2 次元を超えて

5/5
259人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ
「最初にお前を連れてこっちへ来たときはびっくりしたけどなぁ。なんせ向こうとはまるで勝手が違ったからな。まぁこの景色にも、生活にも慣れるもんだよなぁ」  仁は相変わらず、呑気なことを言っている。まるで勝手が違う、さらりとそう言った仁の言葉に少なからず不安を感じるが、ここまで来たらもう覚悟を決めるしかない。今仁にあれこれ問うよりも、実際に自分の眼で見ればいいのだ。  10分程で車は不忍の池に到着をした。  当たり前だが、公園内はひっそりとしていて、池の周囲には誰もいない。  運転手は益々怪訝な表情で仁と真貴を見てきた。さっき真貴が「見納めだ」と言ってからなんだかそわそわと落ち着かない様子で運転していた。もしかしたら無理心中でもするのかもしれないくらいに思われているのかもしれない。  真貴は運転手の不安げな視線を振り切るようにしてタクシーから降りると、仁と共に池のボート乗り場へ向かった。  誰もいないとはいえ、通りを照らす街路灯の明かりで公園内は比較的明るい。 「なぁ、なんで不忍池なんだよ」 「ここが通りやすいからだ」  そう言って仁は池の端に並んで止めてあるボートの一つに飛び乗ると、括り付けてあったロープをほどき真貴を呼んだ。  真貴がボートに乗り座ったのを確認すると、ポケットから呪符を取り出し、左手の人差し指と中指を立て下唇にかるく当てて呪を唱える。そしてボートの先端に呪符を張り付けるとボートはゆっくりと動き出した。  真貴は黙って仁の様子を見ていた。  普段はダメダメな仁であったが、陰陽師としての実力はなかなかのもので、こうして術を施す仁の姿を真貴は素直にかっこいいと思った。  真貴も仁も漕いではいないが、 ゆっくりとボートは進んだ。  やがてどこからともなく霧のような靄が湧き出て、真貴と仁をボートごと包み込んだ。  ボートは真っすぐに進んでいる。  それでも対岸につくことはなかった。 「なぁ仁、さっき言ってた・・・・ここが繋がり易いってどういう意味だ?」 「ん? あぁ・・・・。今まで俺たちが過ごしてきた世界と、これから戻る世界とは異なる次元に存在する別の世界だ。とはいえ、並行して存在する世界でもある。つまり、互いの世界に微量の影響を与えながら全く違う文化や歴史を歩んでいるってわけだ」  真貴は小さく頷く。 「異次元と呼ばれる世界がどれだけあるかは知らねぇが、俺たちのこれから向かう世界は、これまでの世界とおそらくかなり近しい位置にあるんだろうな。 地形や、地名はわりと酷似している。つまりだ。これから行く世界にもこの、不忍の池があるってことだ」 「そっそうなんだ・・・」  一応返事はしたものの、意味はよく分からなった。そんな真貴を知ってか知らずか仁は続ける。 「俺たちの故郷。つまり、これから向かう世界はこっちで言う平安の時代からほとんど形を変えていない。とはいえ、同じだけの時間は流れている。 だからお前が教科書で習ったようなまるっきしの平安時代ってわけでもねぇ。 実際都(みやこ)は東京の位置にあるし、独自の進化を遂げている部分もある。こっちの世界の平安時代みてぇに、めったに風呂に入らねぇなんてこともねぇし、麿みてぇな奴もいねぇ」 「都が東京に?つまり、東の京都・・・東京都ってわけか?」  真貴の言葉を聞いた仁は噴出した。 「お前、うまいこと言うねぇ。まぁ、そんなとこだ」  真貴は自分が不本意にも、親父ギャクのようなことを言ってしまったことに気づき、赤くなった顔をごまかすように質問をぶつけた。 「で、なんで不忍の池なんだよ」 「それはだなどっちの世界でも、神事っていうのは結構一致してるもんでな。 国の中心ってのは結界で守られてるんだよ。  東北の鬼門を守護し青龍を祀る、神田明神。  西南の裏鬼門を守護し白虎を祀る、日枝神社。  南を守護し朱雀を祀る、増上寺。  そして、北を守護し玄武を祀る、寛永寺。で、ここ寛永寺のおひざ元にある不忍池はより強い術方を使うのに適している。というわけだ」  話を理解したかどうかは別として、とりあえず頷いていると、徐々に周囲の靄がはれてきた。  対岸が見えてきた。  しかし、その風景は先程ボートに乗った不忍の池とはあまりに違う。  まるで山の中だ。  木々が生い茂り、池もまるで整備されていない。  そしてなによりも暗かった。  唯一頼みの綱は月灯りのみであった。 「ここが、不忍の池?」  戸惑いを隠せない真貴であったが、仁はまるでこの景色こそが当たり前だと言わんばかりにボートからぴょんと飛び降りると体の向きを変えてボートの上の真貴と向き合った。  両手を大きく広げている。 「真貴、ここがお前の故郷だ!」 「いや・・・そんな無理やり感動的っぽく言われても、なんも見えないんだけど・・・」  抑揚のない声で返した真貴に、仁は口を尖らせ「感受性の乏しい奴め」とぼやいた。  そうは言われても、故郷と言えど真貴にとっては初めて眼にするばしょだ。その上、今は暗くて殆ど見えない。  月明りに徐々に眼が慣れてはきたものの、すぐ近くが木々で埋め尽くされているのはわかるが、その先はどこまでも暗闇が続くばかりでやはり全貌を伺い知ることはできない。  真貴は頭上を見上げた。 「うわっ」  夜明け前の空には、まるでプラネタリウムのような無数の星々が輝き今にも落ちてきそうな程だった。  真貴がこれまで暮らしてきた世界の不忍池であれば、これほどの星がみえるはずはない。やはりここは、もう違う世界なのだと思い知る。  真貴は揺れるボートの上から、恐る恐るその一歩を踏み出した。             
/69ページ

最初のコメントを投稿しよう!