置き去りにされた想い

1/6
1300人が本棚に入れています
本棚に追加
/95ページ

置き去りにされた想い

ジシャッとシャッターを切る音が連続して響き、同時に強い閃光が空間を埋める。 頭の中をすべて塗り潰されるその一瞬がけっこう好きだと気づいたのはつい最近だ。 「いいわね、いいわねえ、アオ、今度は視線こっちに向けてみようかー」 明らかに太いのに女性のような猫なで声がして、言われた通りに視線を無機質に言われた方角へ向けた。 またシャッター音と閃光が続いて、さすがに照明の強い光量に汗ばんでくる。 「じゃああとは好きに動いてみてー」 好きに動けと言われても、と正直内心で文句を言いながら、適当に事務所の社長やモデル仲間、そしてレッスンで教わったのを思い出しながらふりをつくっていく。 まだ場数なんて踏んでいないのに、やたら大きい広告の仕事が入ってくるようになったらしい。 らしいというのは、このモデルという人気商売の世界で、どんなきっかけでどんなふうに売れるかなんて今はわからない。 読者モデルレベルのファッショモデルどまりかとかつては思っていたのに。 「オッケーイ! とりあえずアオはいったん休憩してー」 有名だという広告カメラマン、確かレンジと名乗った気がする正真正銘男くさい男の合図にあわせて、静止していた空気が風船を抜くみたいに一気に動いて、どこにいたのかと思うほどのスタッフがわらわらと暗がりから出てくる。 でもこの張り詰めていた緊張が解けたその脱力感もいいなと思う。 軽く肩を回しながら歩いていくと、かっちりとスーツに身を包んだ男が軽く手を上げて近づいてきた。つい最近つくようになったマネージャーの環だ。 「おつかれ、アオ。50点だな」 「っすか」 「いったん控え室に戻ってくれって」 軽く頷いて、照明のケーブルの束をさばいたり機材の位置を調整したりしているスタッフたちの間を抜ける。 途中で、シルバーの大型PCを据えたテーブルのそばを通りかかる。 例のオネエ言葉のカメラマンを中央に、広告代理店、編集者、スポンサーだのがわらわらと集まっている。 どう自分は映っているんだろう。 どう商品は映えているだろう。 興味を覚えてほんの少しだけ体と体の隙間から覗きこむと、27インチの画面に自分がでかでかと表示されている。 海外の有名スニーカーの広告写真のモデルに抜擢されたのは5月。 掃いて捨てるほどいるファッション雑誌のモデルにすぎなかったのに、まさか街頭で目の前の画面よりはるかに巨大な姿をさらすとは予想もしていなかった。 「これ、いいですね」 確かスポンサーだと紹介された男女2人組が指をさした。 あまり顔をさらしたくないという碧の意向をのんでくれたのも彼らだ。 もともと望んで始めた仕事ではない。 不特定多数に顔を晒すなんて、正直、怖気が走る。 そう思っていたのに、最近はそうでもない。 目の前の画面でポーズをとっている自分が、そのまま商品を買うという行為の導火線になるのが不思議で、そして少しおもしろい。 「アオはどう?」 ふいにオネエカメラマンに言葉を投げられて、ぎょっとした。 テーブルについていた自分よりははるかに年齢が上の人たちの視線が一気に集まり、撮影されている時より口の中が渇いた。 「……まあ、どれでも」 「ちょっとどれでもじゃないわよう、ほら、きちんと見なさい、自分が一番美しく見えるのはどれ? スニーカーが一番美しく映えているのはどれ?」 不機嫌に唇を尖らせて、レンジがこっちを見た。 表情はおどけて見える。 でも目尻に皺の寄った細い目は笑っていない。 お前のような若造に写真の良さがわかるかと言われている気がした。 舌打ちしかけて、それを前に環に思い切り怒鳴られたのを思い出して堪える。 渋々画面に身を乗り出して、画面に映し出された画像を見る。 第一弾はスタートラインイメージだと言っていた。 だから、今回は躍動的なのがいいのだと説明してくれたのは国内トップクラスの広告代理店だったか。 「これ、ですかね」 何枚何十枚とめくり続けて、ふと気になったのにマウスの手をとめた。 周りから、ほぅとかなるほどとか感心かため息かわからない声が漏れてきて、できれば早々に立ち去りたくなった。 「いいわ! アオ、あんたいいセンスしてる、写真を見る目がある子は、モデルとしても伸びるわよー」 お世辞か本気かまったくわからないレンジの言葉に、とりあえずは礼を言った。 選んだのは、撮影が始まった頃に適当に動いていて、思い切り海老反りするようにジャンプしたものだった。 小さな頃にスケボーにハマっていた時の感覚を思い出してジャンプしたものだった。 当然照明は足元をほの明るく照らし、自分の顔は揺れたフードと髪に半分くらいは隠れている。画面から見切れていてもいいくらいだ。 もちろんスケートボードはないけれど。 環に肩をたたかれて、促される。 すでにレンジたちは構図だのレイアウトだの文字乗せだのともっと緻密な話をし始めている。 モデルの自分は、セレクトされた撮影写真そのものは見ることができても、その完成図は知らされないことも多い。 実際に雑誌に載ったり広告として掲示される段階でようやく、あれがこうなったかと驚くことも多かった。 今までは、撮影した画像さえもあまり見せてもらったことはない。 社長やマネージャーは当然見ているらしいが、自分から申し出ることがなかったせいかもしれない。 控え室のソファにどさりと座り込む。 久しぶりにジャンプなどという使わない筋肉を使ったせいか、たぶん、筋肉痛になるだろうと憂鬱になる。 時計は20時を指している。 会社の半休を使ったこの5時間、撮影で潰れた。 これで解放されるのか、それとも続くのか。 できれば酒を飲みたいという欲求をペットボトルの水で飲み下した。 環は一緒に控え室に入ってきたのもつかの間、すぐに電話をかけに外に出ていった。 こういう1人の時間はたまらなく辛くなる。 思い出したくないことを思い出させられる。 イスに放り出しておいたビジネスバッグを引き寄せ、スマホを取り出した。 画面は黒いままで、目的の通知は1つもないことを知らせてくる。 期待しては失望することを何度も繰り返しているのに、それでもやめられない。 アプリをたちあげて、あるアカウントの凍りついたままのメッセージ履歴をなぞる。 自分の名前は表示されているのに、対する相手の名前は、「unknown」。 ほんの数日前まで、確かにそこには大事な人の名前が表示されていたのに、今はもう不明になってしまっている。 相手がアカウントを削除したからだ。 湧き上がってくる衝動を逃すように、息を長く吐いた。 そしてのろのろとノートパソコンを取り出した。 本業の仕事をしなければ、職場に迷惑をかけてしまう。 せめて仕事をしていれば、余計なことを考えなくてすむ。 パソコンを立ち上げはしたものの、視線は置いたはずのスマホにどうしてもいってしまう。 「入るぞ」と声がかかって、環が開けたドアから顔をのぞかせた。 「撮影は終了だ。あれで問題ないらしい、って、仕事してたのか?」 「いや、しようとしてました」 「いい加減、そっちの仕事のことも考えないとな。これからもっと忙しくなる。どっちかに絞らないと、ぶっ倒れるぞ。いくらなんでもSEとモデル兼業はそろそろきついだろ」 「大丈夫っす」 「つっても、モデルは体が資本だし、本来はレッスンとか諸々あるんだが。ま、とりあえず話は後だ。挨拶してくるから、帰り支度しとけ」 頷くと、環はまたドアを閉めた。 廊下の方で軽く駆ける音がする。 ため息をついて、パソコンを閉じた。 明日残業して自分の作業分を進めとくしかないだろう。 本業であるはずのSEの仕事の方が滞るのだけは嫌だった。 実際すでにキャリアを積んでいるのは、高校生の頃から始めたモデル業の方ではあるけれど、本業として就職したIT会社を辞めるなんてことは考えたことはなかった。 なにより、その会社に就職したからこそ、毎日定刻の江ノ電を使って通勤し、そこで彼女と会えたのだ。 スマホをまた手にした。 メッセージアプリのアカウントだけではなく、連絡先を聞いておくべきだった。 でもあの時は、まだまだ時間はあると思っていたのだ。 いつまでも続くと、別れるなんてないと、いつのまにか信じ込んでいた。 だからあの日、あの時、彼女は頷いてくれると思っていた。 旦那と別れて、本気で自分とつきあってくれると。 そこになんのためらいもないはずだと、勝手に思い込んでいた。 そんな簡単に、彼女がーー既婚者である彼女が頷ける立場ではない。 そう榊は言った。 結婚は当事者だけの問題じゃない場合が多々あるのだと。 榊に説明されて初めて、本当はなんにも分かっちゃいなかったのだと気付かされた。 いくら覚悟や本気を伝えても、自分の立場や年齢や言動が彼女の周りに比べればどんなに軽くどんなに幼かったか。 そんなことも自覚できないまま、本気かと問い返された時、思わずムッとした。 まるでわがままが通らずに拗ねるガキそのままに。 そして、その時に生まれた気まずさそのままで、彼女が自分の前から姿を消すなんて思ってもいなかった。 いまさら後悔しても遅いと分かっている。 分かっていても、このぎりぎりと締め付けてくる痛みを逃す術を自分は知らない。
/95ページ

最初のコメントを投稿しよう!