は環に向かって深々と頭を下げた。環は大きく息を吐き出し、視線を聖からずらす。 「お互い様よ。でも、私は謝れない。自分のしてることがよく分からなくなってきちゃったから。そういうこと、もっと話してみたかったわ」 「僕もです」 「もうそんな気もなかろうが、儂らを力ずくでどうにかするというのでない限り、話し相手にはなるぞ。……春が良いかもしれぬ、桜が綺麗じゃ。また来るがよい」 「呆れたお人好しね。聖くんも、澪さま……も」  毒気を抜かれたのか、環は目を丸くしてそれきり黙り込み、しばし何ごとかを考えていた。やがて二人に背を向けると、環は肩越しにひらひらと手を振った。 「今日は帰るわ。……諦めたわけじゃない。あなたたちのことは口外しないから安心して。まわりにバレたら、いつかまた聖くんを迎えに来るときに面倒だものね」  環は負け惜しみか捨て台詞とも取れる言葉を残して、山を下っていった。  彼女の姿が見えなくなると、聖はふらふらと大杉に近寄り、無言でその根に腰を下ろした。澪もそれに倣って隣に腰掛けたが、聖はふっとこちらに笑いかけたきり何も口にせず、膝を抱いて小さくなった。  ずいぶん経ち、聖の身体が冷え切るのを心配し始めた澪が久々に聞いたのは、「僕、最低ですね」の一言だった。澪は、苦笑いでそれに答える。 「そう、責めることもなかろう。あの状況なら、お主がせんでも儂がどうかしていたはずじゃ」 「……ありがとうございます」  視線は宙を漂い、澪の方を見ようともしない。組んだ両腕に顔をうずめているので表情も分からない。そのまま、聖はくぐもった声で訥々と語り出した。 「澪さまが『環さんが勘違いしてる』っておっしゃったあたりから聞いていたんです。様子を見ていたら、澪さまがひどい目に合いそうだったので、ついカッとして慣れないことを。……環さんに向かって叫びながら、昔の僕を思い出していました。あの人の心の中は、少し前の僕に限りなく近かった。僕はそれが分かってもやめなかったんです。怒っていて見境がつかなかったとは言っても、聞き耳をあんな風に使うなんて、最低です」  まるで世界の終わりが来たかのような形相の聖に、澪は「そのような顔をするな」とこぼした。 「儂はありがたく思っておるから、反省はそれくらいにしておくがよい」  聖に深く考え込ませると、どんどん過去に立ち戻って余計に消耗するだけだ。彼には、『考えずに歩く』ことも今は大切かもしれない。  彼の思考を止めるには、どうしたらいいだろうか。ちょっと頭を捻ったのち、澪は静かに立ち上がると聖の目の前に正座した。驚いてわずかに眉を上げた聖の顔を、ためらいがちに両手で挟む。思った通り冷たい頬だったが、きっと彼の心はさらに寒々しく底冷えしているだろう。 「澪さま?」 「こんなに、冷えて」  不思議そうに首を傾げ、大きいまばたきを二、三度繰り返すと、聖の目がやっと澪を捉えた。  いつだったか、人間どうしは触れ合うと安らぐのだと聞いたような気がする。それは動物も同じだ。人間がこういうときどうするのか、詳しいやり方はよく分からないので自己流だが、多少なりとも効果が上がればそれでいい。  澪は両手をそのままに、やはり冷え切った聖の額と自分の額とをそっと合わせる。触れた場所から熱がどんどん奪われていくのが分かった。 「お主は、心休まる地を求めて、この村へ来たのであろう?」 「……ええ、そうです」 「それにしては働き過ぎじゃ。……年越しは切り替えるいいきっかけになろうよ。儂が許すから、あとわずかじゃが、今年のうちはもう休め。来年から励むがよい」  聖の波立った胸の内をできるだけ和らげようと、ゆっくりと噛んで含めるように言い聞かせる。何かと気ぜわしい年末年始、時の流れに乗せられてしまえば嫌でも前へと進まなくてはならないのだ。これで歩みを前向きに修正する気になってくれればいいのだがと、澪は言い終えて聖を見つめた。  やがて、聖はしっかりと抱え込んでいた膝を解放すると、両足をそろそろと伸ばした。澪は両手と額を離し、元のように聖の隣へと戻る。聖は、今度は自分の両手を頬に当て、「だいぶ温まりました」と微笑んだ。照れたように何度も頬をこする。 「今度あの人に会うときには、笑って話せるようにしたいです。もっと、優しく」 「うむ。次から、な。次から、精一杯気をつければよかろう」 「はい、次から。……これで、反省終了です」  区切るように強く言うと、聖は頬を軽く叩いて手を下ろした。どうやら、心の整理がついたらしい。次に聖が澪へと向き直ったとき、彼は嬉しそうに別の話題を語り出していた。 「そうそう、もうすぐ西洋のお祭りがあるんですよ。『クリスマス』っていうんです。その日の夜は、枕元に靴下を置いて――」  『くりすます』とやらについて熱弁を振るい始めた聖を、澪は晴れやかな気持ちで見守る。風の音は、もう聞こえなくなっていた。
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