9 泰山夫君

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「おぅ、来たか。どうだ?戻ったか?」 「まぁ、一応ね」  浮かない顔の真貴を見て、その心情を察した仁が真貴の頭をくしゃりと撫でる。珍しく抵抗することもなくされるがままになったのは、やはり先ほどの親子の姿が相当堪えているせいだろう。  愛徒は決して生き返ったわけではないのだ。  祭壇は志貴によって、すっかり出来上がっていた。  茂澄によって冷水で体を清められた柳生は、簡素な着物に着替え懐に経文を忍ばせている。仁の指示である。 「その向こうに奥方とご子息がおられるのでしたね」 「そ、そうです。先ほどご覧頂いた室です」  仁の視線の先には、ぴたりと閉じられた隣の室へと続く襖がある。 「この襖を開けた時、それが開始の合図です。柳生殿は奥方様と向き合ってくださいまし。この機をのがせば、二度と柳生殿の声が奥方様に届くことはないでしょうから」 「向き・・・合う・・・」  柳生は自分がこれまで妻と向き合ってこなかったことに、初めて気が付いたのだ。心のどこかで、自分も愛徒を求めていたのだと。  日々やつれる妻の姿に苦しむ一方で、妻が愛徒の亡骸と過ごすのを見ることで愛徒がまだいるような気がしていたのだ。 「柳生さん、仁がどれだけ優れた術を施しても結局は柳生さん次第だ。俺達は手助けにすぎねぇ!いいか!開けるぞ!」 「わかりました。開けてください!」  柳生の目の奥に強い意志が宿ったのを見て真貴は口の端で笑うと、すぱんっ!と小気味いい音を立てて勢いよく襖を開いた。  同時に仁が両手で印を結び、泰山夫君を呼び出すための呪を唱え始めた。 「っ!」  開いた襖の向こうを見て、柳生は驚きに目を丸くして息を飲んだ。  恵茉の膝の上で笑みを浮かべるのは、まさに生きている時と寸分違わぬ我が子の姿であった。腐敗して半分以上骨が見えていた身体は、ふっくらとした肉がついており、頬には赤みさえさしている。 「あい・・・と・・・・」  喉の奥に何かがつかえたようで上手く言葉がでない。それでもなんとか我が子の名を呼ぶと、「父様っ!」と男児が柳生の胸の中へ飛び込んできた。 「愛徒っ、愛徒っ」  柳生は何度も何度も我が子の名を呼び、小さな体をぎゅっと抱きしめた。 「やはり、愛徒は死んでなどおりませんでした」  いつの間にかすぐ近くに来ていた恵茉が、嬉しそうに自分を見るのを見て我に返った。  違う。息子は死んだのだ。今、向き合うべきは妻であるのだと。 「恵茉・・・・やっと私を見てくれたのだね・・・・」  妻の目に柳生が映ったのは、数か月ぶりの事だった。恵茉は愛しさと幸せの籠った眼差しで、我が子を抱く柳生を見つめている。  柳生は思い知っていた。ほんの少し前まで当たり前だった風景が、こんなにも愛おしいものであったのかと。 「柳生殿」  仁に名を呼ばれて、はたと我に返った。  自分の背後には仁、真貴、志貴、茂澄の四人がいる。 「柳生殿、奥方に我らの姿は見えておりません。さぁ、息子さんとお別れを」  仁の言葉で一気に現実へと引き戻された。 「別れ・・・・?愛徒はこんなに元気になったのに?」 「柳生さん、それは違うっ。今は俺の術でそう見えているだけで、実際はなにもかわっちゃいねぇよ。奥さん救うんだろ!しっかりしろよっ!」  真貴の言葉を背中で受け止めながら、柳生はもう一度我が子の姿をしげしげと眺めた。ふっくらとした頬でにこりと笑みを浮かべている。  見ているだけで、愛おしさが溢れる。  しかし、息子は死んだのだ。  愛徒はもういないのだ。別れをせねばならぬのだ。そう思うと、嗚咽が漏れた。
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