9 泰山夫君

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 とはいえ、このまま放っておくことなどできないことは柳生自身、重々承知している。 「ご自分の寿命を差し出す覚悟はおありですか?決断を急かすつもりはありませんがねぇ、このままでは奥方様にも障りがあるでしょう」 「なに?恵茉にも障りがあると?」  深い哀しみと絶望が柳生の全身を震わせる。 「柳生さん」  柳生の小刻みに震える手に、真貴は自らの手を重ねた。 「柳生さんには酷な話だけど、奥方様はもう目の前のものがなにひとつ見えちゃいねぇんだ。腕の中で腐りきった我が子さえ、ありのままの姿なんて映しちゃいねぇ。こんな状況が長く続けば、奥方様は生きながらに息子の思念に捕らわれて戻って来られなくなっちまうんだ。そうすればその先は___。仁が言っているのは、そういうことなんだ」  柳生は虚ろな瞳でどこを見るでもなく、静かに真貴の話を聞いていた。そして再び涙を零すと、震える声で尋ねた。 「ひとつ伺いたいことがございます。私の寿命とはあとどれくらい残っていて、代償にはどれくらいが必要なのでしょうか」 「申し訳ありませんが、俺にもわかりません。最悪術を施した瞬間、寿命が尽きる可能性もあります。ですから、無理強いはできません」  仁が静かに答えると、柳生は何度か深く頷いた。 「そうですか・・・・しかし、恵茉を救う手立てがあるなら、私は自らの寿命を差し出しましょう。どうか、妻を助けてください」  そう言って柳生は真貴の手をとったまま、仁に向かってゆっくりと頭を下げたのである。  仁は深く頷き、立ち上がった。 「真貴、志貴、茂澄、すぐに準備に取り掛かるぞ。志貴は泰山夫君祭の祭壇の用意を、茂澄は柳生殿の身体を清めてくれ、真貴はこの人型にご子息の魂を呼び出せ。何をするかは、わかるな?」 「あぁ、任しとけって」  真貴先に室を出ると、となりの柳生の妻がいる室にそっと入った。  柳生の妻、恵茉の瞳にもはや真貴は映っていない。先程真貴が柳生に話したように、既に現の景色を見ていない為である。  真貴は畳の上に抜け落ちている息子の髪を何本か拾うと、それを人型に巻き付けた。  畳の上に人型を置くと、腰に差した漆黒の扇子を取り出し右手に結んだ刀印を口元へ添える。 「早馳風の神 取次ぎ給え 柳生愛徒が魂 ここに参らん」  瞬間、人型が淡い光を発したがその光はすぐに消えた。  真貴は人型を手にすると、恵茉が抱いている腐敗した愛徒の胸の辺り。  露わになった肋骨の隙間から人形を入れると、愛徒の髑髏の額に扇の先を押し当ててとんっと一突きした。  次の瞬間、半分以上が骨であった愛徒の身体にふっくらとした肉が付き、目玉が戻り、可愛らしい男児の姿となった。 「愛徒・・・・」  腕に抱いた我が子のふっくらとした肉の感触に、恵茉の瞳が(うつつ)を映した。 「ぁ・・・・ぁ・・・・・っ」  恵茉は我が子の腕、足、指先、頬ひとつひとつを確かめる様に触れては、声にならない声で涙を流した。 「愛徒っ、愛徒っ、やっぱり生きてたっ、死んでなんかいなかったのね」 「母様・・・」  我が子を抱きしめて涙を流す恵茉を見て、真貴は複雑な気分だった。  決して、息子が生き返ったわけではない。  一時的に人型に息子の魂を戻し、術をかけているだけなのである。  やりきれない思いで、室を出ると仁の元へ向かった。  
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