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8 戦いに敗れたら
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「それにしても、戦い上手くなったよね、ミランダ」
黄緑色の騎士服を着た弓士の少年・ゴドウィンが、ミランダの周りをスキップしながら言った。
「そうかなー」
ミランダは照れ笑いする。「ケネスの教え方が上手いからだよ」
「いやいや、ミランダの飲み込みが早いんだよ」
紫のローブを着た色白の青年・ケネスが微笑む。ケネスは炎の魔導士である。同じ魔導士として、戦い方のコツを教えてもらった。
ゴドウィンたちと鍵を探しはじめてから、すでに何人もの敵と交戦を経験していた。ゴドウィンたちは圧倒的に強かった。敵は戦意を喪失して逃げていくばかりだった。敵といっても、格好はミランダやゴドウィンたちと何ら変わらない。彼らも鍵を探していた。出会うタイミングによっては、ミランダは彼らの仲間になっていたかもしれない。ゴドウィンたちが仲間で良かったと、素直に喜んでいいものか。
浮遊するチワワのような恐竜・ロンが顔を舐めてきた。下を俯いていたミランダは、笑顔を取り戻した。
「お前ら、ちゃんと鍵を探してるんだろうな。喋ってないで真剣に探せ」
先頭を行く赤い騎士服の剣士・ジェラードが睨んでくる。ジェラードは一番の強さだった。無愛想だが、まだ戦いに不慣れなミランダを守ってくれることがあった。
「ダメだ、行き止まりだ」
ジェラードに続き、一行は足を止めた。
ミランダは、笑顔を消した。
突如ちぎり取られた緑の景色。緩やかな風の音をかき消す荒々しい波の音。その濁った灰色の波はこちらに押し寄せているのではなく、向こうへ向こうへ、ものすごい勢いで流れている。どこへ流れているのか、果てはぼんやりと薄暗く、不気味である。
孤独、不安……波が暗闇に消えていく様子を眺めていると、身体が吸い込まれるような感覚にさえ襲われてくる。
波が、徐々にミランダの足元を溶かしていく。
「どうした、引き返すぞ」
「ワン!」
後ろからジェラードとロンの声がした。振り返ると、三人と一体は離れたところから、不思議そうにミランダを見ていた。
「ねえ、あの先には何があるの?」
「さあ、考えたことなかったね」
ゴドウィンが答えた。次いでケネスが口を開く。
「でも、もしも波にさらわれたら、この島には絶対に戻ってこられないでしょ」
「早く行くぞ。ここは危険だ」
ジェラードは一人先に歩き出した。ゴドウィンとケネスもジェラードに続く。ミランダは暗闇に後ろ髪引かれる気分だったが、ロンに背中を押されて歩き出した。
しばらくすると、またジェラードが足を止めた。
「どうしたの?」
「シッ」
ミランダの言葉を、ケネスが制する。「殺気がする」
ゴドウィンとロンも、穏やかだった表情を一変させて周囲を伺っていた。
ミランダは何気に足を一歩後ろに引いた。そのとき。風を突き破る音がした。
「危ない!」
ケネスがミランダをかばって地面に倒れ込むのと、ミランダめがけて飛んできた弓矢をジェラードが大剣で跳ね返したのは、ほぼ同時だった。
ミランダは顔を上げた。一行は見知らぬ四人に囲まれていた。
「お前ら、鍵を持っているだろう」
四人の中で、雰囲気からリーダー格の男が剣を突きつけてきた。男はジェラードやケネスよりも少し年上のような印象だった。あとは魔導士らしいローブを着た眼鏡の男性。眼鏡の男性はこの場にいる誰よりも年上で、中年のような小太りの体格である。残りの二人はミランダたちと同年代の女子で、一人はミディアムのパーマヘアに、前髪にゴールドのヘアピンをつけた弓士。もう一人は、左右に編み込みの三つ編みをさげた槍士だった。
「悪いがほかをあたってくれ。俺たちはまだ、一つも持っていない」
ジェラードは男を睨みつけていた。油断を許さない鋭い目つきだった。
「それは残念だ。が、どちらにしても、お前たちに対して俺たちがやることは変わらない」
男はほくそ笑んでいた。「あの城には、三つの試練が待ち構えていることは知っているだろう」
「ああ」
声にしたのはジェラードだった。ミランダも老爺の言葉を思い出して頷いた。
「だが、お前らも、今までに倒したやつらも、みんな目先の鍵を探すことしか考えていない。お気楽なものだな」
「どういう意味だ!」
ゴドウィンが叫んだ。ロンも吠える。
「試練を乗り越えられるのはわずか一握り。だから試練というんだ。全員が乗り越えられるなら、争いなんてせず、仲良くみんなで鍵を集めて城へ行けばいい。じゃあ、なぜこの森で俺たちは戦うのか。鍵を奪うためだけじゃない。自分だけが試練を乗り越えられるよう、ライバルを減らすためだ!」
背後から、弓矢と槍がとんできた。ミランダ、ジェラード、ゴドウィン、ケネス、ロンは二手に避けた。
ジェラードは剣の男と、ケネスはメガネの魔導士と、ゴドウィンはパーマの弓士と、ミランダは三つ編みの槍士と戦いを交えた。ロンはミランダを援護してくれた。
ミランダは氷の矢を乱射する。しかし易々とかわされ、槍で砕かれる。今度は槍を避けるので精一杯だった。強さも殺気も、今までの敵とは桁違いに感じる。
ミランダは防御のために、前方に氷の柱を作った。あっという間に槍で真っ二つに割られた。迫る槍に、思わず目を瞑って歯を食いしばる。
ロンの鳴き声が聞こえて、目を開けた。ロンが吹いた緑の炎が、槍士を退けてくれた。
「ロン! ありがとう!」
「何が戦いが上手くなっただ!」
ジェラードの怒鳴り声がした。振り返ると、ミランダに向かって剣を振り上げた男が、ジェラードに体当たりで吹っ飛ばされるところだった。
男はすぐに体勢を立て直し、ジェラードに反撃する。ジェラードを狙う弓士の矢と、それを防ごうとするゴドウィンの矢が飛び交う。
「ジェラードこそ、随分手こずってるんじゃないの?」
ケネスの声だった。ケネスはメガネの魔導士が放つ電流を華麗に避けていた。
ケネスは両腕を振り上げた。炎が宙に大きく膨れ上がり、強烈な熱風が吹き荒れる。不思議なほど、火は周りの草や葉に燃え移ることはない。草木は何事もないように風でゆらゆらと揺れるだけである。燃えていたのは、メガネの男性のローブだった。
「うわああ! た、助けて!」
すると、男性の身体は一瞬のうちに地面に吸い込まれた。灰色の波に呑まれたのだ。男性はあがいたものの虚しく、薄暗い闇の奥へ小さくなって消えてしまった。
ミランダたち一行も敵も、その一連の出来事に息をのんだ。
「おい!」
沈黙を、男の怒声が打ち砕いた。「あいつが鍵を持っていたんだぞ! どうしてくれる!」
男は剣を激しく振り回した。草や枝に刃が当たると、切り落とされた部分は光の粒となって舞い散るが、すぐに元どおりとなる。
ジェラードの大剣は男の剣に弾かれ、ジェラードは地面に倒れこんだ。男がジェラードめがけて剣を振りかぶる。ケネスがすかさず、男に向かって炎を噴射する。
そのとき、ケネスの身体が突然何かに突き飛ばされ、木に打ちつけられた。うめき声を上げている。ケネスの肩には矢が刺さっていた。
「ケネス!」
ゴドウィンが叫び、パーマの弓士に向かって矢を射ようとする。しかし、三つ編みの槍士に弓を弾かれた。ゴドウィンは柄で顔面を打たれ、その場に倒れた。
パーマの弓士は、ケネスに向かって弓を引く。三つ編みの槍士は、ゴドウィンに向かって槍を突き刺そうとする。ロンの緑の炎が二人を追い払うが、二人はすぐ体勢を立て直す。
「終わりだ。光の粒となって散れ!」
男が、ジェラードに向かって剣を振り下ろそうとする。
「ワン! ワンワン!」
助けて。ロンの訴えかけるような鳴き声に、ミランダはハッとした。
私がなんとかしなきゃ。
息を吸って、止める。ミランダは素早くしゃがみ、地面に両手を押さえつけた。
ミランダの正面から真っ直ぐに走る氷の橋。漂う冷気。ミシミシと音を立てながら、四つ葉や草が瞬時に凍っていく。その氷の橋に捕らえられた弓士と槍士は凍ったように動かなくなった。氷の橋はさらに男の足元に到達すると、氷の柱で男の顎を突き上げた。
ゴドウィンとケネスが立ち上がり、ゴドウィンは槍士へ矢を、ケネスは弓士へ炎を放つ。裂けるような悲鳴。矢は槍士の胸を貫き、炎は弓士を覆い隠した。
槍士の全身は砂の塊が崩れるように、小さな光の粒となって散る。炎が止むとそこにはもう、弓士の姿はない。無数の光の粒が舞い、風に吹かれて消えていく。
ミランダは光の粒の残像を、呆然と見つめた。
剣が交わる音がしている。ジェラードが男を追い込んでいた。まもなくジェラードに軍配があがる勢いである。ゴドウィンとケネスとロンは、安心したように地面に身体を預けていた。
ミランダは何か、言いようのない悪い予感に襲われていた。鋭い金属音は徐々に遠のき、不安に囚われていく。もしも、敵がほかにもいたら?
ジェラードが男を押し倒したところだった。
「命だけは助けてくれよ。な?」
「この期に及んで命乞いか。まあ、お前を一人生かしておいたぐらいで、俺たちがその試練とやらを乗り越えるのに支障はないがな」
ジェラードの剣先から殺気が消えた、そのとき。男が片方の口の端をつりあげて不気味に笑ったのを、ミランダは見逃さなかった。
「危ない!」
ミランダは叫んだ。草むらから、ジェラードに向かって引かれた弓が見えたのだ。ジェラードはミランダの声に反応して、大剣で弓を弾いた。
チッと男は舌打ちすると、ジェラードの腹を蹴った。再び剣と剣が火花を散らす。
ミランダやゴドウィンたちは、どこからともなく飛んでくる弓矢に翻弄されていた。敵は姿を現すことなく、草むらの中を素早く動き回っている。ロンが当たりをつけて緑の炎を吹くが、効果はない。矢がゴドウィンの肩を掠めた。
ミランダは焦る心臓をなんとか落ち着かせようと、深呼吸する。耳をすませた。ガサガサと草が擦れる音、わずかに感じる人の気配、自分がみんなを救うんだという使命感。
ミランダから向かって左から、突然敵がとび出してきた。男はゴドウィンの後頭部めがけて弓を引いていた。しかしミランダは素早く反応すると、男に向かって両手を突き出した。
男は宙に浮いたまま、ミランダが発した数本の氷の矢に串刺しになった。男もまた、無数の小さな光の粒となって、風に吹かれて漂った。
自分が人を殺めてしまった。ミランダは我に返ると、寒気を伴う罪悪感に襲われた。
うめき声がした。ジェラードとせめぎ合っていた男が、ロンの吹いた緑の炎を浴びていた。男は仰向けに倒れた。
「相手が悪かったな。貴様もこれで終わりだ」
畜生―! 男が痛ましい叫び声を上げる。ジェラードは男の胸に大剣を突き刺した。男は光の粒が弾けとぶように消えた。
「はあ、危なかったあ」
ゴドウィンが緩んだ声が、緊張の糸を切った。ゴドウィンは四つ葉の地面の上に、大の字で寝転がった。ケネスは深いため息をついて座り込み、ロンはゴドウィンの胸の上で羽を休めた。ジェラードは疲れ切った表情で、そばの木にもたれかかった。
「ミランダがいなかったら、俺たち消えてたかもね」
ケネスは矢が刺さったままの肩を押さえて、荒い呼吸を繰り返しながら言葉を絞り出した。「ありがとう、ミランダ。……どうかした?」
ミランダは突っ立ったままだった。胸の前で握った両手は震えていた。
「戦いに敗れたら、みんな、あんなふうに消えちゃうの?」
声も震えた。人が光の粒になる光景が、頭の中で勝手にループしていた。
ゴドウィンは体を起こし、ケネスとジェラードと顔を見合わせてから、申し訳なさそうに笑う。
「まあ、初めて人が消えるところを見たら、ちょっと刺激が強いよね。ミランダが今まで戦った人はみんな、怪我を負っただけで逃げていったから」
「俺たちはそういう世界で生きてるんだよ。城へ行くために、鍵を奪い合い、存在をかけて戦い合う」
ケネスとジェラードがミランダを見る目は真剣だった。
「消えたくなければ勝つんだな。この世界には、あいつらよりも強い奴らは大勢いる。試練とやらも、どれだけ難しいものなのか分からない」
「ワンワン!」
重たい空気を取っ払うようにロンが鳴き、ゴドウィンの顔を舐めた。ゴドウィンは顔の怪我がしみるように顔をしかめる。ミランダは目を疑った。怪我がみるみると消えていったのだ。
「ゴドウィン、怪我が……」
「ロンには怪我を治す能力があるんだよ」
ゴドウィンはくすぐったいように笑った。ロンはゴドウィンの肩も舐めた。矢が掠めた深傷でさえも無くなっていく。
「僕たちなら大丈夫。鍵だってすぐに集まるし、試練だって、力を合わせれば乗り越えられるさ」
ミランダは笑みを浮かべた。ゴドウィンの強がりな笑顔を見たら、弱音なんて吐いていられない。
「ワン!」
ロンがケネスのところへふわふわと飛んでいき、ケネスの肩の怪我を舐めようとした。
「俺はいいよ」
「でも、その怪我は相当だよ」
ゴドウィンが心配そうに言った。ロンは寂しそうにクゥンと鳴く。
「自然に治るさ。ほんと、大丈夫だから」
ケネスは肩に刺さった矢を自力で抜き、立ち上がった。その一部始終はロンを避けているようだった。
ふと、ミランダはジェラードを見る。ジェラードはミランダと目が合っては、逸らしてを繰り返している。ぼそぼそと何か言っているが、ミランダは聞き取れず「え?」と聞き返す。
「さっきは、助かった。あれだ、一応、礼だ」
ミランダはまじまじと両目を見開いて、唇を引っ込めた。嬉しかった。ただ、そこまで恥ずかしそうにされると、聞いているほうも目が泳いでくる。
「珍しー、ジェラードが礼を言うだなんて」
ケネスがジェラードの周りをゆらゆらと歩きながらからかう。痛みに耐える顔には微笑が宿っていた。
ジェラードが噤んだ口元を震わせている。言い返そうかどうか葛藤している様子は、心優しいガキ大将のように可愛らしく思える。ミランダは吹き出すように笑った。
「うるさい! そろそろ行くぞ」
ジェラードはそっぽを向いて進みはじめた。ケネスは笑い声を上げながら隣を歩く。ゴドウィンは落ち込んだ様子のロンを肩に乗せて宥めながら、二人の後に続く。
ミランダは歩き出そうとして、立ち止まった。視界の端で、キラキラと輝く何かを見つけた。ゆっくり歩み寄る。剣士の男が果てた場所であった。
目を凝らさないと分からない。見る角度を変えると、四つ葉のクローバーの中の何かが光る。
鍵だった。間違いなかった。暗闇で見たあの透明な鍵と、同じ形だった。
「ミランダ、どうしたの?」
ゴドウィンの声がしたが、ミランダは鍵に見惚れていた。
かがんで、鍵に手を伸ばす。触れた。ひんやりと冷たかった。鍵を手に取り、身体を起こす。
すると突然、めまいのような感覚がミランダを襲った。目が回る。頭が熱い。
頭に衝撃が走って、ミランダはカッと目を見開いた。見知らぬ光景が、そこには広がっていた。
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