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 1  とんっ……という音がした。  自宅のダイニングテーブルで一人、プラスチック容器に入った弁当を黙々と食べていた堂島(どうじま)暁翔(あきと)は、箸を止めた。  誰かが玄関の戸をノックしたのか? いや、違う。もっと遠くから響いてきた音だった。  何の音だろう、と首をかしげたのも束の間、今度は『とととんっ』と音がして、暁翔は音の正体に思い至り「ああ」と声を漏らした。  今夜は地元の町で夏の風物詩、花火大会が行われているのだ。会場の河川敷から、高台の団地にある暁翔の自宅までは距離がある。そのため「ドンッ」という迫力のある音は聞こえてこない。 「夏だ……」  暁翔は独り言を呟き、再び弁当に箸を運んだ。  外に出れば打ち上げ花火を見物できる。だが今は仕事で疲れており、とりあえず空腹を満たしたい。花火にウキウキするほど子どもではないし、まあ、どうでもいい、という感じだ。  駅の近くにある弁当屋『花江(はなえ)』で買った『なごみ弁当』は今日もおいしく、豆腐のハンバーグ、ナスの煮浸しなど、祖母が作ったような素朴なおかずが暁翔は好きだった。  彼女がいれば──と思う。彼女がいれば一緒に花火を見ようと言ってこの家に呼び、二人で見物したかもしれない。あるいは河川敷へ行ってデートを楽しんだかも。  二十五歳の一般的な成人男性として、そんなことも考える。  暁翔は背が高く『切れ長の目許がミステリアス、大人の落ちつきがあってかっこいい』などと周囲から言われることがあり、割合もてるほうだ。仕事は中小企業のサラリーマン。事務職に就いており、真面目な仕事ぶりと無難な人当たりの良さが評価されていた。社内一のイケメンとして女性社員にも人気がある。  しかし実際はこうして一人虚しく、花火の音を聞きながら弁当を食べているわけで。  よく味がしみたナスを咀嚼する暁翔の脳裏に、弁当屋の店頭に立つ店員の顔が浮かんだ。弁当屋『花江』に行くと、いつも明るい笑顔で出迎えてくれるその人は、まだ大学生くらいの男。  男性だけれど女性のように色白でたおやか、満開の桜を思わせる華やかな美貌を持つ彼。ずいぶんと綺麗なやつだな、というのが第一印象だった。それからは弁当屋に通うたび、やっぱり綺麗だ、かわいい、つい見とれる、と思っていた。  好みだ……と思ったときはさすがに焦った。暁翔はゲイではない。恋愛対象は今までもこれからも、女性のつもりでいる。我ながらバカな感情を持ってしまったと、すぐに打ち消したはずだったのだが──。
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