you will be a true lover of mine

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you will be a true lover of mine

彼のことが好きだった。だから私は彼を忘れてしまった。 居ない人を求めて壊れた心が、思い出を砕いた。     わたしは今でも自分を恨む 。 忘れてしまったというのなら、 たとえ肉体を失っても、覚えていてくれる人が居れば死者は常若の国(エリュシオン)で生き続けると言うのなら。     私が『彼』を殺したんだ。                  ◆◇◆ 「君、怪我はない?」 陽はとうに水平線の向こうに没して、後追いでもするように南にあった上弦の月が西の空に見える頃、。 ラメを鏤めた夜色のヴェールが冬の山を覆う、その一角にて。 青白の月光を反射する長剣を鞘に戻しつつ少年とも少女ともつかない旅人風の人物が問う。 仮に彼とその旅人を呼ぼうか。  彼の背後には力なくくずおれた二匹の野犬。 彼らは一撃の下に急所を壊され絶命していた。 暖かいカンテラの灯りが彼の顔を照らす。 彼の問が投げられた先には少女が尻もちをついていた。 月明かりに同じ白銀色の髪の彼女は右手に持った灯火を旅人の方に掲げながら立ち上がる。 どうやら野犬に追われた少女を彼が助けた所のようだった。 「大丈夫よ。ありがとう。」 オレンジの光に照らされた旅人の菫青石(アイオライト)と琥珀の虹彩異色(オッドアイ)を見つめ少女は黒いドレスについた草を払い礼を言う。 返事の代わりに彼は再び問い掛けた。 「この近くに、宿はあるかな。今日は雪が降りそうだから泊まれる所があると良いのだけれど。」 見上げる西の空は薄墨色の雲が垂れ込め、少し遠くの山脈と蒼白の月を侵していた。 少女は形の良い白眉を顰め嘆息して呆れたように言う。 白い吐息が蒼白い月光に照らされて夜の野原に散った。 「貴方、本当に間が悪いのね、半日で街につくけど、そこは今日から貨物列車が運休だから春まで人は居なけりゃ、足もないし近くに人のいる街もないよ。私の家で良ければ止めてあげようか?」 「いつまで?」 下手に一日だけ泊められて外に放り出されても困る。 だがそれは杞憂だったようだ。 微笑とともに少女が言う 。 「あなたさえ良ければ春まで。宿代は取らないよ、あなたが仕事を手伝ってくれればね。先の礼だと思って頂戴。」 「いいの?」 「今更嫌かいいかもないでしょう?それとも野宿して、冷凍された保存食として育ち盛りの小熊の為にと、親熊にお持ち帰りされたい?」 彼は言葉に甘えることにした。 歩くこと数分。 良い匂いのする木々を抜ければ、広い庭に二階建ての屋敷があった。 「花とか踏まないでね、薬草として使えなくなる。これでも薬師なものでね、ああそうだ、まだ名乗ってなかった。アイリス=オストワルトっていうの、よろしく。貴方の名前を訊いてもいいかしら。」 成程、先程の香木は生薬の原料ともなる肉桂だ。 少年にしては少し高いアルトの声で彼は答える。 「アイザック、アイザック=ソフィエラ。奇遇だね僕の兄さんも薬師なんだ。今は何処にいるかも判らないけれど。…名前長いでしょ、呼ぶときは、アイクでいいよ。暫くの間よろしくね。」 言いながら家の中に入ると出迎えるのはラベンダーの清楚な香り。 見やれば家の中には沢山のドライフラワーが天井に吊されていた。 “こっち”と少女が案内したのは引き戸のかなり戸口が広い部屋。 隅に置かれた、使われもしないだろうに埃を被っていない車椅子に目が行った。 そして硝子製の戸棚にきちんと仕舞われた鉱物の数々、 アメシトリン、クリソベリル、ヘリオドール、モルガナイト、アクアマリン、そして紫水晶、菫青石に琥珀。 「すごい。これ全部君のだろう」 美しくかなり大きな原石だ。集めるのにはどれぐらい手間を掛けたのだろうか、予想もつかなかった。 「今はね。私の先生の遺品よ。昔から集めるのが好きだったみたいで…今はもう居なくなってしまったけれど…」 「先生…?君の?」 遺品ということはその人はもうこの世にいないのだろう。 この世界にはよくある話だ。 事実アイザック自身親はもう物心つかない程に幼い時に死んでしまった。戦争の所為で荒れた治安によって。 少女は寂しそうな笑顔で硝子棚の宝石を眺め呟く様に言う。 「うん。薬学のこと教えてくれたひと。私の名前を付けてくれた育て親、とにかく大事な人だった、それだけは覚えてる。……精神的に耐えられなかったみたいでね、もう顔も名前も覚えてないんだ。…馬鹿な話よね。消そうとした処でどんな宝石(思い出)も砕いたところで欠片は残ってしまうんだから。」   適応規制の一つだ。心を守るシステムの一つ、だからしょうがないといえばしょうがないのだが、少女にとってはそんな簡単に片づけられるものではない。 夕飯の支度をしてくるね、と彼女は思い出の欠片を愛でるように硝子戸の扉を撫でて、未練を断つように部屋を出て行った。    荷物を置いて身支度し直したところで台所のほうから良い匂いが漂ってくる。 ずいぶん昔に嗅いだことのあるような懐かしい温かい食事の香りに腹が鳴った。 ふらつく足取りで向かった居間には既に出来た料理が並べられている。 「久しぶりに二人で食べるから、ちゃんとした料理を作ったつもりなんだけど、作るのも久しぶりだから、おいしいか不安かも。」 言って少女は自分のグラスに血のように紅い葡萄酒を注ぐ。 甘い匂いが部屋の中に加わった。 並べられたポトフにスプーンを入れる。懐かしいスパイスの味、その香り。この味を彼は知っていた。  とっくの昔に捨てた故郷の味だ。 「どう…?」 問うてくる少女に彼は何も言えなかった。これじゃあまるで… 「…おいしすぎて涙が出そうだ。」 それだけ言うのがやっとだった。 涙なんて流すわけにはいかない、一応男なのだから。 もちろん全部食べ終えて、部屋に戻ろうとした所で少女がふと声をかける。 「貴方怪我しているでしょう、血の匂いがする。まだ乾いてない血の匂いだからさっきの野犬に噛まれるか裂かれたと思うのだけど、野犬の危険さは知っている。一度患部を見せてもらえる…?」 恐水病なんかに罹られたら一巻の終わりだ。 治療法はないからと少女は問うた。 けれど少年は首を振る。 「さっき自分で手当てしたから大丈夫だよ。僕は少々特殊な体質もちでね、普通の人に効く薬でも効かない事がある。」 頑なな彼に彼女は少し懐かしそうにそして親しみを込めて言った。 何かを知っている風だった。 「大丈夫、貴方が人狼なのは、もう知ってる。血の匂いを嗅いだらわかる。先生と同じ匂いがするから、ちなみに私は吸血鬼よ。これで少しは安心材料になったかな。だから、患部を見せて。」 吸血鬼も人狼もれっきとした亜人である。 そして古くから忌まれてきた存在。 生きていくにはそれを隠すか、そのマイナスを差し引いてなお余りあるプラスの要素――例えば医学や薬学などに精通している必要があった。  そして、それがないから彼は吟遊詩人(ジャングルール)として旅をする必要があったのだ、流石にそこまで人狼に理解のある亜人にそう言われて断る理由もない。 Yシャツの袖をまくって腕を見せる。 噛み痕ではなかったし、縫うほどの大きな傷でもないが薬ぐらいは縫って包帯を巻いておくべきぐらいの裂傷。 恐水病の心配はないことに安心しつつ少女はさして清潔でもない布を包帯代わりに使っている彼を見て嘆息した。 不思議な匂いのする薬を取り出して手慣れた様子で彼女は傷にそれを塗り、包帯で巻いていく。 「アイリス、この薬は…?」 「血止めに殺菌に治癒促進、先生の直伝の秘密のレシピよ。油脂で薄めれば普通の人にも使える。」 そういう彼女に彼は少し驚いた。 正しくはこの出来事に。 確認したくて彼は問う。 「その人のこと、外見すらももう君は覚えていないのかい?できればその人の話を聞きたいな。」 「それは、吟遊詩人として…?それなら断る。」 「違う。その人僕の、知り合いかもしれないから」 まさか、と言って少女は記憶をまさぐる様に眼を閉ざして空を仰ぐ、けれど心に残る思い出の欠片は、暖かそうに光るだけで、何処にも彼の人の姿を映していなかった。 俯いて唇をかみしめる少女に彼は言う。 「僕の推測が正しければ、君の先生は僕の兄だ、料理もその薬の匂いも、何よりここ北部で南方の訛り自体珍しい、まさかねって思うんだけど。  僕の兄さんは、イズリアル、イズリアル=ソフィエラっていうんだ。僕と髪も眼の色の組合せも同じ、足が悪くて、車椅子を使っていた。けど薬の事に関しては一族の誰より詳しくて…」 その懐かしむような言葉に少女はゆっくりと顔を上げた。    図星だったから。 紫水晶の瞳に金剛石のように輝く水滴がたまり眦から零れ落ちる。 「なん………で、なんで……」  ―――如何して忘れてしまっていたのだろうか。  それは大事な名前で、忘れないでと、言われていたのに―――   壊れた思い出は戻らない、塀から落ちた卵のように。 ずっとそう思っていたから、嬉しかった、けれど彼の残したあの言葉が、忘れてしまったその言葉が心に痛くて悲しくて。 呟くように彼女は言う。   「ごめんなさい、イズリアル、私は。」  初めて先生(貴方)の言いつけを守れませんでした。          ◆◇◆ 泣きじゃくる少女の体を抱いてその背を旅人はさすってやる。 奇しくもかつて彼の兄が少女に対してしたように。 蒼い月は地に沈み、いつしか北の空には、リゲルとプロキオンが、蒼星と黄星が天高く輝いていて、 優しい夜がゆっくりと更けていった。
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