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「なんで泣いてるの……?」
璃子の悲しそうな声に、自分のほおに手をやった。
嫌な感触に苦笑して、璃子が手を伸ばす前にそのまま乱暴に手で拭った。
「目に、ゴミ入ったかも」
璃子が体の下でものといたげな顔をしたのを見ないふりして、緩やかに、さらに深く腰を押し込んだ。
すでに溶けきっているかのような璃子の中の熱さに一瞬息を止めた。
「……あつ……、すっごいすね、璃子さん中」
見ると、璃子が苦しげな顔をしながらも、「ばか」と呟くようにして碧の動きに合わせるようにして腰を軽く揺らした。
そのすがるような表情にくすぶっていた欲情が煽られて、璃子の足を折り曲げるようにして体をさらにのしかからせた。
そのまま突き上げると、璃子の体が揺れてベッドの上で璃子のボブの髪がばらばらと解けるように広がった。
璃子は着痩せするのか、その体は思ったより肉感的でどこもかしこも柔らかく、碧をなんの抵抗もなく受け入れる。
「んあ、あ、雑賀くん、あ」
堪えきれずに喘ぎ始めた璃子を攻め立てながら、碧はその腰を掴んで自分に引き寄せた。
その時の感触に、一瞬、体中が体で覚えてしまった彼女の感覚を蘇らせかけて沸騰しかけた。
忘れようもない彼女の、腰の細さ。
どこか肉感的な璃子の体とは違う、たまに腰骨が当たると痛みを感じることもある彼女の肢体。
細くて折れそうで、でもお腹や胸はしっかり碧を誘うように揺れていて、そんな彼女を飽くことなく、抱いていたかった。
無理をさせて、それでも応えようとする彼女がたまらなく愛しかった。
「雑賀、くん……?」
揺らす腰の向こうで、ほとんど正体をなくしかけている璃子の声がした。
素に戻りかけて、それを悟られぬように、強く腰を押し込んだ。
小さな悲鳴をあげるようにして璃子が体をしならせた。
「璃子さん、もうイキそう……?」
目の前で、ほとんど強引に迫った会社の上司の女が喘いでいるのに、どこかで醒めた自分がいた。
璃子が辛そうに頭を振って身をのけぞらせたのに合わせるように、碧は目を閉じ息をつめながら小刻みに自分を何度も押し付けるように動き始めた。
ひときわ高い璃子の声を耳元で聞きながら、背筋を強い絶頂が突き抜けた直後、一気に虚脱感が押し寄せた。
全力疾走したような息の荒さを整えようとしながら、璃子の隣にどさりと体を仰向けに倒れ込ませる。
触れていないはずなのに隣からは璃子の裸が放つ熱がじわりと押し寄せてくる。
「……あーもう、同じ職場だってのに、雑賀くん、どうしてくれんのー……」
少し落ち着いたかのような璃子が困ったような嬉しそうな声を出した。
「別に、どうとでもなるんじゃないすか」
返事をするのも面倒だという気分を押しのけて答えると、璃子が起き上がるのがわかった。
目を開けて隣をちらりと見ると、璃子がけだるげにため息をつく背中が見えた。
彼女よりはまだ碧に近い年齢のはずなのに、璃子の背中は彼女よりひどくしっかりしていて、どんなことがあっても自分を見失わないように張っている。
その背中に罪悪感を覚えて、言うつもりのなかったことを口にした。
「オレ、たぶん、仕事やめますし」
どこか投げやりな言い方だと気づいていたものの、それを繕う気すら起きない。
「……えっ?!」
璃子が驚いたように振り返った。
「え、え、どういうこと?」
「そのまんまの意味です。たぶん、どっちかに絞んないと、きつくなってるし。実際、璃子さんたちに迷惑かけっぱなしだし」
あまりの驚きのせいなのか、璃子は目を瞬いて碧を見つめて、それから何かを言いかけた。
言いかけて口をつぐみ、それから小さく頷いた。
「まあ……雑賀くんの場合特殊な状況だから……、うん、まあしょうがないのかな」
「璃子さんはオレが辞めたら寂しいですか?」
「え、ええーこんな状況でそれ聞くー……?」
困ったような顔で、璃子がゆっくり碧の上に上体を傾けた。
職場での璃子は男気のある、どちらかというと男性っぽい雰囲気だが、こうしてベッドの上で見ると、職場のイメージを覆すように女性らしいたおやかさがにじみ出ている。
間近に迫った瞳から視線を外さないまま、唇に柔らかいものが押し付けられる。
そういえば、今この瞬間まで、璃子とキスをしていなかったと気づく。
少し遠慮しているような璃子のキスがじれったくなって、けだるいまま、片手で璃子の後頭部を抑え、そのまま璃子の唇を割って舌をねじこんだ。
素直に璃子がそれに応えて、互いに舌を絡め合う。
「……だめ。明日、打ち合わせあるから、今日はここまで」
息継ぎの隙間に、璃子がそう言って離れ、ベッドから降りた。
少し残念そうに微笑んだ彼女は、満たされたせいなのか、とても柔らかな雰囲気をしている。
璃子はそのままキッチンの方へ薄暗がりの中を歩いていく。
その背中から目をそらし、天井を向いて目を閉じた。
璃子は強引に押せば、碧とつきあってくれるだろう。むしろその勝算があったから、部屋を訪ねたに近い。
このまま璃子と恋人になるのも悪くないのかもしれない。
でもこうして目を閉じていれば、眼裏にどうしても蘇る。
璃子を抱く間、ずっと目の前に、彼女がいた。
璃子を組み敷きながらもずっと、自分がいれていたのは、彼女。
大事で、愛しくて、どうしようもなく抱きしめたくなる、彼女。
そしてどうしようもなく、許しがたい、彼女。
あんなに愛し合い、自分のそばにずっといたいと言っておきながら、急に背中を向けた、薄情な彼女。
焦がれて焦がれて、その度がすぎれば、それは反転するように黒くなるのか。
愛しさの中にかすかに混じる醜い感情を噛みちぎるように奥歯を噛みしめた。
激しい感情を引きちぎりたいのに、求めてしまう。
会いたいと、それでも思ってしまう。
吐き気を感じて、顔を枕に押し付けた。
璃子の匂いがした。
今そこにいるのは璃子なのに、その璃子に最低なことをしている。
それを嫌悪しながらも、そこにいない彼女を想えば体が疼いた。
自分に好意をもっているだろう女を抱きながら、他の女を抱く夢想をしているなんて、醜悪で、救いようのない。
交差させた両腕で愚かさに満ちた顔を覆い隠すように枕に押し付けた。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
ーー嫌いになりたい。
――誰でもいい。
――誰でもいいから、あの人を、自分の記憶から消してくれ。
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