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五感(1)
一九九九年四月某日。
五感というのは、すごいものだ。
と、日輪陽太は、つくづく感嘆していた。
目でものが見える。このこと自体すごいことなのに、さらに波長の違いによって色というものを識別できる。だから、人は、いろんな彩の服で着飾るんだ。髪を染めるのも、そのためだ。
耳というのもすごい器官だと、陽太は思った。空気の振動が、聞こえるのだ。それをもとに人は言葉を話すし、歌を歌う。楽器を演奏したりする。きれいな音、うるさい音などと聞き分けることもする。
舌については、まだよく分からなかった。まだ、なにも口にしていなかったからだ。唾液を少し口中で転がしてみたが、味とかいうものはなにも感じない。
触覚。これにも驚いた。たとえば、幹、葉、花。これらはすべて一つの植物を形作っているものなのに、触った感じがまるきり違う。
陽太の足元に、野良猫がフラリとやってきた。試しにちょっと撫でてみると、温かくて柔らかい。
ビルのガラスに触れてみれば、かすかに冷たい。
そんなふうにいろんなものに気を取られて歩いていたから、陽太は縁石につまずいた。爪先に、軽い痛みというやつが走る。陽太は、少ししかめ面をしながら
(こればっかりは、ありがたくないものだな・・・)
と思った。
そして、なにより嗅覚。今は季節でいうと春で、大気は、日向くさいようなほっとするにおいと、若葉を思わせる爽やかな香りをはらんでいる。花なんか特に良い香りで、虫がそれに寄ってくるわけもよく分かるし、人が金銭でもってそれを求めていく気持ちも、陽太にはよく分かった。
「んー・・・」
陽太は、歩道でちょっと立ち止まり、背伸びをしながら、鼻をヒクヒクさせた。
いいにおいがする。
なんていうか・・・そう、うまそうなにおいだ。
とたんに、陽太の腹がグーとなった。
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