260人が本棚に入れています
本棚に追加
一刻後、楽亜は神田の神明家の前に立っていた。
恐る恐る門を覗き込んだ楽亜は、びくりと肩を震わせた。
屋敷の中から何やら賑やかな声が響いてきたのである。
「あーっ、仁っそれ俺のだろ!食うなって!」
「ばぁか、早いもん勝ちなんだよ」
「てめっ、ふざけんなよな!じゃぁ俺だって!」
「あっ、兄上やめてくださいよ、それは私のですっ」
「じゃぁ志貴は茂澄の奪え」
「そんなっ、私だって譲れませんよ!」
楽亜はしばし呆然と中から聞こえる声に聞き耳を立てていた。本家の屋敷でこれほど穏やかで、賑やかな声など聞こえたことは未だかつて一度もない。
さっきまで真貴とは同じ毛氈の上にいた。
自分は父親に殴られ、罵倒されたと言うのに、真貴はこんなにも楽し気な声を上げている。
楽亜は拳をぎゅっと握った。
「理不尽だ。どうしてお前ばかりが持っている・・・」
誰に言うでもない。
心から出た言葉だった。
楽亜は意を決すると、一歩踏み出し神田の神明家の門を潜ったのである。
ふわりと梅の花の匂いが楽亜の鼻腔を擽った。梅の時期などとうに過ぎていると言うのに、どういうことかと首を傾げた時、目の前に女がひとり立っていた。
「私は本家の楽亜だ。真貴に会いに来た」
こくりと頷いた女について屋敷の中に入っていくと、そのまま簀子に案内された。
「えっ?楽亜?」
楽亜に気づいた真貴が、素っ頓狂な声を上げている。楽亜の来訪が想定外だったのだろう。
「叔父上、ご帰国されていたというのに挨拶が遅れて申し訳ありません」
楽亜は仰々しく仁に挨拶をした。
「おぉ、楽亜じゃねぇか。今日はお前もご苦労だったな。まぁ楽にしろよ」
「ありがとうございます」
「で、どうしたんだ?俺になんか用か?」
挨拶を終えたはいいが、真貴にそういわれるとそれはそれで困ってしまう。
父から真貴と親しくなるように言われたはいいが、実際目の前にするとどう親しくなればいいかがわからない。
「いえ・・・あの・・・、別に、用というわけでは・・・ただ、お二人が帰国されたと聞いて私も挨拶に伺わねばと・・・。それに真貴とは歳も近いですし・・・」
「ふぅーん」
真貴は興味なさそうに杏子を口に入れた。
どうやら先ほど聞こえた騒ぎは、この杏子を取り合ってのことだったらしい。
真貴の傍らで志貴と茂澄も戸惑っていた。
歳が近いと言えば、志貴と茂澄も近い。しかし、これまで本家との行き来など一切なかったのだ。今日の不自然な呪術合戦、楽亜の突然の来訪。腑に落ちないことばかりである。
「なぁ、楽亜は今日の合戦のこと聞いていたのか?」
「えっ、あぁいえ・・・」
「そうか、やっぱり知らなかったんだぁ。俺はさ呪術合戦って聞いてたから、なんだか今日は訳がわからなかったよ」
屈託なく笑う真貴と目を合わせることができなかった。
本当は知っていた。父が今回の計画を左大臣に持ちかけた事。思いがけず自分が真貴と対決することにはなったが、予め箱に卵を入れると聞いていた。しかし、真貴はそんな小細工をもろともせず、帝を満足させてみせたのだ。自分は、卑怯な手を使った上に負けたのである。
しかし、楽亜は静かに笑みを浮かべた。
策にはめられたというのに、真貴が楽亜の言葉を簡単に信じたからだ。
「どうした?楽亜」
仁に声をかけられ、楽亜は慌てて頷いた。
「はい・・・、今日はご挨拶に伺っただけですので、私はこれで。・・・・それで、あの・・・、また来てもいいでしょうか?」
「なんだよ、別に来たい時に来りゃいいじゃん」
あっけらかんと答える真貴の声にはっとして顔を上げると、仁も笑みを浮かべて頷いている。ただ、志貴と茂澄だけはどこか疑念を抱えているようにも見える。とはいえ、楽亜もここで引くわけにはいかなかった。父からの言いつけを守らねばまたどんな目に合うかもしれない。
「あのっ、真貴・・・、明日、一緒に宮廷に行きませんか?」
「え?」
最初のコメントを投稿しよう!