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「恵茉っ・・・・、良く聞いておくれ。私たちの愛徒は春先に流行り病で亡くなっただろう?」
「なにを仰るの!愛徒ならここにいるじゃない!」
恵茉の穏やかだった顔から笑みが消え、言葉には怒りさえ孕んでいる。
「愛徒はな、お前があまりに哀しむからこうして別れを告げに戻って来たのだ。よく思い出すんだ。愛徒はっ、私達の愛徒は死んだんだ!」
「やめてーーーーっ!愛徒は死んでないわっ!死んでなんかいないっ!」
発狂とも呼べる恵茉の叫びだった。
「恵茉っ!」
柳生は恵茉の両肩を掴み、久方ぶりに自分を映した恵茉の瞳を見据えた。
見据えた妻の瞳が次第にぼやける。
「もう愛徒を楽にしてやろうっ、私達がいつまでもこうやって愛徒を引き留めていたら、哀しむのは愛徒だっ!私だって辛いっ!でも、愛徒はもっと苦しんでるっ!」
「愛徒が・・・・?苦しむ・・・?」
恵茉の身体からだらりと力が抜けた。
その身体を柳生は抱きしめた。すっかりやつれ、骨ばった感触の妻の身体は少しでも力を込めれば折れてしまいそうだった。
「あぁ、そうだ。私も辛いっ。しかし、愛徒はもう死んだのだ。これ以上引き留めては可哀そうだ。このままでは愛徒は極楽にも行けぬのだぞ。ずっとずっと、病の苦しみから解放してやることもできん。だから、頼む。恵茉よ。愛徒を送ってやろう・・・・」
最後は嗚咽だった。
「愛徒・・・愛徒・・・」
柳生の腕の中で恵茉は、涙を零し最愛の息子の名を何度も呼んだ。
真貴の術で人の姿となった愛徒が、ふたりに歩み寄ってきた。
そして、小さな手を伸ばし、父と母の頬に触れるとふわりと笑みを零した。
「あぁ・・・愛徒・・・」
柳生と恵茉が声をそろえて息子の名を呼んだ時だった。
愛徒の背後に人影が現れたかと思うと、そのまま愛徒を抱き上げた。
柳生と恵茉は抱き上げた人物を見上げ、言葉を失った。
「・・・・・・父上・・・・・」
かすれた声でなんとかその名を呼んだ恵茉の両目から再び涙が溢れた。
愛徒を抱き上げたのは、数年前に逝った恵茉の父であったのだ。
「あぁ・・・そうでしたか。父上が愛徒といてくださるのですね・・・・」
愛徒は祖父に抱かれ、きゃっきゃっと笑みを浮かべている。
「義父上っ、ありがとうございます。どうか、どうか愛徒をよろしくお願い致します」
柳生も涙を流し、義父に向って頭を下げた。
恵茉の父は目を細め、恵茉と柳生を見るとそのまま愛徒と共にぱっと白煙となって消えた。と、同時に恵茉は意識を失い、その場にぱたりと倒れた。
背後で仁が深い呼吸と共に、印を解いた。
終わったのである。
柳生の傍らには、元の腐敗した息子の遺体と真貴が術をかけた人型が転がっていた。
神明の屋敷の簀子の上である。
柳生の屋敷から引き揚げてきた仁、真貴、志貴、茂澄誰からともなく、ここに集まっていた。
仁と茂澄は酒を呑み、真貴と志貴は杏子を頬張っている。
「なぁ、仁」
「ぁあ?」
猪口を片手に目をとろんとさせた仁が、怠そうに返事を返した。先ほど柳生の屋敷で見せたような、凛々しさは微塵もない。
「泰山夫君呼んだのに、なんで恵茉さんの父ちゃんが来たんだ?」
「あ、それは私も気になってました」
「まさか泰山夫君が恵茉殿のお父上であるはずは・・・ありませんよね?」
一向に溶けない謎解きに早くも降参の三人を目の前に、仁は小さく笑う。
「泰山夫君に形なんてねぇんだよ」
「形がねぇって・・・あっそうか。じゃぁ、やっぱりあれは泰山夫君だったわけか」
「んーっ、まぁ、半分そうで半分はやっぱり・・・恵茉殿のお父上ってとこか」
「ふーん・・・」
ひとり納得する真貴に、志貴と茂澄は顔を見合わせた。
なぜ今の説明で真貴が納得するのか、全くわからないのである。
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