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「――私はみんなのことが好きなだけだと思うの」
鼻で笑われたことも何度もある。特に、雪彦はよく笑っている。弱いだけだと言って。傷つけるのが怖いんだと言って。それは確かにそうだ。傷つけるのは怖い。傷つかないで欲しい。苦しんでいるところを、見たくはない。鴉のことだって、そうだ。
微笑んで見つめれば、鴉は息を吐く。
「あんたはさ……強いよ」
「えっ」
思わず桜は大きな声を上げてしまう。道を行く数人が桜の顔を見た。
「はっ、初めて言われた、そんなこと……みんな、弱い、甘いって……」
「雪彦が、あんたに口うるさく説教するのもよくわかる。でも、あんたのは、強いよ」
鴉は深く息を吸い、長く、長く、吐き出した。それから、からかうように笑った。
「……だからって、自己犠牲に夢中になるのはいけないけどな、危なっかしい」
「そんなつもりはないのよ。だって痛いのや辛いのは嫌よ」
「でも俺を助けようとした」
「鴉が引き分けはやだって言うからでしょ」
桜がそう言えば、鴉は、言葉に詰まる。鴉が引き分けを呑んでくれるなら、桜はそれが一番良かった。自分が傷付くことを、空にいる弟や、両親が望んでいるとは思えないし、自分だって嫌だ。雪彦や峰平にも心配させてしまう。
「今回は仕方なかったのよ」
「そうかねぇ……」
鴉はがしがしと頭を掻く。
「とにかく、雪彦が、強くなりたいって吠える理由がよくわかる。あいつが大人になるまでは、お前の優しさを利用するような、変な奴からは、俺が守ってやるよ……あんたの優しさだけは、信じても大丈夫な気がするから」
からかうようにそう言って、鴉は手を伸ばし、今度は桜の頭をがしがしと掻き回した。
「きゃっ! や、やめてよー」
慌てて、手櫛で髪を直せば、鴉はげらげらと笑う。その荒っぽい笑い方だけはどうにかならないものか。
「でも、ほら、鴉だって、私を守るだなんて、十分優しいわ。優しいのは、私だけじゃないよ」
そう言えば、鴉は桜を見上げた後、また息を吐く。
「そういうことじゃないんだけど……まぁ、いいか」
困ったような溜息だったが、雪彦のそれよりは、やや、桜に味方するような音だった気がした。
「あんたと一緒にいると、俺も、世界を好きになれそうな気がするよ」
きっとみんなそうなんだろうさ、と鴉は呟く。
「龍神様が守ってくださるものね」
桜が頷きながらそう返せば、鴉は呆れたような目でこちらを見る。それから彼女は視線を泳がせ、囁くように言った。
「いや、あんたが世界を愛してるからだよ」
桜はまばたきをして、傍らの彼女を見上げる。彼女は頬を桜色に染め上げて、遠くの方を睨みつけていた。よくわからないが、その表情は可笑しくて、そして愛しかった。
桜の花びらが、空を楽しげに舞っている。優しい風が吹き、その花びらは、道端で立ち止まる男の肩へと、柔らかく落ちた。彼は花びらを摘まんで微笑むと、また歩き始めようとして、ふと、桜たちに目をやった。そして――お嬢さん! と、心底嬉しそうな声を上げる。よくよく見やれば、それは、いつか、銀貨を恵んでやった男だった。
――龍の愛し子たち おわり
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