第四章 カノジョの未来、彼女の願い

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「ダメッ!!」  小川の反対側から大きな声が飛んできたのだ。  驚いて、声のしたほうを見た。そして、さらに妙子は驚いた。 「は、八王子?!」 「・・・」  妙子の隣りで、るいも八王子をしっかり見ていた。  八王子は、なぜか仁王立ちでこちらを見ていた。泣きそうなのに、怒っているような、それでいて嬉しそうなくせに焦っている・・・と複雑極まりない表情を浮かべている。  ただ、しっかりと妙子を見ていた。 「なんで、八王子が・・・」  妙子は心底驚いていた。  八王子は再び、「絶対ダメ」と大声で言うと、勢いよく小川を飛び越えて、ツカツカと妙子たちの前までやって来た。  妙子とるいは座ったまま、八王子を見上げた。  八王子は妙子だけを見ていた。 「妙子、帰ろう」  八王子は妙子の腕を掴むと、立ち上がらせようと引っ張った。  勢いに飲まれていた妙子は、我に返った。 「ちょ、と、八王子、待って」  妙子は思わずるいを見た。  るいは無表情になって、八王子を見ていた。だが八王子が妙子を乱暴に扱ったところで、スッと立った。妙子と八王子の間に割って入った。 「・・・強引なのは、よくないわ」  静かだが、底に凄みのある声音だった。  八王子は、珍しくかっとなったらしい。キッと睨むようにるいを見た。そこで初めて、八王子はるいの顔をまともに見たのだろう。  口をぽかんと開けて、固まった。 「え、妙子?妙子が二人?」  驚きと戸惑いを隠すことなく、妙子とるいの二人を何度も交互に見比べる。 「えっと、妙子、この人いったい・・・」  妙子は軽くこめかみを押さえ、脱力した。相変わらずの八王子だ。マイペースというか、視野が狭いというか、鈍感というか、なんというか。  大きく息を吐いた。 「私の母よ」 「え!?死んだって言ってなかった?」 「そうよ」 「えぇーどういうこと?」  心から驚く八王子に、妙子はもう一度、今度は強くこめかみを押さえた。  そんな妙子に代わり、るいが口を開いた。 「あなた、なあに?」  "誰"と言わないのは意図的か。 「え、あ、俺は・・・」  八王子は言い淀んだ。自分は何者か。妙子にとってなんなのか。同級生としか言えない。  るいのそこはかとない威圧感に押されそうになった。が、妙子を視界の端に捕らえたことで踏ん張った。  ぐいっとるいを見返した。 「妙子からしたら、ただの友達かもしれないけど、今はそんなことどうでもよくて、俺は妙子を連れて帰る」 「どうして?」 「どうって・・・俺が、俺が妙子がいないの、嫌だから」 「妙子は望んでいなくても?」  るいが畳みかける。八王子は負けじと言い返した。 「妙子はっ、もっとみんなと生きるべきだっ」  八王子はそう言い切ると、妙子を見た。  妙子は、八王子の言葉を聞いて無表情になっていた。何か、引っかかった。 (ああ、そうか)  八王子は単純で鈍感だ。でも、何も気づいていないわけじゃない。自分の中に言語化して認識されていないだけで、感じ取ってはいる。単純ゆえに、その感覚はとても素直だ。  妙子はゆっくりと八王子を見た。 (私、みんなと生きてるように見えていなかった?)  八王子はもどかしそうにしている。 「俺は、まだ妙子と一緒にいたい。妙子、帰ろうよ」  八王子の言葉は、妙子をすり抜けていく。妙子は妙子で、そんな自分の感覚に戸惑った。 (一緒にいて、どうなる?)  そんな風に思う自分が、確実にいた。いや、違う。  妙子は気づいた。 (私、考えたことがなかったんだ。現実として、想像したことがなかったんだ)  るいはただじっと、黙り込む妙子を見守る。  妙子は自分の心を確認していく。 (大人になった自分。お父さんと楓さんと、生まれてくるきょうだいと、一緒に暮らす自分。イメージができない。いつだってそれは、スクリーンに映る別世界。私がその中にいなかった。大学に行くことも、そう、高校を卒業することも、どこか他所の話だったんだ)  妙子は、うっすらと笑みを浮かべていた。 (私、自分はもういないと思ってたから・・・)  生き延びると言いながら、いなくなる前提で物事を考えていたことに、思い至ったのだ。呆れを通り越し、滑稽だと思った。  るいが動いた。おもむろに、妙子の両頬を両手で包んだ。 「妙子」  優しく呼ぶ声に、妙子は泣きそうになった。 「お母さん、私・・・」 「手段が目的ってところかしら」 「・・・」 「いいのよ、それはそれで」 「でも」 「いいの。私が許す。というか、そうだろうなーって思って、彼を呼んだの」 「え」  るいは八王子を振り返った。にっこりと笑う。 「"手伝って"」  八王子が「あっ」と何かに気づいた顔をした。 「あの声って」  岸辺で妙子が運ばれようとしたときに、耳に聞こえてきた声。 「あなただった?!」  妙子には話が見えない。  ふふふっとるいは笑っている。 「私としては、妙子とここに一緒にいるのも悪くないと、思ってはいるの」  八王子が「え゛」と渋い顔をした。  るいは妙子の頬を撫でた。 「あなたはずっと耐えてきて、ひとりで闘ってきて、弱音もほとんど吐かずにここまできたんだもの。ゆっくり休ませてもいいんじゃないかなって。がんばってきたんだもの」 「・・・」  妙子は今までのことを思い出し、きゅっと口を結んだ。幼いころから、妙な影や気配に脅かされ、恐い目にたくさん遭ってきた。ここ1年はさらにひどく、怪我をして傷つくことも多かった。  るいは静かに続けた。 「でもね、私って勝手なの」  るいは妙子の頬を手で包み、改めて真っ直ぐ見る。 「あなたをここに引き留めたら、茂さんは絶対に悲しむ」 「・・・」 「それはダメなの。私が茂さんを悲しませることは、できないの」   ☆  ☆  ☆
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