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 十一月の夜、暁翔は劇団の稽古を終え、駅を出て真っ直ぐに閉店間際の『花江』へ向かった。 『花江』はこぢんまりとした、庶民的な弁当屋である。下町の古い食堂のような、懐かしい雰囲気が暁翔は好きだった。  白い息を吐きながら引き戸を開け、暖簾(のれん)をくぐる。狭い店内には家庭的な惣菜の香りが満ちていた。  暁翔はカウンターの横にあるメニュー表を一瞥した。 『花江』ではカウンターで弁当を注文した後、厨房で料理人が白飯とおかずを容器に詰めてくれる。できあがるまで待つ必要があり、店内には暁翔より先に来た数人の男性客が、丸椅子に座って弁当を待っていた。  メニュー表にある『なごみ弁当』は、今日も休止中と添え書きされている。このところずっと休止中のため、お気に入りの弁当が買えないでいる。  仕方なく「日替わり弁当一つ、お願いします」と注文した。  カウンターの中で雅の姉が「いつもありがとうございます」と言って微笑した。かわいらしいというより、シャープな感じの美人だ。三角巾とエプロンを身につけている。 「今日もなごみ弁当が休止中で、ごめんなさいね」  雅より五歳年上の姉が、申し訳なさそうに言った。 「いえ、日替わりも美味しいですから。でもできれば、なごみがあると嬉しいんですけど……もうやめたんですか?」  姉の表情が曇る。 「ほんとにごめんなさい。なごみは弟が全部作ってたの。弟がいないと、なごみまで手が回らなくて」 『花江』では雅の父と姉の夫が、調理をこなしている。接客の担当は母と姉。雅は厨房に入ったり、接客をしたりとイレギュラーな立ち位置らしい。 「なごみって……雅が全部作ってたんですね」  そこまでは聞かされておらず、驚いた。
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