4 老人と独楽・現実

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4 老人と独楽・現実

----------------  やっとの思いで電車を降りたが、一安心する間もなく、真波は人の波にもまれていた。電車に乗り込もうとする容赦ない逆流のせいで、思うように進めない。しまいには、我先に駆け込んでくる人に激しく肩がぶつかった。体勢を崩しただけで済んだが、カランカランと、コンクリートの上で何かが蹴られる音がした。コートに入れたはずのスマートフォンが落ちて、大勢の人の脚の間でちらちらと見え隠れしていた。  電車に対して行きかう人の流れを割くように進み、真波はスマホを拾おうと腰を落とす。画面を消したつもりが、ゲームのストーリーが進んでいた。木や草が生い茂った自然を背景に、一人のキャラクターが映っていた。古い布切れのような服を身にまとい、つばの垂れ下がった茶色いハットを被った、白い口髭の老爺だった。 『楽しい思い出を、大切にしなさい』  映像は、その言葉とともに老爺の姿が消えるところだった。 「ああっ」  何かが起こったことを周知させる声がした。老いた男性が人にぶつかって転んでしまい、荷物を地面にぶちまけていた。しかし、周りの人は振り返るだけで、通り過ぎていくばかりである。  真波は自分のスマホを拾うと、低い姿勢のまま老人が落とした荷物を拾いはじめた。様々な形の筆にパレット、絵の具。老人は絵を描くのが趣味なのだろうか。次に手のひらをいっぱいに開いて拾い上げた物体を認識して、不思議に思った。独楽だった。 「わっ」  肩に担いでいた鞄を蹴られ、その拍子に真波は尻もちをついた。 「大丈夫かい?」  ゆったりとした、優しい、しわがれた声だった。顔を上げると、荷物の持ち主である老人が真波を見下ろして手を差し出していた。失礼な例えだが、朽ちた樹木のような身なり。古い布切れのような服を身にまとい、つばの垂れ下がった茶色いハットを被った、白い口髭の老爺だった。真波は脚とお尻をべったりとコンクリートの地面につけたまま、しばらくの間、老爺を凝視していた。  人をぎゅうぎゅうに詰めた電車が去っていくと、ホームの人数は圧倒的に少なくなり、真波と老爺の両側をぽつぽつと通り過ぎていくだけとなった。 「あ、大丈夫です」  真波は自力で立ち上がった。老爺の腕は枯れ枝のように細く、掴むとぽきっと折れてしまいそうだったからだ。 「すいません、これ」  尻もちをついたときに手放してしまった筆やパレットを急いで拾い、老人に差し出す。 「お嬢ちゃん、ありがとう」  あれ、と、真波は独楽がないことに気づいた。きょろきょろと辺りを見渡す。あった。大きな広告パネルが貼られた柱の前でくるくると回っていた。 「これも、おじいさんのですよね」  真波は独楽を老爺に差し出した。真っ白な独楽。 「そうじゃ。いやはや、ありがとう。絵が趣味でのう。この独楽はデッサンに使うんじゃ」  老爺が独楽を受け取ると、真波は会釈してその場を立ち去ろうとした。 「待ちなさい」  老爺に呼び止められた。振り返ると、老爺は心配そうな目で真波を見ていた。 「君は、何か大きな悩みを抱えているようじゃな」 「え?」  予想だにしない言葉に、真波は顔をしかめた。変な人と関わってしまったと思った。やはり、変な人は見た目では分からないものである。 「長年生きておれば、表情を見ただけでその人が考えていることが分かる。君は優しい子じゃ。悩みに負けて欲しくない。悩みのせいで君は、本当の自分を忘れているんじゃ」 「すいません、急いでるんで」 「最後に一つだけ。記憶はときに残酷じゃ。悲しい思い出は楽しい思い出を打ち消してしまう。楽しい思い出を、大切にしなさい」  真波は逃げるようにその場を去った。老爺の言葉が頭の中でループして煩わしい。階段を駆け上がり、次のホームへ降りると、電車が到着していた。 『発車します。扉に、ご注意ください』  駅員が扉を押さえているところへ駆け込んだ。なんとかいつも通りの乗り換えに間に合った。  学校の最寄り駅まで行くこの電車は、いつもさほど混雑しておらず、車両につき四、五か所ほど座るスペースがある。同じ制服の学生の割合は多い。息切れがまだ収まらない真波は座るのを避け、扉の近くの一人分のスペースにもたれかかっていることにした。  真波は目を瞑った。まただ。頭痛だ。痛みはスッと消えるが、夢から目覚めたときのような浮遊感が伴う。さっきまで何か考えていたはず、という確かな感覚だけが残る。内容はどうしても思い出せない。いつもなら余裕を持ってこの電車に乗っているはずが、なぜギリギリになってしまったのか。  思い出せないモヤモヤを紛らわせるために、真波はスマホを取り出し、画面を点けた。学校の最寄り駅までつくのに、あと三十分弱。ゲームする時間は十分ある。  最初のストーリーを見逃してしまったが、主人公である自分のキャラクターは記憶喪失であることは分かった。あとは進めていくうちに理解できるだろう。  イヤホンを指して、BGMを聴く。少しアレンジが加えられた不朽のテーマ曲に、気分が高まった。第一章を始める。 ミランダ「私はいったい、これからどうすれば……」  画面の下にキャラクターの発言が表示され、それに応じてキャラクターが表情を変える。文字を読み終えたら、画面をタップして話を進める。 ???「誰かそこにいるのか」  赤い騎士服を着た、濃い顔つきで無愛想な青年が現れた。ストーリーはミランダの視点で進んでいくため、新たなキャラクターと出会ったときは、名前の部分が『???』と表示されるようである。 ミランダ「あ、あなたは……」  続々とキャラクターが現れる。彼らが最初の仲間であろう。
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