揺らぎ続ける青い炎を抱いて

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一筋縄でいかないことはわかっていたが、どこからその情報が漏れたのか。 凪音の母親からか。 ほかに情報を掴んだことを知っているのは、成瀬とカンナ。 それからいちおう澤崎と環だ。 動揺を悟られないように無表情を装いながら、「なんのことですか?」ととぼけた。 「フェアじゃないよ、それは」 「あなたにフェアとかそんな理屈を持ち出されるとは思ってませんでしたよ」 「腹を割って話そうと言ったじゃないか」 「だから意味がわかりません。あなたが何を求めてるのか、オレにはさっぱり」 「シラを切っていてもいいが、その代わり、君は永遠に凪音を得られない。オレはマスコミの前で、凪音への想いを語り続ける。マスコミは世間の一つの形だ。世間は君を非難し続け、仕事をなくし、この日本では居場所がなくなる。ニューヨークだったか? 確か留学すると、前に情報出ていたな。そこに凪音を連れて逃げるか?尻尾を巻いて逃げ出すか? 自分の生まれた国を、凪音が育った国を」 「あなたがそうするなら、オレは逃げますよ。それを恥だとも思いません。凪音さんを連れて、戻ってこれなくても、2人でいることがオレにとっての幸せですから」 颯佑を睨みつける。 書類一式を渡すわけにはいかない。 渡したところで、目の前の男の言葉など一つとして信じられない。 鉛のように重い沈黙が颯佑との間に停滞し、じりじりと時間が、あまりに遅い1秒1秒が過ぎていく。 ふいに膝の上のスマホが震えた。 目を落とすと、どきり、とした。 成瀬からだ。 この場に同席したがっていた凪音がこの事務所に来かねないことを伝えてあった。 来ようとするなら引き止めてくれと。 確か、仕事の都合で有休を取れない成瀬の代わりに美琴という女性とともにいてもらっていたはずだ。 でも成瀬からのメッセージには、目を離した隙にいなくなったとあった。 まさかここに向かっているのかと不安がよぎる。 凪音の姿を颯佑の前に、マスコミの前に晒すわけにはいかない。 まだ身バレはしてないものの、凪音がどの人間か勘づいているマスコミがいないわけではない。 一般人だから慎重を期していることも考えうる。 なにより彼女を見つけた颯佑がどう動くのかわからない。 「どうした? 顔色が悪そうだが」 事態を打開したいのに、と必死で頭を巡らせる。 メッセージは続いた。 何度引き止めても、碧が危険かもしれないと泣きそうだった。 2人にはさせないでと。 必死で訴えていたらしい。 2人きり。今の状況。 目の前の男を見る。 「……あんた、何がしたいんだよ? 凪音さんに何言った?」 「ああ……凪音からメッセージでも入ったか?」 「答えろ、凪音さんを引き摺り出そうとしてるだろ」 「そんなつもりはないさ。夫が妻に会いたいと思ってはいけないかい?」 「嘘つくんじゃねえよ、さっきからなんなんだよ、凪音さんに何言った?」 「会いたい。会ってくれなければ、君の大切なものが二度と君のもとに戻らないように奪うかもしれない」 立ち上がった。 奪うとはなんだ。 凶器をしのばせてるとは思えないけれど、底知れぬものを感じる。 「あんた、おかしいよ」 「おかしい? 人様のモノを盗るような君に言われたくないね。……でもそうか、そうだな。一ノ瀬ウェブシステムの情報と引き換えにするのは、離婚じゃなくてもいいのか。そう、例えば、凪音の人生、とか?」 絶句した。 理性をとうに失っていたのか。 「なあ、アオくん。オレはね、心底、君が憎いよ。君がこの世界で息をしている、そして目の前でオレにいちいちたてつく、その態度も顔つきも声も、その全てに吐き気がするんだ。よっぽどこの場にナイフでももちこんでやろうかと思ったくらいだ。でも命など、そこで断ったらそれで終わり。それじゃあオレの怒りも憎しみもおさまらない。なら、何が一番君にダメージを与えられるだろうか」 颯佑の表情は抜け落ちたかのように、感情のぬくもりひとつ感じられない。 「わかるかな? 君は自分でも墓穴を掘っていたね、君の弱点は凪音だ」 息が止まるほどに衝撃が全身を襲ったような気がする。 「あんた、……まさか、」 声がかすれた。 どくどくと心臓の音がうるさい。 正気の沙汰じゃない。 そう思うのに、体がその場に凍りついて動かない。 「凪音さんを……愛してると言ったその口で……」 「愛してるさ。オレに従順で優しくいつも控えめに笑ってくれる彼女のことは、誰よりも。初めて見た瞬間、理想的だと思ったよ。オレの隣で子供を連れて社長夫人として控える。そんな未来図が思い描けるほどに」 「未来図? あんた、凪音さんに何をしたかオレが、オレらが知らないとでも思ってんの?」 颯佑が鼻で笑った。 「何をかな?」 怒りでカッと体中が沸騰する。 その厚顔無恥な顔を殴れるなら殴りたい。 「あんたのは立派なDVだろ!? モラハラも妊活とかいって無理やりヤってたのも、全部! あんたのは犯罪なんだよ!」 「なら裁判でも起こすか? 証拠は? この場合は家庭裁判レベルかな。知っているか? 明確な証拠がなければ、浮気の一つ二つ、裁判官によっては些末な扱いをされる。それとも何か、君がいうモラハラだのセックスの強要だのは証拠でもあるのか? 知らないようだから教えといてやるよ。明確な証拠がなければ、裁判をする側は、何も判断できないんだよ。特に夫婦という外からは見えない問題だ。彼らだって人間だ。普段からワイドショーや週刊誌から情報を得る、ごく普通の一般人なんだよ。証拠がない。オレは誠実な夫。さあ、どんな判決が出るかな?」 裁判のことなど詳しくはない。 自分の理解では判断できないことを持ち出されてはいるものの、明確な証拠と言われたら、花との浮気、そして一ノ瀬ウェブシステムのことくらいしかない。 唇を噛んだ。 かな錆びた味が口の中に広がる。 「まあいい。この場から凪音を遠ざけたのは成瀬の入れ知恵か? だとしても無意味だよ。凪音にとって、君は弱点だからね。そして、彼女の性格を知っているのは、君よりもオレだ。5年、夫として生活してきた、彼女の全てを知っている。どんな時に泣いて笑って悲しんで楽しんで。そうだな、夜、ベッドの上で彼女がどんなところが弱くて、どんなところで感じて、どんなところがイキやすいかも、すべて、何もかも」 ますます錆びた味を飲み下して、目の前で思い出し笑いをした男に殴りかかりたいのを必死で堪える。 ここで騒ぎを起こせば、外にいるマスコミと結託してどんな状況に発展するかわからない。 それでも。 「君はもう体験させてもらったかな?」 揺さぶりをかけるように、颯佑が満面の笑みを浮かべた。 「凪音の騎乗位はたまらなくエロく気持ちいい」 「っ!! 下衆やろう……っ!」 「下衆でもなんでもけっこう。君に言われることなど痒くもなんともない。さあどうする? 祖父の会社に関する書類一式。それと凪音のことと、引き換えだ」 「そんなことしてみろよ、あんただって無傷じゃない。もともと会社を継ぎたいだけなのに、そこまでする意味わかんねえよ!」 「意味? 言っただろう? オレは君が憎い。会社だけの話じゃないんだよ。君は凪音を奪った。オレのそばにいるべき女性を。オレが凪音を愛してないとでも思うなよ?」 「知らねえよ! あんたのは独りよがりだろ! だいたい、はじめから彼女を大切にすればよかったじゃないか! 凪音さんは、あんたに浮気されて、そのことで傷ついてた! あんたの浮気相手が凪音さんを傷つけてたんだ! それをいまさら、愛してる!? ふざけんなよ!」 激昂して思わず怒鳴った。 ドアの外が騒がしくなって、ノックの音と環の「どうした?」と確認する声が響いた。 「浮気のことを言うなら、君はどうだ?」 言葉を失う。 「オレだって人間だ、かわいい女性に言い寄られたら心が揺れる時もある。君もそうだろう? 夫のある凪音に心が揺れて、本気になった。……そうか、ダブル不倫ならお互い様、オレも彼女もそれぞれ相手がいてもいい。遊びと家庭とは別なら、凪音も納得してくれるかな? いや、そうだな、凪音を君と2人で共有するという手も」 颯佑が楽しそうにくつくつと笑った。 嘘偽りばかりを並べて、ただひたすら言葉によっていたぶられている屈辱に、両手の拳をぎりぎりと握りしめる。 ドアの外からは環が呼ぶ声が続いている。 「となると、お、まさかの兄弟だ。そうしたら会社の広告塔に君を使ってやってもいい。うん、凪音も喜ぶだろう。まあなんにしても」 颯佑が立ち上がり、テーブルを回ってドアの方に向かいながら言葉を続けた。 「決めるのは君だ。凪音が一番大切とその口が言うなら、君が手にしている書類など、なんの価値もないだろうよ」 颯佑が脇に立つ。 「オレが君なら凪音を優先する。そして速攻でニューヨークに行くよ。誰にも煩わされない、2人だけの世界にね」 その恐ろしいほど優しい声にゾッとして思わず飛び退くように上体をそらせて、颯佑を見た。 碧を見るその目は、憎しみと嫉妬と。 そして、狂気に近い妄執が垣間見えた。
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