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「はっ…」
気がつくと、蓮菜は紫苑の前にいた。
「木蓮様。思い出しました?」
蓮菜は頭を押さえた。
「木蓮様?」
「…ああ…ちょっと、頭がクラクラするな」
「すみません。人間にはこの術をかけたことがなかったので…」
「いや…いい。俺は、前世の記憶も神だった頃の記憶も、2〜3歳の頃までしか覚えてなかったんだろう?」
「はい。神だった頃の記憶はなかったようです。おそらく宇宙神の意思により、封じられてしまったのでしょう」
「そうか。俺…いや、私が女の子として生まれたのは、自分の意思だったんだな?」
「はい。そのようですね」
蓮菜は、長い息を吐き出した。
「木蓮様。私はあなたの元へ何度も行きました。ですが、小さいあなたは私を幽霊と怖がったりして、私は怖がらせたくないと思い、あなたが少し成長するのを待ちました。ですが、あなたの霊力が成長とともに減っていっているせいか、私のことが見えなくなり声も聞こえなくなってしまった」
「そういや私、妖怪とかは大丈夫だったのに、幽霊は怖がってたな。っていうか、おまえ顕現できるだろ? 霊力がない人間にも姿見せられるだろ?」
「あ〜、そうでした。ここ何世紀か顕現してなかったので、すっかり忘れていました」
紫苑はしまったという顔をした。
「私が前世と神だった頃の記憶を思い出したのは、12歳頃だ」
「木蓮様は、どこか神社とか行きました?」
「修学旅行で東照宮に行った」
「ああ、それで天照様が東照大権現様とめずらしく話をされていたのですね。木蓮様が来たら、教えるようにと…」
「そういやその夜夢見たんだ。めずらしく思い出せる夢だった。私が天照様の前に立っていて、頭に手をおいて祝詞をあげてくださっているんだ。それからしばらくして、湊人が倒れたのをきっかけに、前世と神だった頃の記憶を思い出した」
「天照様が、あなたが眠っている間、魂だけになって霊界へ来た時、あなたの記憶を思い出させたのでしょう。神だった頃の記憶も封じられていただけですから、取り出すことができたのだと思います」
蓮菜は頷いた。
「今回、あなたが魂だったときの神界での出来事を、私が思い出させることができたのは、神だった頃の記憶を思い出した事で
あなたの魂が神さまよりになったからですね」
「なるほど」
蓮菜は「そうだ」と手を出した。
「あの悪魔を捕らえる玉。え〜と…」
「ノアベーツァーですか?」
「そう、それ」
紫苑は懐からあの卵を取り出した。
蓮菜が掴もうとすると、すり抜ける。
「あれ?」
「これ、霊体です」
「じゃあ、私じゃ掴めない」
「何かに憑依させればいいのです」
「そうか」
「木蓮様は、霊力が下がってますが、悪魔は見えるのですかね?」
「そうだな…というか、私、紫苑の姿見えてるよな。顕現してないのに」
「あ、もしかしたら、神社に入ったことで、一時的に霊力が上がって、視ることができているのかもしれないですね。悪魔も視ることができるかもしれないです」
「そうか…」
「木蓮様。悪魔はもう湊人さんの体に入り込んでしまったのでしょう? この玉ノアベーツァーが肉体を通り越して、中の悪魔だけ捕らえるということは難しいです。魂の契約をして中に入り込んだ悪魔は、魂の隙間に入り込んでいるので、捕らえられるとしたら、湊人さんの魂ごとになります。玉から湊人さんの魂だけを取り出すのも難しいですし、ずっと肉体と魂が離れていると肉体は死ぬことになります」
「そうか…。他に方法は?」
「湊人さんから悪魔を追い出して、捕らえる形ですね。お祓いをして悪魔を追い出す。それでも湊人さんの場合、悪魔は魂の隙間に入っていますから、お祓いもかなり危険が伴います」
「え?」
「湊人さんの中の悪魔が苦しむと、湊人さんも苦しみます。それでも続けていけば、湊人さんの体から彼の魂が出ます。その魂を連れ去ろうと出てきた悪魔をそこで捕らえるのです」
「それだと湊人死んでるだろ」
「すぐに蘇生できればいいのですが…」
「結局、湊人は今世を諦めるしかないのか…。だけど、その方法も、魂を連れ去ろうとする悪魔を確実に捕らえられるという保障はないよな」
「木蓮様…」
「…紫苑…、私は、湊人を失うのが怖いんだ。もし湊人が死んだら…悪魔に魂を連れて行かれたら…もう、二度と逢えない…。私は、人間として、生きていけない」
「木蓮様…。もしそうなったら、私の神使になればいいです。今、私には一人神使がいますが、木蓮様も一緒に…私とまたずっと一緒に…」
「紫苑…私が言っているのはそういうことじゃ…」
「湊人さんが死んだら、忘れてしまえばいいのです。私が忘れさせてあげますから」
ーズンッ
紫苑の体に蓮菜の拳が入った。
紫苑を殴ろうとしたが、霊体であるがゆえに、体をすり抜けていた。
「木蓮様…」
蓮菜は、今まで見せたことのない恐ろしい表情で紫苑を睨んでいた。
「湊人は死なせない。絶対に…」
「木蓮…様」
「おまえが、私を好きなのはわかってる。きっと、最初は親へ対する愛情のようなものだったんだろう」
「…そうです…でも、それ以上にあなたが好きで、その感情に気付いたのは、あなたが人間になってからだった。あなたが人間になった直後に人としての死を迎えたことを知って、私はあなたをもう一度、こちらの世界に戻したいと思った。でも、あなたがまた人間として生まれ変わる日を心待ちにしている姿を見たら、何も言えなくなってしまった」
紫苑はボロボロと涙を零した。その涙がキラキラと輝いて、地面に落ちる度に、花の芽が地面から顔を出した。
「泣くなって…。綺麗に玉砂利が敷いてあるのに、花で埋まる」
「ひくっ…だったら…泣かせた責任とって…う…あなたが…全部抜いてくださいよぉ…」
蓮菜は紫苑の頭を撫でてやる。霊体だから手がすり抜けてしまう。
「もどかしいな…触れられたらいいのに…」
「触れられなくても、あなたの心は感じています。優しいあなたの手も、温もりも…。だから、一度だけでいいのです。どうか、私に口づけを…」
「紫苑…」
紫苑は少し腰を落とし、蓮菜の前に顔を近づけ目をつむる。
蓮菜は紫苑の唇にキスをした。結局唇もすり抜けてしまうのだが。
「ありがとうございます」
「触れていないのに、これで良かったのか?」
「はい。先程も言った通り、触れなくてもあなたの心は感じています。私には、あなたの温かい唇を感じることができました。あなたの心は湊人さんにしか向いていない。でも、私への優しさもちゃんと感じることができました」
蓮菜は口元を押さえた。
「あ…そうか、神は人に触れられない分、その心に触れることができる。私も神だった時そうしていたのに、忘れていた。つまり、おまえは私の心を覗き見て…」
「木蓮様?」
「ちょっと、待て…。恥ずかしすぎて…」
蓮菜は紫苑に背中を向けた。
「木蓮様。私は湊人さんが羨ましいです。こんなにあなたに愛されている」
「紫苑」
「正直言うと、湊人さんに妬いていたのです。ごめんなさい」
紫苑は頭を下げた。
「そうか…」
蓮菜は柔らかく微笑った。
「そういえば、おまえが私のことをずっと見てた、あの鏡ってどうした?」
「もう割ってしまいましたよ」
「本当に?」
紫苑は、言いにくそうに口をモゴモゴさせた。
「…割ったのはごく最近です…」
「はあ?」
「…その…木蓮様と湊人さんが、一緒にお風呂に入っているのを見て、私は羞恥のあまりに鏡を割ってしまったのです」
紫苑は顔を真っ赤に染め、両手で顔を覆った。
蓮菜は口元を手で押さえた。
「マジか…見てんじゃねーよ。それホントに最近じゃねーか。そういうヤツを人間界ではストーカーっていうんだぞ」
「そんな…私は…」
「紫苑がまさかそんなヤツだったなんて…」
蓮菜は紫苑をジト目で見ると、紫苑は泣きだした。
「だって…ぅ…木蓮様のこと…こんな好きなのに…ヒクッ…何百年も一緒にいたのに…人間になって…私のことも忘れてしまうなんて…うわぁぁん…」
紫苑が盛大に泣きだし、蓮菜は慌てた。
「紫苑…。ごめんな、言い過ぎた」
蓮菜は紫苑の涙を拭ってあげようと手を伸ばすが、やはりその手はすり抜けてしまう。それでも心を伝えたくて、涙に濡れた頰を指で拭うように動かした。すると涙は美しい紫色の花びらに変わって、蓮菜の周りを舞った。その美しさに見惚れていると後ろから声がした。
「蓮菜…」
振り向くと、湊人が佐野さんに支えてもらいながら立っていた。彼は日除けのためか、白いバスタオルを被っていた。花びらが湊人の周りを舞っている。彼が手のひらを出すと、そこに花びらが乗った。先程、紫苑の涙が地面に落ちて、生まれた花の芽のように、花びらは現実にそこにあるようだ。湊人は嬉しそうに花びらを見ていた。花びらが風に乗ってどこかへ飛んでいく。湊人は優しい微笑を浮かべた。
男なのに、その姿がまるで美しい天女のように見えて、蓮菜は息をのんだ。
蓮菜が湊人に見惚れているのを見て、紫苑は「敵わないな」と思いながら涙を拭いた。
「蓮菜?」
「…あ、湊人…大丈夫なの?」
「うん。神様には会えたの?」
「ああ。そこにいるよ」
「…どこ?」
「…ああ…そうか…」
蓮菜は紫苑に声をかけた。
「紫苑。湊人は霊力がないんだ。姿を見せてやってくれないか?」
「…はい」
紫苑が姿を顕現してみせた。
「わ…」
湊人は突然現れた人物に驚き、紫苑の前まで歩いてきた。
「湊人さん?」
「大丈夫です」
湊人がしっかりと歩き出したので、佐野さんは心配しながらも、しっかりとした足どりに安心した。
「なんてきれいな女神さま」
「え?」
湊人の呟きに、蓮菜は吹き出した。
「湊人…。一応そいつ男神だから」
「え? ごめんなさい。オレてっきり女神さまだと…」
「いや…別に気にしてないですよ」
紫苑が引きつった笑みを浮かべ、蓮菜は笑いを堪えている。
湊人は紫苑の目をじっと見つめた。
(なんかすごい澄んだ瞳を向けられてるんだけど…)
「紫苑様? 目が赤い。蓮菜に泣かされたんですか?」
「え?」
紫苑は、予想しなかった問いに戸惑う。
「…はい。木蓮様に意地悪されたんです」
「紫苑?」
蓮菜は「何言ってんだ」と身振り手振りで伝えようとしている。
「そうなんですか。オレがあとで蓮菜を叱っておきますね」
湊人がそう言うと、紫苑は優しい笑みを浮かべた。
(ああ…この人は…なんて綺麗な魂の持ち主なんだ…。こんな人だからこそ、悪魔に狙われてしまったのか…)
「湊人さん。私はあなたに謝らなければならないことがあります」
「え?」
「私はあなたたちのことを見ていたのです」
「見ていたとは?」
「口づけしたり、一緒にお風呂に入ったりしたところを…」
紫苑は口元に長い袖を当て、恥ずかしそうに俯いた。
「神様は、人間の暮らしを見てるんですよね? そういう場面見ちゃうのは仕方ないんじゃないですか?」
「あ…そうです…ね…」
湊人が的外れな事を言ったので、紫苑はそういう事にしておいた。
蓮菜にジト目を送られているのに気がついたが、紫苑は無視しておいた。内心は汗ダラダラだったが。
紫苑は湊人の少し開いたシャツから見える胸を見て、ハッとした。
「湊人さん…。その胸の刻印は、悪魔の契約の証ですよね?」
「あ…紫苑様は神様だから、見えるんですね? これはツァラオヘルがオレの中に入った証だと言っていました」
「…悪魔の血で描かれているんですね…。初めて見ました」
紫苑が刻印に触れようとすると、紫苑の手と湊人の体にバチッと電気が走った。
「あ…」
「ぐっ!」
湊人が胸を押さえた。
「…ぁ…はっ…ぅ…」
その体が傾いで…倒れた。
「湊人⁉︎」
蓮菜が湊人を抱きおこすと、彼は顔を真っ赤にして、苦しそうに喘いでいた。
「ハアッ…ハアッ…」
「酷い熱だ。佐野さん、湊人を運びます」
蓮菜は湊人の体を背負うと、社務所の方へ向かった。
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