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恵茉が我が子の小さな手を取れば、掴んだ指の肉がとぅるんと抜けて骨だけになった。恵茉はそれを無表情で見つめ、手に残った腐敗した我が子の肉片を、ぽいっと放り投げ骨になった我が子の手を優しく撫でている。
子供の身体はとうに腐敗して、顔の半分以上は骨が見えてい。顔に至っては既に髑髏なのだが、その髑髏が時折歯をカチカチとならし、恵茉を見上げる。恵茉はそれに優しい微笑みで返す。
「想像以上だな・・・」
室から目を離しため息をついた真貴に、再び柳生がひれ伏した。
「恵茉はああして死んだ息子の世話をするようになってから、食事すらとらなくなりました。一日中あぁして息子の亡骸を抱いているのです。このままでは、恵茉までもが死んでしまうっ!仁殿、真貴殿、どうか助けてくださいまし」
懇願する柳生からは切羽詰まった様子が、ひしひしと伝わってくる。もちろん、どうにか救ってやりたいとも思う。けれども、あの子供に宿るのは妖でもなんでもない、人間の思念だ。母が子を強く思い、子が母を強く思うからこそ、起きた事なのだ。真貴にはどうすればいいのか、見当さえつかない。
「仁、どうにかなんねぇか?あんなの、気の毒すぎるよ」
「そうだな・・・・・まぁ、方法がねぇこともねえがな」
「本当か!」
「それって、どんな方法だ!」
しばらくの間の後に、仁は告げた。
「泰山夫君を呼び出す」
「っ!」
真貴は言葉を失った。
泰山夫君は陰陽師の主神であり、万物・生死を司る神である。
思わず黙りこんだ真貴を不審に思い、柳生が顔を上げた。
「あの、方法があるのなら是非に、お願いします」
ふたりの足元に縋り付く柳生を真貴はしゃがんで、なだめる様に言った。
「柳生さん、泰山夫君はそう気軽に呼べるもんじゃねぇんだ」
「そんなこと言わないでくださいっ、私は妻も息子も不憫でならないのですっ」
「それはわかるんだけど・・・人の生死にかかわる術は禁術なんだ。俺らにもそうたやすく踏み入れられない領域ってのがある」
「それはどのような」
「世の理に背く領域だよ」
「世の理・・・でございますか」
「あぁ、例えば死んだ者は生きかえらねぇ。男は女にならねぇし、女も男にはならねぇ。それが理だ。泰山夫君はその理さえも変えちまう、言わば禁術なんだ」
「禁術・・・・しかし、しかしそれを用いれば恵茉はっ、愛徒は救われるのですね!」
柳生の疲れ切った顔に、希望の笑みが浮かぶ。
「ちょっと待ってくれ、禁術には大きな代償が伴う。危険なんだって!」
「どんな代償でもかまいません。私の命が必要なら差し出しましょう!覚悟はできております。どうか!どうか、お助けください」
「柳生さん・・・」
柳生の言っていることは嘘ではないだろう。妻と息子の魂を救うために、この男は本気で自らの命さえ差し出そうとしている。だからこそ、余計に困ってしまうのだ。禁術には禁術たる由縁がある。
「仁、どうしたらいいんだよ」
「そうだな・・・」
仁は腕を組み何かを考えているようだった。
そこへ柳生の家の者がやってきて片膝をついた。
「神明志貴様並びに、相良茂澄様がおいでになりました」
「志貴と茂澄が?」
来ると聞かされていなかった真貴とは逆に、仁は全てを見通したような笑みを浮かべた。
「よし、柳生様ここは一旦隣の室に参りましょう。志貴と茂澄もそこへ呼んでもらえますか?」
「わっわかりました」
立ち上がりざまによろめく柳生を真貴が支え、すぐ隣の室へと移るとすぐに志貴と茂澄がやってきた。
「志貴、茂澄、できたか?」
「はい!叔父上、ここに」
志貴が差し出したのは、五寸程の木でできた人型だった。いつの間にやら、仁は人型を志貴と茂澄に命じて作らせていたのだ。
仁は手にした人型を眺めた後で、柳生に向き直ると静かに言った。
「先ほど、妻子を救う為ならなんでもすると仰いましたね」
「あぁ、言った。言ったとも」
「わかりました。真貴が申した通り、泰山夫君を呼び出すは禁術とされていrます。故に代償も高くつく。その代償が、柳生様の寿命であったとしてもやりますか」
「私の寿命?」
柳生は目を見張った。
「あの・・・それはどういう・・・・」
「妻子を救うと言っても、実際に救えるのは奥方のみです。すでに亡くなり身体が腐敗しているご子息については、当然のことながら生き返らせることなどできない。今のご子息は奥方と互いに想い合う力によって身体に宿った残留思念がご子息の遺体を動かしている。人の想いというのは、時にそこいらの妖よりも厄介なのです。本来であれば身体に残った思念は四十九日の後に浄化されます。しかし、此度は奥方様の強い想いがそれをさせなかったのでしょう。さすれば方法はひとつ。再びご子息の魂を呼び戻し、思念と共に旅立っていただくしかございませんなぁ」
「息子の魂・・・愛徒が再びこの世にもどるのですかっ」
柳生は驚きを隠せないまま、膝立ちで数歩仁ににじり寄った。
「戻るとはいえ、身体はとうに腐敗し心の蔵も停止しておりますからねぇ。もう一度ご子息との別れをしなければなりません。それは恐らく柳生様にとっても、奥方様にとってもお辛いことでしょう。しかし、それ以外に思念を消し去る方法はなく、このままでは奥方様は永久にご子息の思念に捕らわれることとなります。まぁ、永久に・・・と言っても、奥方様の命のある限り・・・ということですが」
「そんな・・・」
柳生は力なく、へたり込んだ。
一瞬でも”息子が戻る”という言葉に期待してしまった分、哀しみが増した。
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