第一章 彼女が見ていたカノジョのセカイ

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 昼休みの喧騒が包むF高のそばに、黒のハイエースが停まった。校庭との境のフェンス越しに、運転席の吉河が校舎を眺める。ウインドウを開け、肩肘をつくと深くため息をついた。 「思いっきりフツーの高校だなあ。取材許可取れないのも、わかるよーな感じ」  助手席に座る夏澄は、冷めた目で吉河の背中を見やった。 (いまいち、コイツら、常識がないのよね)  取材内容が内容なのだ。夏の心霊特番の取材になど、一般の県立高校がほいほい協力するわけがない。  吉河がおもむろに振り向いた。 「どうしたらいいと思います?」 「知らないわよ」 「冷たいなあ。夏澄さんも考えてよ」  ハンドルに顎を乗せた吉河を見て、夏澄は額に手を当てた。 「あのねえ、だいたい、取材できないならあたし、呼ばないでよ。こっちにも都合があんのよ」 「そんなこと言ってえ。今ヒマだって、ちゃんと事務所の人に聞いてますよお。それに、これも立派な仕事でしょう。協力してくださいよ」 「これが入ってくるから、本職外すはめになるんじゃない。少しは遠慮しなさいよ」 「だって、夏澄さんのほうがやりやすいんですもん」 「ならギャラ上げてよ」 「そこは、ね、俺じゃどうにも出来ないんで」 「ったく」  夏澄は吉河の上司の顔を思い出し、忌々しげに舌打ちした。  実のところ、夏澄の本職はモデルコーディネーター。発注を受けたら、求められるイメージのモデルを探し出し紹介する仕事である。夏澄自身、2年前までは雑誌モデルをしていた。しかし、本当は目立つことが嫌いだったため、少しずつモデル業を減らし、その裏方的役割の今の仕事にシフトしていったのだ。面倒見のいい性分も幸いし、若手モデル達からも慕われている。性にも合っていると思っている。が、いかんせんフリーな仕事だ。コンスタントに発注がくるわけでもない。そんな時、"このような"仕事が舞い込んでくる。  このような仕事――心霊現場のロケ。  夏澄の霊感が強い、との噂を聞きつけたどこぞのプロデューサーが、その時は藁にもすがる、といった勢いで頼み込んできたのが始まりだった。夏の心霊特集番組のための取材である。同行するはずだった霊媒師が、インチキ騒動を起こしたとかで、ドタキャンされたという。本番収録には、知名度の高い人が出るのだが、事前チェックに付き合ってくれ、ということだった。あまりの勢いに嫌とは言えず、夏澄はしぶしぶ同行した。が、行った場所が本気で"ヤバイ"場所だった。案の定ひと騒動起きたのだが、それを収めたのが、嫌々ついていった夏澄なのである。本当の霊媒師より頼れる、と、以来、ことあるごとに声がかかる。本職よりも、声がかかっている、気がする。 「で、この学校で、なにが起きたわけ?」 頭を切り替え、夏澄が訊いた。吉河が、えーっととつぶやく。 「けっこう新しいタレコミでしてね、先月、不可解な学校荒らしが起きたんだそうです。続けて3回も。警察も出張ったらしいんですけど、いまだ犯人不明」 「普通の事件じゃない。なにが奇怪なの?」 「いやね、荒らし方が変だったんです。なんでも、硬式テニスボールが全部握り潰されてたり、わざわざ2階の窓を派手に割ってから侵入して、ドアを壊しまわったり。あと、金属製の棚が真っ二つとか。極めつけが最後の犯行で」 「うん」 「中庭の花壇荒らし」 「はい?」  どこが極めつけなのか、と夏澄は疑わしげな視線を投げた。吉河はプリントアウトした事件概要の資料をめくる。 「あのですね、地面にね、部室棟から無数の足跡ならぬ手の跡が続いていたんですって。花壇の周りは重いものを落とされたみたいに、ボッコボコ。あげく、裏庭に面した校舎の壁、3階あたりだそうですが、そこにも無数の手形が残っていたそうです」  吉河はひと呼吸おいた。 「ね、うち向きっぽいでしょ?」  夏澄は目を眇め、吉河の背後、窓の向こうにそびえる校舎を見た。 「ふーん」  吉河は、うわぁそっけないっ、とハンドルに額をぶつけるようにうなだれた。そんな吉河には目もくれず、夏澄は考えるように唇に指をやった。 (手形ねえ)  なにかが見えているかのように、夏澄は校舎を見つめ続ける。 「ねえ、その手の跡って、外から見えないの?」  夏澄の言葉に吉河は顔を上げ、ナビの地図を拡大した。 「中庭っていっても校舎裏らしいから…、敷地に沿って行けば、眺められるかもしれませんね。行ってみますか?」 「なにもしないで帰るよりいいでしょ。行きましょう。君も言い訳たつでしょうし」 「そうか、そうですよね!せめてその手形の写真でも撮っておけば、なんかに使えるかもしれないし。よし、行きます」  元気を取り戻した吉河が、車のエンジンをかけた。そしてゆっくりと車を滑らせた。  学校の敷地に沿って、狭い公道が延びている。  校庭の横を通り過ぎ、2階建てのプレハブが見えてきた。 「これ、部室棟っぽいですね」  建物の脇には、サッカーボールの入ったカゴや野球のバット、その他よくわからないガラクタがつまれている。ある窓ガラスの奥の室内には、"ベスト8目指して!"と書かれた貼り紙が見えた。  夏澄は黙ったまま、じっと眺めている。  部室棟を過ぎると、テニスコートが現れた。 「テニスは大学のサークル以来、やってないなあ」  誰に言うともなく吉河がつぶやく。夏澄は考え事でもしているのか、先ほどから無言だった。  そうして敷地の角を車は右折し、まもなく、両脇に大きな木を従えた裏門らしき場所にたどり着いた。その裏門を越えたすぐの位置に、吉河は車を停めた。  敷地は、背の高い鉄柵で囲まれている。  柵の向こうに花壇が見えた。夏澄と吉河は、あれが例の中庭だろう、と目星をつけた。 「件の壁は、あの辺りかな」  吉河が超望遠レンズを一眼レフカメラに取り付け、ファインダーを覗いた。双眼鏡代わりでもある。しかし、思うように被写体が見つけられず、うー、と唸った。 「夏澄さん、見えますか?」  ファインダーから顔をあげる。 「夏澄さーん?」  呼ばれて、夏澄ははっとしたように吉河を見た。なにやら険しい顔で校舎を睨みつけていた夏澄である。 「…ちょっと、カメラ貸して」 「は?あ、どうぞ」  夏澄の態度を訝りつつ、期待しつつ、吉河はカメラを渡した。夏澄はやや重そうではあるが、吉河の横に身を乗り出し、カメラのレンズを校舎に向けた。  ほどなく、夏澄が片眉をピクリとさせた。そしてシャッターを切った。  シャッター音に気づいた吉河は、期待を込めた顔で、どれどれ、と夏澄の手元のカメラを覗き込む。デジタルカメラの液晶部分に、いま写したものが表示されていた。 「これ…」  吉河が目を丸くした。次の瞬間、 「どのへんですかっ!!」 と、夏澄に向かって興奮した声をあげた。  液晶画面には、シミのような黒ずんだ跡が写っていた。ピントがボケ気味であるが、シミは手の形に見える。  カメラを吉河に返すと、夏澄は指さした。 「2階の右のほう、窓のところに女の子がいるでしょう、眼鏡をかけた」  吉河がカメラを右に振った。 「あ、ああ、いた、あの子かな。あっちのほう向いてる、髪をしばった子」 「たぶんそう。遠くを眺めている感じの子よ。その子の上のほう、3階と4階の間あたりに見えてこない?」 「えーと、上、上…このあたり…もうちょい…あ、あった!」  見つけるやいなや、うおーすげぇー、と叫びながら、吉河はシャッターを切り始めた。  だいぶ薄れているようだが、無数の手形は、しっかりと跡を残している。  夏澄は、吉河の撮影が落ち着くのを待った。その間、なんとはなしに先ほどファインダー越しに見かけた少女が見ていた方を見やった。鉄柵の側には大きめの木が並んでいるので、見通しはそれほど良くない。しかし隙間の向こうに、体育館らしき建物が見える。ゆるやかなカーブを描く屋根の上方には、5月のスッキリした青空が広がっている。  夏澄が顔をしかめた。 「…なんだかなあ」  小さくつぶやいた。  この学校に、"なにか"の気配をずっと感じている。幽霊がいる、といった暗く粟立つ感じではない。 (なんだろう、この感じ?)  今まで経験したことのない感覚だ。それでも、記憶を探るように意識を内側へと向けていく。ふいに、夏澄の視線の先が揺らめいた。 「?」  体育館の屋根の上のある一点が、陽炎のように歪んだ。と、すっと、一瞬にして隣りにそびえる木の中に飛び込むように消えた。  夏澄が思わず目をこすった。 (なに、今の) 「夏澄さーん、見てくださいっ、どうです」  いきなり夏澄の目の前に、吉河がカメラを突き出した。夏澄の意識はカメラに移ってしまった。  吉河が撮影した写真には、黒ずんだ手の跡がしっかりと写っていた。雨風で薄汚れた校舎の壁に、シミのように手の跡が残っている。その手形の大きさはバラバラ。  吉河は薄気味悪そうに眉をしかめている。自分で撮影しておきながらも、まじまじと見れば、やはり気味が悪いのだろう。 「ばっちし撮れてますよね。キレイに撮れすぎて、自分でサブイボ立ちそうですけど」  不気味な写真であることに変わりはない。この現場に入るようになって、こういった奇妙な写真や恐ろしい経験をしてきてはいるが、慣れるものではないのだ。 「これ、お化けですかねえ」  吉河が、うかがうように夏澄を見た。夏澄はプレビュー画面から目を離さず、たぶん違う、と答えた。 「幽霊じゃないんですか?」 「そういった類の感じがしないのよね。恨み辛みのユーレイ系じゃなさそうね」 「じゃあ、なんですか?」  夏澄が顔を上げた。 「知るわけないわ」 「夏澄さーん、もうちょっと協力的になってくださいよーぉ」  すがる吉河に、夏澄はひらひらと片手を振って追い払う。 「あん?なにこんな写真撮ってんのよ」  夏澄はプレビュー画面を送っていた手を止めた。そこには女子高生の横顔が写っている。目印にした、あの眼鏡をかけた少女だ。 「いや、なんかこう、雰囲気ある表情してるじゃないですか、恐怖っていうか、そんな感じの」  好みとかじゃないですよっ、と吉河が慌てたように弁解する。 「どうだか」  そうは言ったものの、夏澄にも、確かになにかに怯えるような、不安そうな横顔に見えた。 (偶然とは思うけど…)  そう思って、はっとした。 (この子の見てる方って、あの変な影が見えた方と同じ…)  隣でぶつぶつ言い訳を続ける吉河をよそに、夏澄は少女のいた窓を見やった。そこに少女はもういない。  もう一度、カメラのプレビュー画面で少女の顔を確かめた。それほど寄りの写真ではないので、細かな特徴まではわからない。 「…」  なにかが、まるで夏澄の奥深い記憶を刺激するかのように、チリリと刺しているような気がした。   ☆  ☆  ☆
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