Oblivion〜終の住処〜

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『ちょっとナツキさん。業界業界言いますけど、そもそもこの事件は人気子役の誘拐事件である以前に、あの子という一人の人間の誘拐事件だと思うんですよ。ご両親もあの子本人も苦しんでいる。やはり一番大事なのは……』 あれ……? わたしはそこまで聞いて、思わず首を傾げた。少しばかり違和感を感じたのだ。リモコンを取って、番組を変えてみる。 『あの子が失踪して、もう一ヶ月ですかあ。あの子にとっても、一ヶ月という空白は』 ──やはりだ。 やっぱり「戸川紫苑」という名前はどこにも出てこない……。 「あの子」とは誰なのか、誰も口にしないのだ。わたしはさらにチャンネルを回した。 『あの子は今、いったい……』『しかしあの人気子役といえども』『あの子はいつになったら』『それでもあの子は』『あの子は』『あの……』…………。 わたしの名前は、一度も出なかった。あの子とは誰だ? 息が苦しくなった。わたしは恐ろしくなって、キッチンで作業をしているトウマのもとへ駆け出した。 トウマは酷く焦っているわたしを見て、頬を吊り上げていた。 「ねえ、トウマ。変なの。テレビが変。あのね、テレビの人たちはみんな、おかしなことを言っているわ。だってね……」 わたしが続きを口にしようとしたとき、テレビから渦をまく熱狂のような大きな音がした。 鼻息を荒くしたキャスターが、興奮した表情で原稿を読み上げた。 『たった今、速報が入りました。行方不明になっている"あの子"の姿が、昨夜から新宿で複数回目撃されているとの情報が入ったそうです! 警察によりますと』 わたしはただ、唖然とするほかなかった。世界が一瞬大きく揺らいだようにすら感じた。新宿で目撃? そんなわけがない。わたしはずっと、この部屋にいたのだ。 現実がぐにゃりと折れ曲がっていくように、トウマの笑みが一瞬さらに歪んで見えた。 「あの人たちは、いったい誰の話をしているの?」
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