プロローグ

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プロローグ

 屋敷を包む炎はまるで意志を持った竜のごとく渦を巻きながらその勢いを増し、既に屋敷の半分以上が竜の餌食となっていた。  屋敷の者達は使用人を含めあらかたの避難は済んでいた。  一番奥の部屋をのぞいては・・・。  その部屋で今まさに二つの命が元気な産声を上げた。 「華弥(はなね)様、よぉ頑張りなされたなぁ。可愛い男の子が二人。どちらも元気な子でございますぞ」  乳母の泰乃(やすの)は取り上げたばかりの二人の赤ん坊を白い布で包むと華弥の顔の両脇にそれぞれ赤ん坊を置いた。  華弥は首だけを左右に動かして二人の赤ん坊の健やかな表情を見ると、力なくそれでも幸せそうな笑みをこぼした。  赤ん坊の声を聞き、隣の部屋で待機していた父親の誠達(せいたつ)も華弥の元へ駆け寄り、優しくその額に手をあてた。  いつ崩れてもおかしくない危機的状況の中、この世の幸せが全てここにあるかのようだった。 「よく頑張ってくれた。礼をいうぞ。華弥」 「誠達様・・・我が子を抱きたいのです。起こしてください」  誠達が華弥の背中にそっと手を添えてその体を起こすと、華弥は身をよじり一人の赤ん坊を抱いて、誠達に渡した。  そして自らはもうひとりの赤ん坊をそっと抱き上げた。  華弥と誠達、夫婦の優しい眼差しに包まれて、ふたりの男児は幸せそうにまだ見えていないであろう瞳をわずかに開いた。 「っ・・・」  赤ん坊の眼を見た誠達は、息を飲み言葉を失った。  無意識に何度か眼を瞬かせる。  赤ん坊はそれぞれ左右片方づつの瞳の色が、今まさに屋敷を飲み込もうとしている炎が如く、燃えるような赤い色をしていた。 「誠達様、この子たちの名は・・・」  母親の華弥にもその真っ赤に燃えるような眼は見えているはずであったが、気にするそぶりも見せず、愛おしそうに我が子に視線を落とした。 「あ、あぁ、お前が抱いているのが兄の真貴(まき)。そして私の腕の中にいるのが弟の志貴(しき)だ」  誠達は戸惑いながらも、なんとか平静を装った。 「真貴と志貴・・・。とても良い名でございますね」  華弥は真貴と志貴、あどけないふたりの赤ん坊を目を細めて見ると腕の中の真貴の額にキスを落とした。  その時だった。  (へや)の戸が勢いよく開かれて、熱気と共に転がる様に一人の男が入ってきた。髪は乱れ、顔や着物は煤で黒く汚れている。  華弥の弟の(じん)である。  仁はふたりの腕に抱かれている赤ん坊の眼を見て一瞬眉間を寄せたたが、すぐに緊張感のこもった鋭い眼差しへと変わった。 「義兄上、姉上、おめでとうございます。しかしながら屋敷のほとんどは既に炎の中でございます。じきにここも・・・」 「そうですね。急がなければなりませんね」  華弥はたった今子を産んだばかりとは思えぬ程に、気丈に頷いた。そしてもう一度兄の真貴を優しく愛おしそうにぎゅっと抱きしめそのお包みの中に漆黒の扇子を一本差し込むと真貴を仁に差し出した。  仁は自らの手についた煤を着物で拭い、生まれたばかりの真貴を華弥から受け取りその胸にしっかりと抱いた。 「確かにお預かり致しました。私はもう参ります。義兄上様、姉上様、どうぞご無事で」 「頼むぞ。仁」  我子との別れに涙を浮かべる姉の頬へと手を伸ばし、一度だけ指の背でその頬を撫で涙を拭った。仁の顔が不自然に歪む。こみ上げる涙を必死に堪えいるためだった。奥歯を噛みしめの姿を断ち切る様にして、「これにてさらば」そう姉に告げると仁は真貴を連れそのまま炎の中へと消えた。  誠達はその胸に志貴を抱き、乳母の泰乃は華弥支えた。  この室を今にも飲み込みそうになっている炎から逃れるべく、脱出したのであった。
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