第二話 初恋

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第二話 初恋

 昔から欲があまりない性質だった。何かに頓着することがないと言った方が正しいかもしれない。  例えば、玩具が欲しいとかケーキが食べたいとか、誰かや何かを好きとか嫌いとか、そういう感情が乏しいのだ。それで困ったことはないし、寧ろ玩具の取り合いで泣くことも最後の一口を食べられて怒ることも、誰かと争い合うこともないから平和だった。  一人っ子には割合多いタイプだと聞いたけれど、僕の場合はその傾向が極端に表れていた。  両親が共働きで、父は出張でいつも家に居なかったし――今は海外赴任で日本にさえいない――、母は化粧品会社の社長として忙しくしていたから、子供ながらに気遣っていたと思う。  玩具を勉強道具に代えても、特に不満もなく黙々と取り組んでいるから、二人にとっては手の掛からない育てやすい子供だったようだけれど。  そうして常に感情が平坦なまま特に何の要望もなかった僕は、親の言うように私立の幼稚園に入学してエスカレーターで高校まで進学した。きっと僕は何もなければ、そのまま附属の大学の医学部に入り、両親が希望している通りに医師になっていたのだろう。  でも、僕は高校二年の春、観月脩(みづきしゅう)という男に出会ってしまった。そこから、僕の人生の歯車は少しずつ狂い始めていった。  少し肌寒い、桜が半分ほど散ってしまった春の頃。新学期になって、化学の永田(ながた)先生が産休に入る代わりに新任の先生が入った。まだ二十三歳の若い男性教師に女子生徒が湧いていたのを覚えている。  歳が若いだけでなく、容姿も惹き付ける要因だったと思う。背はさほど高くないが、他の教師よりも長めの栗色の髪に緩やかにウェーブが掛かっていて、茶の色のついた眼鏡を掛けて、いつも穏やかな笑顔を浮かべている。  男子生徒は女子が観月(みづき)先生に夢中なのが気に入らないのか、初めこそ当たりがきつかったが、先生の物腰の柔らかいところや多少の失敗には眼を瞑ってくれる優しい面を知って、段々と観月先生に対して友好的に接するようになった。  僕はそんな中にあっても、いつものように感情がフラットなままで、特別何かを思うようなことはなかった。あの日の夕方、化学準備室を覗くまでは。
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