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前編
4月に入り、今年も新入社員が入った。
入社5年目ともなると、新人さんのことも面倒を見てあげなくてはいけなくなる。
右も左も分からないのが新人さんなわけで、それを教育しながらフォローしてあげるのが先輩の役目。
だ・と・し・て・も!
「依知香、眉間に皺が寄ってるよ。」
社食で、同期の沙也に声をかけられて、私は自分の感情が表情に現れてしまっていたことに気付く。
「何かあった?」
「何かっていうか…色々。」
「もしかして、また?」
沙也が言う、また、とは…うちの部署に配属になった新人の女の子の事だ。
多分、いや恐らくきっと、悪い子ではないのだろう。そうであって欲しい。
ただ、いかんせん仕事をしない。覚えようとしない。
出来なくてもいいから、覚えようとだけはせめてして欲しいのに。
それだけではなく、どうやら男性社員と仲良くなることだけは頑張っているようで…いつも、そこそこイケメンな男性社員の傍に寄って行っている。
当然、女子社員からは非難の嵐。
大学卒業したてで若くて、おまけに可愛い。それだけでやっかみの対象になるのに、どうして自ら地雷を踏みに行くのか…
別に彼女の教育担当とかではないけれど、ピリピリしている部署内の空気の悪さと、彼女の言動に冷や冷やして、何故か私にストレスが溜まっている。
「別に依知香がストレス溜めることないでしょうが。」
「だって、あの子が何かする度に空気がピリピリするんだよ。胃に悪いよ…。先輩も後輩ちゃん達も機嫌悪いしさ。」
「依知香は損な性格だよね。人のことまで気にしちゃうから。」
確かに、自分には関係ないって思えればストレスも溜まらないんだろうけど。
でも、どうせなら楽しく仕事したいじゃない?
「あ、じゃあ、花とか飾ってみれば?ストレス解消になるらしいよ。」
「お花?」
「そう。色とか香りがストレス解消にいいって聞いたことある。花飾ってるだけで、何か気分上がるしね。手軽だし、やってみる価値はあるんじゃない?」
お花か。そういえば、お花とかあんまり飾ったこと無かったな。
アロマは良く使うけど。
「ありがとう、沙也。早速試してみるよ。」
そして私は、次の休日に、自宅の近くの花屋を調べた。
自宅から徒歩数分の場所にある一軒の花屋さん。
検索したら、お店の写真も載っていて、可愛い雰囲気のお店。
今まで気にしてなかったから気付かなかったけど、こんなに近くにこんなお店があったなんて知らなかった。
出かける準備をして、私は早速お店へと向かった。
「いらっしゃいませー。」
女性の明るい声が響く。
ニコニコと優しそうなその女性は、30代ぐらい?このお店の店長さんとかかな。
お店の雰囲気にも合ってる。
「あの…」
私がその女性に話しかけようとした時。
「ただいま。配達終わったよ。」
「あ、店長おかえりなさい。」
え、店長?
明らかに男性の声だったけど。
そう思って、後ろを振り向くと…
「あれ?君…もしかして植山さん?」
「森谷先輩?!」
目の前に立っていたのは、私の記憶とさほど変わらない、相変わらず優しそうな雰囲気の、大学時代の先輩だった。
「店長のお知り合いですか?」
「あ、うん。大学の時の後輩でね。」
先程の女性と話す先輩。それを見て、私は思わず聞いてしまう。
「もしかして…先輩の奥様、ですか?」
「は?!」
「あら。いいえ、残念ながら違うんですよ。ふふ、そんなに若く見えたのかしら、私。」
「え…?」
夫婦でやってるのかと思ったんだけど。違うんだ。
「私、もう大学生になる子供がいるんですよ。ここは、アルバイトで入ってるんです。あ、ちなみに、店長は独身で彼女なしです。ふふ。」
「よ、余計なこと言わなくても…!」
「あら、だってこの方が例の…」
「わ~!!言っちゃダメですってば!」
何だか先輩焦ってるけど、どうしたんだろう。
それにしても、大学生の子供さんがいるようには見えないな。若く見えるというのもあるけど、すごく可愛らしい方だもん。
「と、ところで。植山さんは今日どうしてここに?」
「あ、そうだ。私、お花を買いに来たんです。」
「誰かに贈るの?」
「あ、いえ、自宅に飾るだけなんですけど。」
「自宅用か。どの花がいいとかあるかな?」
「あ…実は私、お花にあまり詳しくなくて。ストレス解消になるって聞いて買いにきたん、ですけど…」
女なのに、花に詳しくないなんて呆れられたかな、と思って見上げると、そこには気づかわし気な表情の先輩がいた。
「ストレス、溜まってるの?仕事で…?あ、それとも、恋人と喧嘩したとか…?」
「喧嘩できる恋人でもいればマシなんでしょうけど…残念ながら、仕事です。」
ちょっと苦笑しながら言うと、先輩は、どこかホッとしたように見えて。でも、すぐに優し気な表情に変わったから、気のせいだったのかな。
「仕事のストレスか…そうだな。じゃあ、元気が出るビタミンカラーのお花とかがいいかもね。こっちにおいで。花の香は好き嫌いもあるから、実際に見て匂ってみるといいよ。」
そう言われて、一つずつ説明してもらいながら、その時の感覚で花を選んでいく。
「ブーケにしてあげるから、ちょっと待ってて。」
カウンターで作業する先輩をみて、そういえば、大学生の時から手先が器用だったな、と思い出した。
あっという間にラッピングされたそれを受け取る。
「あれ?先輩、私これ選んでないですよ?」
そこには、私が選んだものじゃない、青い花。
「ああ。それはね、おまけ。折角再会出来たから、その記念にね。」
「わあ、いいんですか?」
「もちろん。」
「このお花の名前は?」
「…風信子(ヒヤシンス)だよ。」
「へえ。可愛いですね。いい匂いだし、落ち着く。」
「それなら良かった。」
「先輩、ありがとうございました。また、来ますね。」
「うん。待ってるよ。」
家に帰った私は、早速花瓶に生けて、棚の上に飾った。
心なしか、部屋が明るくなった気がする。いい匂いもするし。
ちょっと気持ちがワクワクしてる。
先輩に再会したのも大きいのかもしれないな。
そんな事を考えながら、いつもよりも明るい気分で、月曜日を迎えることができたのだった。
***************
部屋に花を飾ることは、私のストレス解消には絶大の効果があったようで、私はあれ以来、先輩のお店に通うようになった。
「先輩、また来ちゃいました。」
「いらっしゃい。嬉しいよ、また来てくれて。」
「依知香さん、いらっしゃいませ。」
「佳代さん、またお邪魔してます。」
例のアルバイトの女性は、佳代さんというらしく、私は、自然と彼女とも仲良くなった。
「今日はどうする?」
「そうですね…春っぽいお花がいいです。」
「春っぽいお花ね。了解。」
最近は、私の希望を聞いて、先輩が選んでくれるようになった。お花の香の好みも分かってきたらしく、先輩のチョイスは外れがない。
そして、私がもう一つ楽しみにしていること。
「今日は、アネモネだよ。これも、春頃の花なんだ。」
「この白いお花ですか?可愛い。」
「でもこの花、茎を切ったりした時に出る液が皮膚に付いたら、ただれたりするからね。気を付けて。」
「そうなんですね。こんな可愛いお花なのに。でも、先輩に前もって教えてもらえたお陰で、この花を嫌いになることは無さそうで、良かったです。」
「…本当、そういう所、変わらないね。」
「先輩…?」
「ううん、何でもないよ。じゃあ、気を付けて帰ってね。」
「はい。ありがとうございました!」
最後の先輩の様子がちょっと気にかかったけど、先輩が何でもないと言うんなら、気にしない方がいいんだろうな。
それからも、必ず週に一度は先輩のお店へ通う日々。
先輩のお店に通う様になってから、毎回必ず買ったお花と貰ったお花の写真を撮って、沙也に送ったり、SNSに挙げたりしていた。
おまけに貰ったお花の名前は、何となくその日の手帳に書いてみたりもしていた。
そんな日々が半年程続いていたある日。
沙也と、社食でお昼ご飯を食べていた時の事だった。
「今もまだ、お花屋さん通ってるの?」
「通ってるよ~。先輩のお店居心地が良くて、最近は長居しちゃってるから、ちょっと申し訳ないんだよね。先輩目当てのお客さんも居るみたいだし。」
「あ~、まあ男の人も花屋には来るもんね~。」
「え?何でお客さんが男の人?」
「え、だって…先輩って女の人じゃないの?」
「先輩は、男性、だけど…」
「やだ、もう。それならそうと早く言ってよね。私ずっと女の人だと思ってたよ。」
「あれ、言わなかったっけ?」
「言ってません。」
「ごめんごめん。大学の先輩で店長なのは、男の人だよ。」
「へー。まあ、花屋って肉体労働だし、男の人でもお花好きな人は結構居るしね。花言葉とか詳しい、人、も…」
目の前の沙也が、不自然に口の動きを止めたから、気になって思わず目の前で手を振ってみると、ハッとしたように動き出した。
「沙也?どうしたの?」
「…ねえ、依知香。確か、毎回先輩が、一本だけお花をおまけしてくれるんだって言ってたよね。」
「うん。そうだけど。」
「その花の名前、分かる?」
「家にある手帳を見れば分かるけど。急にどうしたの?」
「今覚えてる花の名前ってない?」
「うーん…あ、最初に貰ったのは、風信子ってお花。何か名前が可愛くて覚えたんだよね。」
「風信子ね…ちなみに、色は?」
「色?確か…青、だったかな。」
そう答えると、沙也はすぐにスマホを弄り始めた。
そして、少しすると、何だか納得したように頷く。
「沙也?何、どうしたの?」
「ねえ、依知香。花言葉って知ってる?」
「花言葉?知ってるけど…でも、ちゃんと内容を知ってるのはバラぐらいかな?」
「ちなみにバラの花言葉は?」
「愛とか情熱、じゃなかったっけ?」
「…依知香、花言葉はね、色によっても色々と意味合いが違ってくるんだよ。バラもそう。おまけにバラは、本数によっても意味合いが違ってくる。」
「へえ、そうなんだ。沙也、詳しいね?」
「私も詳しくはないけど、それぐらいは知ってるわよ。依知香が知らないことにビックリよ。花屋に通ってるんでしょ。先輩は教えてくれなかった?」
「うーん。花言葉の話はしたことない、かも?」
あれ、そういえば、あんなに花の事に詳しい先輩なら、花言葉についても知ってそうなのに、何でだろう?他の事は、聞く前に色々と教えてくれるのに。
「自分で気付いてほしいのか、あえて気付かせたくないのか…どっちなのかしらね。」
「沙也?さっきから何言ってるか、私にはさっぱり分からないんだけど。」
「…風信子の花言葉はね、遊戯・勝負・ゲーム。だけど、これは風信子全体の花言葉。青の風信子の花言葉は、”変わらぬ愛”よ。」
「変わらぬ愛…?」
「私はその先輩が、偶然青の風信子を、おまけとして依知香に渡したとは思えない。」
「え…?」
「これは只の可能性の話だから、そうじゃなかったとしても怒らないで欲しいけど、私の予想だと高い確率で勘は当たってると思うわ。」
「え、え、どういう意味?」
「帰ってから、今までおまけで貰った花の花言葉を調べてみなさい。そうしたら、何かが見えてくるはずよ。」
花言葉で、何かが分かる…?
沙也の言っている事は、今一つ私にはよく分からなかったけど、何故だが私は、無性に沙也の言ったことが気になって仕方が無かった。
その日、定時で仕事を終わらせた私は、家に帰って早速手帳を開いて調べていく。
一番最初の風信子の花言葉は分かってる。
「次に貰ったのは…同じ風信子?あ、でも色で違うんだっけ。」
色までは手帳に書いてなかったけど、写真を見たらすぐに分かった。
「えっと、白の風信子の花言葉は…心静かな愛、か。」
その次は、ピンクのチューリップで、誠実な愛。
次が、白いアネモネで、期待・希望。
紫のチューリップが、不滅の愛。
紫のアネモネが、あなたを信じて待つ。
シロツメクサが、私を思って。
リナリアが、この恋に気付いて。
四葉のクローバーが、私の物になって。
アガパンサスが、ラブレター。
サギソウが、夢でもあなたを思う。
白のカーネーションが、純粋な愛。
…さすがの私も、気付いてしまった。
全てが、愛の言葉であることに。
「この前のが、ピンクの胡蝶蘭で…あなたを、愛しています…」
全てを調べ終えた私は、呆然としていた。
偶然の可能性もある。
でも、こんなに全てが揃いも揃って、花言葉が愛の言葉だなんて事、あるんだろうか。
自意識過剰なのかもしれない。
だけど、気付いてしまった以上、このままには出来ない。
先輩がどんな気持ちで、この花達をくれたのか、ハッキリさせたい。
偶然なら偶然でいい。真実を先輩の口から聞きたい。
私は、すぐにお店に電話をし、今日の閉店後に行く約束をした。
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